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アジア読書日記
アジア全般
消費大陸アジアー巨大市場を読みとく
著者:川端 基夫 
 ここシンガポールでも、最近はユニクロが店舗を増やしている他、昨年(2018年)末にはドンキホーテが、日本食材及び雑貨のメガスーパーをオーチャードに新規オープンするなど、日本関係の小売の進出が以前に増して目立ってきている。日本食レストランも、健康食ブームの後押しも受け、激戦分野であるラーメン屋を含め、どんどん増えている。シンガポールは、国内人口は約5.6百万人であることから消費市場としては小さいが、ここでの成功が、大きな人口を有するその他のアセアン周辺諸国への進出の目安となることから、パイロット店舗としての役割を果たしている、と言われている。

 こうした消費者向けの商品を製造・販売する事業会社がアジアに進出する際の戦略を説明している新書である。著者は、私と同年代の、国際流通論、アジア市場論が専門の関西大学商学部の教授である。初め著者の経歴を知らずに読み進めていた時の印象は、海外進出を支援するコンサル会社の関係者かと想像していたが、こうした分野でも学者がいるというのは意外であった。

 その理由は、小売関係のアジア進出について、我々の身近にある例、例えばポカリスエットがインドネシアで受け入れられた理由(デング熱やラマダン対応)、吉野家が日本で一般的なカウンターをやめた理由(家族団らんへの期待)、味千ラーメンの豚骨ラーメン店の成功(中国やアジアになかった日本の味への期待)といった、ある意味「卑近」な例を取り上げていることから、あまり「学問的なテーマではない」と感じたことが主因である。またその意味では、この直前に読んだ「医療危機」等と比較しても、気楽に流し読みができ、且つ日常的な話のネタ満載の新書である。

 しかし、著者は「学者」であることから、こうした「卑近」な例につき、「概念化」を試みている。例えば、海外進出に向けての「標準化戦略」と「適応化戦略」、「目で確認できる適応化」と「意味次元の適応化」、「意味と価値を決める『社会の仕組み』」、「フィルター機能」、「市場のコンテキストへのシンクロ(同期化)」等々。ただ読者の側からすれば、こうした話題では、「概念化」よりは、「具体例」の方が楽しめる。そうした例を続けよう。

 中国人観光客の日本のドラッグストアでの爆買い。中国大陸での医療事情(病院へのアクセスの悪さ、コストの高さ)から、日本の良質の市販品への渇望が強いという。同じ医療品でも、台湾はその質にこだわり、タイ観光客はスキンケア商品(とお菓子)に関心が強いという。同様にロッテの「キシリトールガム」(こんな商品は私は知らなかった)が中国で短期間で売れたのは、その「虫歯予防」という意味付けであったが、これも中国の歯科医療制度に由来すると見る。他方、日本では失敗したカレフールのような大型ディスカウント店がタイで成功している(相対的に貧しいと言われるイサン地域でも!)のは、この国で十分整備されていなかった「卸売り機能」と「物流機能」を補完する役割を果たしたため、伝統的な零細小売店や飲食店と共存できたからであるという。

 やや違う観点で面白い議論は、「熱帯の屋台の安全・安心」。食材が痛み易いために、逆に目の前の素材で目の前で調理する屋台は「安全・安心」という感覚があるという(実感としては疑問!)。他方、そのため、調理場で調理されたメニューより、目の前で調理されるものが好まれ、「ペッパーランチ」やワタミの人気メニュー「卵とじ」等はそれがヒットの要因だったという(「安全・安心」以外の要因だったのではないか、と突っ込みたくなるが!)。

 こうした例は、その説明に納得できるかどうかはともかく、まあ話のネタとして面白いのに対し、最終章で、アジアの中間層を分析している部分は退屈である。日本で売れなくなったピアノの中古品が、中国で飛ぶように売れている、というのは、この国での中間層の成長を物語っているが、それを「階級消費」と規定しても、あまり意味はない(単に「中間層」が消費社会の中心になった、ということで十分である)。また、こうした層の購買意欲は、単に「所得の絶対額がどう増えたかのかということよりも、人々がどのようなものに対して『どうしてもほしい』『何としても買わねばならない』などと意味づけをするのか」による、あるいは、自動車のような高額商品がアジアで売れているのは、割賦やローンが広がり、また政府の優遇策等による、というのも、当たり前の考察である。つまり、ある商品のアジアを含む海外での市場開拓を行う場合、その対象の特性に応じた手法が必要になるのは、いつの時代もどこでも同じである。著者は、それを「文化の相違」という言葉で一括りにするのではなく、気候、民族・人口、宗教、市場分布、歴史的経緯、政策、所得といったファクターに分けて分析すべき、としているが、これも当たり前の議論である。そして最後は、「文化」の諸相を、「制度」、「慣習」、「暗黙の了解」、「暗黙知」の4層に分け、その中でも特に第4層の「暗黙知」が、より表面には出ていないためにわかり難く、それ故にもっとも重視すべきとしてこの作品を終えている。これも、別に商品マーケッティング論だけではなく、社会学一般の世界では常識的な議論である。

 こうして見てくると、この世界は、個別具体的な事例が最も物事の本質を捉えている(「神々は細部に宿る!」)のであり、それを無理やり体系化しようとすると、とたんに陳腐な議論になる。その意味でこれは、いくつかの個別事例だけを軽く読み飛ばすだけで十分な作品であった。

読了:2018年1月28日