アジア・ダイナミズム
著者:原 洋之助
マニラ出張の帰途、マニラ空港で出発を待つ間に読了したアジア経済論である。出版が1996年10月ということで、まさにアジア経済が「東アジアの奇跡」と持ち上げられていた、しかし、その約1年後には、タイ・バーツ危機を契機に大きな構造転換に入っていく直前の考察である。その出版の時期から、中心の論点はアジアの高度成長の要因分析であるが、それを欧米で主流の議論となっていた「新古典派経済論」から見るのではなく、むしろアジア固有の資本主義(なかんずく「商業資本主義」)の歴史と、地域の歴史的特性の産物として捉える見方を提示している。それはまさにそのとおりなのであるが、ただどうしてもその後のアジア危機を知っているだけに、こうした地域特性も、グローバル化の波の中に飲み込まれてしまう必然性に思いが行ってしまう。従ってここでは、アジア通貨危機を知っている立場から、この時点での著者の議論のうち、その後も意味を持っているものを中心に見ていくことにする。また著者は、原理としての新古典派経済理論批判に多くのページを使っているが、この部分は議論が抽象的で分かり難いこともあり、はしょることにする。
まず、ここで著者が取り上げる「新古典派経済論」とは、「民間の活力を保証するような自由市場体制を選択しかつ健全な貨幣政策さえ政府が採用し維持していけば、どこの国でも経済はよくなるとする考え方」である。そしてアジアの高度成長は、「地域全体のどこかで蓄積された貯蓄が地域の一番生産的なところに投資されるという意味で地域レベルで効率的な資源配分が行われた結果」であると見ている。しかし、こうした資本流入が、特に外国から入ってくる場合は、そうした投資の幻想が弾けた場合は、逆循環を引き起こすことになる。その意味で、「外国人投資家が強い期待を持っている間に、経済改革を成功させ経済成長を軌道に乗せるという困難な課題を背負って」おり、そこには多くの不安要因が頭をもたげている、と著者は見る。またこの地域では「長期的な資本投資や技術改良が必要な分野にはなかなか資金が流れない」という点で、金融部門と実体経済の「市場経済的調和」がとれていない。「人間の知識・技能に集約されていく技術革新を、経済活動のなかで実現させていくためには、これまで以上に長い時間をかけた教育・訓練が必要」であるが、「金融市場の激しいスピードでのグローバライゼーションにおされて、ヒトビトの価値判断はますます近視眼的になりつつある。」そうした著者の指摘する不安要因がいっきに顕在化したのが、アジア通貨危機であったことは明らかである。
そうであるとすると、ここで著者が、その後の事態を知らないままに展開した議論で、現在も有効性を持っているのは何か、というのを見ることが重要になる。
著者がアジア経済の分析で重視するのは、「経済活動と変動に、長い歴史にくみ込まれたパターンとリズムが存在している」という視点である。アジア経済のこの時点での急速な成長は、「アジア社会が伝統的に持っていた商業的エネルギーが見事に活性化し」、「欧米近・現代が作り出したリズムの浸透を伴う形で、アジアの歴史が復活した」ものであると捉える。しかし、特に華人の経済ネットワークに象徴されるそうした「アジア社会が歴史的に蓄積してきた商業・経済活動のエネルギーの再活性化」に留まり、「この経済活動の組織化において、この伝統的な社会関係をこえた新しい制度改革を実現させることができていない」ことが最大の課題であると見る。
こうした議論を進める上で、特に著者が依拠しているのは、単純な「発展段階論」に基ずく「開発経済論」ではなく、「歴史のあらゆる時代」に見られる地域固有の「資本主義、交換経済、そして物質生活という経済活動の階層制」がある、としたブローデルの議論である。彼が分析した地中海世界の交換経済の歴史の中で見られるものと同様の関係がアジアにおいても存在している、というのである。それは15世紀中葉から17世紀末にわたる東南アジアの「商業の時代」であり、そこではマラッカ、アユタヤ、パレンバン等が、そのネットワークの拠点となっていた。しかし、欧州のそうした交易ネットワークを、「商業に心を動かされた政治権力」が支援して制度化した動きは、アジアでは見られなかった。その結果、この地域では「商人たちは政治権力者の恣意的介入によって利潤の蓄積を持続的に行うことが困難になった」が、他方で、彼らは今日のような「はるかにコスモポリタン的な広域的交易・商業とその中心地たる都市が地域の経済を支配していた時代」を作っていたのである。しかし、中国(明)や日本(徳川幕府)が鎖国に転じたことなどもあり、そのネットワークが縮小。西欧で見られた、絶対王政の下での商業資本主義から産業資本主義への転換が、アジアでは行われず、それが二つの地域の経済格差の拡大と、その後の植民地化をもたらすことになる。列強による東南アジアの植民地化の下でも、伝統的な商業ネットワークは利用されたが、それは宗主国の支配の下での「強制された自由貿易ないしは植民地体制の時代」の交易となっていったのである。しかし、その時代にも、地域的な多様性はあるものの、プランテーション経営などで、広域的なレベルでの経済取引ネットワークは維持、発展し、それなりに地域経済を発展させていったという。
