オリエンタリズム(上下)
著者:E.W.サイード
前著を読んでから、ほぼ1カ月が経過した。この間、日本での約10日間の滞在があり、帰国後はシンガポール大学での3時間講義の準備やバンコク出張など、慌ただしく日々が過ぎていった。そうした中で、なかなか読書に集中する時間を持てなかったが、それ以上に間が空いてしまったのは、何よりもこの「古典」を読み進めるのにたいへんな難儀をしたからであった。もともと10年以上前に購入したと思われるこの作品は、長らく書棚に眠っていた。しかし、日本語本が枯渇してきた中、そうして「滞留」していた作品の中で最も取り組むに値すると感じて読み始めたのがこの作品であったが、読了までに相当の時間を要してしまったのである。
この本の論旨については、既に多くの場所で紹介されており、内容について細かく見ていく必要はないが、まずは、この本の中で編集されている本論と補足の時代を確認しておく。
まず本論は1978年、同時に収録されている「オリエンタリズム再考」と題された、この本論を巡る論争を受けた小論は、1985年の発表である。これに邦訳出版時(1986年)の日本人関係者による解説と訳者あとがき、それにこの文庫版刊行時(1993年)の日本人による解説が下巻に収録されている。ということで、この作品は、私が社会人となった時期に発表され、その後、ロンドン時代に大きな論争を引き起こすと共に、日本でも紹介されることになったものである。その意味で、最もこうした作品を読む時間と頭を有していた学生時代は、これはまだ発表されておらず、私のロンドン時代にようやく邦訳が出版されたということである。そしてその巻き起こした数々の議論により、私の関心には早くから上ってきていたものの、なかなか原著を読むことができず、こうして著者がアメリカにおけるパレスチナ出身の知識人として、ポスト・コロニアリズムの立場を確立し、2003年に、72歳で亡くなってから10年以上も経って、初めてこの作品を通読することになったのである。そう考えると、やや出会うタイミングを失した、ということではあるが、他方で、この作品は既に「古典」としての地位を確立しておいることから、読む時代にかかわらず、その内容が刺激的であることもまた確かである。
いうまでもなく、彼の議論の根幹は、従来は東洋趣味といった内容で使われていた「オリエンタリズム」という言葉を、西欧種国がイスラム諸国を中心に、「東洋を支配する言説の体系」として位置付けたことにある。そして、それを説明するために、欧米の政治家、学者、作家、冒険家、更にはローレンスのような諜報員等々により書かれた幅広い著作を、これでもかこれでもかと繰り出し、彼の議論を跡付けながら論じていったのである。私のそもそもの関心は、著者の取り上げる「オリエンタリズム」が、単に中東イスラム圏に留まることなく、東南アジアを含めた「東洋」全体を射程に収めていることを期待した訳だが、残念ながら、アジア地域に関する記載は限定されている。
しかしそれにも関わらず、著者がこの作品で分析した「オリエンタリズム」の発想自体は、中東イスラム圏だけに留まらず、東南アジアを含めたアジア全体に敷衍できるものである。いくつか、著者の基本的な議論を表している一説を引用しておこう。
「オリエンタリズムとは、我々の世界と異なっていることが一目瞭然であるような(中略)世界を理解し、場合によっては支配し、操縦し、統合しようとさえする一定の意志、または目的意識(中略)そのものである。」(序説)
「こうした恐るべき普遍の相手(注:イスラム)を打倒するためには、まず最初にオリエントを知り、ついでオリエントに侵入してこれを所有し、しかる後、学者や兵士や裁判官の手で再=創造しなければならなかった。すなわち彼らは、忘れられた言語、歴史、民族、文化を発掘し、それらを、同時代のオリエントを判断したり、支配したりするために利用できる真に古典的なオリエントとしてー同時代の東洋人の目の届かぬ所にー陳列して見せたのである。」(レセップスとスエズ運河の構想について:第一章第三節)
「(19世紀と20世紀を通じて)オリエントをただテクスチュアルにだけ理解し、定式化し、あるいは定義することから、オリエントでそれらすべてを実践することへの移行が間違いなく行われたのであり、この前後転倒の移行(中略)にオリエンタリズムは大いに関わっていたのだということである。」「西洋はあくまで行為者(アクター)であり、東洋は受動的な反応者(リアクター)なのである。」(第一章第四節)
「すでに1810年の時点で、我々は(中略)、東洋人は征服されることを必要としていると主張し、西洋人によるオリエントの征服が征服でなく解放なのだとする論理に何の矛盾も感じないひとりのヨーロッパ人に出会うのである。」(シャトーブリアンの旅行記、「パリからイェルサレムへの旅」へのコメント:第二章第四節)