第二次大戦後、東南アジアの国々が植民地支配ら独立していった後も、こうした構造は残ることになる。しかし一方で、戦後の国民国家が、植民地国家から成立したことから、各国がそれぞれ「異質な歴史をもつ経済社会が平等一体というフィクションのもとに囲い込まれる」と共に「かつて特定の植民地権力によって保有されていた諸地域に対して、国際的影響力の開かれた競争的介入がはじまった」ことで、国民経済建設の道は多様且つ困難なものとなった。そして1980年代後半以降は、「大半のアジア諸国は国民経済としては未成熟なまま経済の自由化にとりくむ」ことを余儀なくされる。それでも何とか経済成長の道を歩めたのは、この地域に商業資本主義の伝統があったからである、ということになる。
しかし、グローバルマーケットの圧力から相対的に独立した国内経済運営を行う力量を持つ国民国家の存在こそが、今後の成長の鍵になる。労働集約型手工業から、技術集約的産業への転換、そのための国民教育の充実、そして他方では依然経済上も人口面でも比重の高い農業部門とのバランスなど。そうした観点から、「アジア経済の将来は、商業・商人資本主義が作りあげるダイナミックなネットワークと、その下層でみられる発展の地域性とが、立体的に動く画像のようなものとしてえがき出されていくべきであろう」と見るのである。
以降は、まず古典派市場経済論の理論的な批判に一章、そして「発展の地域性」としてアジア諸国(タイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、ベトナムに加え、中国、韓国、インド、更には日・中央アジアなどにも簡単に触れている。また「開発主義モデル」としての日本の経験の分析も提示している)の個別分析を進めるが、特に後者は、今ややや古く、また過去の経緯は今までも多くの作品で見ている部分なので省略し、「普遍性と地域性」と題された「エピローグ」を見ておこう。
ここでも議論は古典派経済学の批判から始まるが、それは、地域と地域をつなぐ論理は「普遍的とされる国際貿易システムのなかで利用されうる比較優位とは何かという側面でしか、各地域の持つ個性がとらえられない。」そうではなく、「市場経済の発展・展開には地域ごとの個性があらわれるといった事態を率直に認める知性が必要」で、それが「普遍主義の圧力が増大しているなかでは、来歴をも含めて自らを認識し直し」、それにより、「各国がそれぞれの個性を認識し、相互にそういう認識を認めあうような関係が出来上がってはじめて、世界に共存のパラダイムが作られてくる」として結んでいる。
こうして見てくると、著者の議論は、(東南)アジア経済を分析する方法論が中心で、まさに欧米の直線的な「開発経済論」ではない、地域特性を勘案した通時・共時を統合した視点での分析を主張していることが明確になる。それはその通りなのであるが、それではそうした分析から、次に何が出てくるか、あるいはそうした視点で見た場合に、その後発生したアジア通貨危機はどのように分析されるのか、は疑問として残ることになる。前者の議論は、この地域が商業資本の伝統はあるが、産業資本の育成の問題がある、という観点で、アジア危機後も、引続きこの地域の大きな課題である。他方、後者の議論は、アジア通貨危機にあたり、欧米からの批判を無視する形で資本移動を拒否したマレーシアと、IMFの勧告と介入を受け入れ構造改革を行ったインドネシアのような対極的な対応があり、その意味で、この地域の多様性を際立たせることになった、と言えなくもない。ただ、このアジア危機の教訓は、東南アジアの国々に、彼らの抱えている産業資本の育成のために、単純に外資に依存することの危険をしらせ、そして金融のグローバル化の中で、一定の資本規制を常に用意しておくことを認識させることになったことである。そして何よりも、急激な資本移動に備えた、国民国家ベース並びに国際ベースでのセーフティネットの構築に舵を切らせることになったのである。
アジア通貨危機から20年が経過し、この時大きな打撃を受けたタイ、インドネシア等も、再び着実な経済成長の道を回復し、その後のリーマン・ショックなどでも、一時的な景気後退はあったものの、決定的な危機は避けることができた。そうした環境下で、再びこの地域の課題は、夫々の国での産業資本の育成・成長と、社会インフラの整備とその資本調達に移っている。この地域での商業資本と広域ネットワークの伝統は、ASEANにおける広域経済圏確立に向けた動きとして、それなりに着実に前進している。その意味で、経済分析の方法論とは別に、著者がこの作品で示した課題は、当事者たちに十分に認識され、そうした取組みを通じて、地域の経済成長に貢献していると言えなくもないのである。
読了:2017年11月11日