「オリエンタリズムのなかに現れるオリエントは、西洋の学問、西洋人の意識、さらに時代が下ってからは西欧の帝国支配領域、これらのなかにオリエントを引きずりこんだ一連の力の組み合わせの総体によって枠付けられた表象の体系なのである。」「19世紀のオリエンタリズムにおける重要な発展の一局面は、オリエントに関する基本的諸観念―オリエントの官能性、その専制主義的傾向、その異常な精神状態、その常習的な不正確さ、その後進性―から不純物が取り除かれて、それらが、一箇の分離抽出された揺るぎのない論理的整合体にまで純化されたということに認められる。」(第三章第一節)
「その(オリエンタリズム)の機能は、19世紀の文化においては、人間性の失われた部分を回復してやることであった。ところが20世紀になると、それが政治の道具と化し、さらに重要なことだが、ヨーロッパがヨーロッパ自身とオリエントとをみずからのために解釈するさいに符牒となったのである。」「要するに、かつては比較的無害な文献学の下位分野であったものが、今や政治運動を制御し、植民地を管理し、『白人』の労苦にみちた教化の使命について、ほとんど黙示録的な発言を行う可能性をもったものへと変容したのである。−しかも、これらすべてがリベラルと称される文化、つまり普遍性・多様性・無偏見性といった誇り高き規準に十分な関心を払っている文化の内側でおこっているという事実は見逃しがたい。」(第三章第二節)
「だが結論として言えば、オリエンタリズムに代わる別の選択肢とは何なのだろうか。本書はただ何かに反対するばかりで、積極的に何かを主張する建設的な議論ではないのだろうか。」「わけても、私が読者に理解していただけたことを願っているのは、オリエンタリズムに対する回答がオクシデンタリズムではない、ということである。」(第三章第四節)
長大な論考から抽出したこうしたほんの一部が、この作品の全体を示しているということは余りに無謀であるが、少なくとも私の理解のうえでは、これらがこの作品の核心である。そして、彼がその議論を正当化するために次から次へと取り上げた多くの「東洋に関する西欧人の著作」の幅広さには全く脱帽させられるとしても、主張自体はむしろシンプルなものである。まさに彼は、フーコーの言説論に依拠しながら、「認識することが、支配することである」ことを繰り返し主張しているのである。そしてそれ自体は、究極的には、歴史的な文脈の中での東洋と西洋の権力関係を指し示したものである、というのが私の考え方である。即ち、著者が規定する「オリエンタリズム」とは、17世紀から20世紀に至る西欧列強による植民地支配という権力関係の中で生成してきた特殊時代的な支配者のイデオロギーなのである。そしてその権力関係が時代と共に変わることにより、認識それ自体が変化するのは当然である。著者のこの作品自体が、そうした変化を物語っていると言えるのである。
他方で、かつては「文明」において西欧を凌駕していた「東洋」から、「オクシデンタリズム」が生まれなかった理由も私の強い関心である。著者が最後に断っているように、「オクシデンタリズム」は「オリエンタリズム」の代わりにはならないとは言え、時代状況によっては、「オクシデンタリズム」が登場してもおかしくない時代はあったのである。例えば中華思想というのは、ある意味「オキシデンタリズム」である。しかし、中華思想は、自らの中心性は主張するものの、その視点で西欧を含めた「従属国」の分析を行うことはなかった。それは単純に、「大航海」による最初のグローバル化以前の時代であったことや、中国に分析的理性が育たなかったといった理由だけによるのかどうかは、やや疑問である。他方、日本では、明治維新後、「欧米列強に学ぶ」観点から、欧米に関わる分析は、現在に至るまで知識産業の主流であり続けている。しかし、それは長い間「追いつく対象」として、劣等感の中から分析された観察であったことから「オクシデンタリズム」にはなりえなかった。そしてその劣等感が、ある時点で極端な自信に急転回した戦前の時代は、今度は「オリエンタリズム」が持っていた冷静で戦略的な西欧に対する分析能力を持つことができなかった。その意味でも、著者の規定する「オリエンタリズム」は、近代の特殊な歴史段階に見られた欧米知性独特の現象と考えることができるのであろう。
今や、西欧の没落は、米国の没落へと続いていき、第三世界の時代が訪れようとしている。しかし、私の見るところ、第三世界の側からも、その「対象」としての欧米社会を冷静に分析する発想は育っていないように思えるし、それが現在の世界秩序の不安定をもたらしている認識論の次元での根源的要因なのではないかと考えられる。米国と「新たな大国関係」を模索する中国や、その圧力の中で、米国のみならず東南アジア諸国も含めた新たな対抗軸を作ろうとしている日本も、その相手方に対し、単なる権力意識に基づくだけではない、より親和的な他者認識の発想を取りえるかどうか、それが結局のところここで著者が期待していた将来的な展望であったのではないか、と感じているのである。
読了:2015年10月17日