東アジアとアジア太平洋ー競合する地域統合
著者:寺田 貴
こちらへの再赴任前に、東大生協の書店で見つけたアカデミックなアジア統合論である。そのいかにも重厚な装丁のせいもあり、なかなか手をつけるに至らなかったが、今回ようやく挑戦することにした。アジア地域の統合が、ASEAN統合を軸にしながらも、この地域での米中の覇権争いも反映し、重層的な構造をもたらしていることを踏まえ、その理論的分析、及び今後の展望を論じている。ただ、2013年8月出版のこの論考で議論された、ある意味直線的に進展してきたこの地域の歴史が、米国トランプ政権となってから、全く非論理的に切断されてしまったことから、今これを読むことについてのある虚しさを感じることも否定できない。
アジア地域の統合が、それに先行する欧州統合(並びにそれを理論化した「バラッサの分類」)と比較しても、その過程が大きく異なっていることは言うまでもない。著者は、アジアの統合ではバラッサが示した「地域単位でのFTA=地域統合」ではなく、ASEANを含めた二国間の交渉(=地域化)から開始され、地域統合への進展が見られるのは2013年以降になってからだという。そしてその「段階・分野」としても、「2国間FTA」、「地域化」、「金融協力」を加えて説明されなければならない。更に地域的にも、欧州の場合は、交渉の基盤となる地域組織・制度は1つであったのに対し、アジアでは「アジア太平洋」、「東アジア」、「拡大東アジア」といった「3つもの異なる地域概念を有する統合制度が並存するに至った」という。こうした統合の基盤の相違が、欧州統合とは全く異なる問題群を生じさせていることは、両地域の政治・経済・歴史・文化的相違を考えれば当然である。従って、著者は、そうしたアジア地域での統合の固有性を示しながら、その進捗と展望を示すことを試みるのである。その際の大きな仮説は、「大国間競争を触媒として、規範や地域概念の社会化が起こり、その結果、地域組織や地域統合が推進される」という仮説である。欧州統合は、その基盤に独仏の「協調」があったが、アジアの場合は、日本(そして米国)と中国の「競争」が地域統合の推進力となってきた、というものである。まさに、日米と中国の関係安定化が、この地域の統合に欠かせないが、実際には、それが推進力でもあり、困難でもあった(そしてあり続けるだろう)ということが、この地域の最大の特徴である、というのは容易に理解できる。こうした大枠に基づき、著者は、その過程の詳細な分析に入っていく。以降、大きなポイントだけ取り上げて見ていくことにする。
まず指摘される理論的な鍵は、地域経済統合における「貿易転換効果」という概念である。これはFTAの締結により、その国を巡る貿易構造が変動し、その国の生産者や消費者が不利になる、あるいは既往の取引国でも同じ変動が起こる事態を示している。こうしたFTAの締結が、その地域に「ドミノ現象」を起こしていく、という事態が想定されている。
またASEANによるFTAについては、「自らの枠組みを超える広域FTAには消極的、しかし域外経済協力は必要」という「ASEANジレンマ」が指摘される。その結果、「ASEANが東アジア地域統合でイニシアティブをとることは難しい」という見方がまず示される。このあたりは、特にその後のアメリカ主導でのTPPで、ASEANが分裂する布石となった要因と考えられる。
むしろこのアジア太平洋地域統合のイニシアティブをとったのが日本で、それは米国や豪州を巻き込む形で進められることになる。特に「通商政策の観点では、経済力と市場の大きさという物質面で優位性を持つ大国」が存在感を示すことになるが、1989年、日本と豪州の共同イニシアティブで、日、米、豪、韓、加、NZとASEAN6か国で発足したAPECは、「成長著しい東アジア諸国と超大国米国をつなぐ『アジア太平洋』地域概念」を提示するものであった。しかし、当初はASEANの意をくみ取り「穏やか」に歩むことを想定していたものの、1993年に米国が指導力を示し始めると、この試みは当然のことながら、途上国と先進国、各国の国内制度の多様性から、多くの問題を顕在化させることになる。そして「自由化政策」に挫折した米国のAPECへの関心はいったん弱まるが、2001年の同時多発テロなどを受け、2000年代に入ると、今度はそれが「テロ対策志向の制度」として政治的な意味合いを持って米国のアジア戦略の中に組み入れられていったという。
通商政策面で停滞していたアジア太平洋地域の動きを促したのが、「二国間FTA」であった。この最初のものが、1999年のNZとシンガポール間FTAであったが、既にその時にシンガポールは日本にもFTAを打診しており、同年12月には両国の首脳による合同研究会の設立合意が発表されている。その後もシンガポールはこの地域の貿易自由化の先導役を果たしていくが、それが日本とのFTAという形で始まったというのは重要な事実である(2002年に発効。シンガポールは、日本の農産物自由化に関心がないため、FTAが容易であった)。そして、それまでは、「GATT・WTOによる多国間貿易体制の維持と発展に専心し、その体制の弱体化につながる差別的なFTAには長く反対の姿勢をとってきた」日本も、これを契機に二国間FTAに方向転換し、主要なASEAN諸国のほとんどとFTAを締結するに至る。その背景にあったのは、「FTAを規定するWTOルールの形骸化」と「FTAの貿易転換効果よりも、その貿易創造効果」への注目であったという。またこれに刺激され、それまでは二国間FTAに慎重であった中国が、これに向けた動きを加速。その結果、今度は、日中間での競争が惹起され、韓国も加わったASEANとのFTAが拡大することになった。特に中国は、個別国とのFTAではなく、ASEAN全体とのFTAというアプローチを取ったことから、日本も個別FTAに加え、ASEAN全体とのFTA(但し、内容的には中国のそれとは異なるもの)を思考するようになった、というのは、ASEANを巡る中国との経済面での覇権争いの端緒として注目される。
こうして東南アジアを巡る日中の覇権争いが、次のステップとしてはASEAN+3という「東アジア」という地域概念を成立させていくことになるが、これを促したのは、「FTAや市場統合ではなく、CMIという金融協力」であったとして、その過程を辿っている。ここで重要なのは、マハティールが提唱した「東アジア共同体(EAEC)」の概念に対し、日本が戦前の排他的アジアブロック形成という反省と、拡大する中国の影響力への対抗措置として、当初から豪州やニュージーランドを加える形を提唱していった点である。そしてそれがASEANの抵抗で実現が難しくなったことで、日本はEAECと距離を置きながら、米国も巻き込んだAPECの枠組を強く主張していくことになる。こうしてASEANが志向するEAECと日米が主導するAPECとの緊張関係が生じるが、ここでアジア通貨危機が発生する。この対応で、アジア版IMFであるAMF構想は、米国の抵抗に会い挫折するが、日本が主導した通貨スワップ協定(CMI)は何とかまとまる。そしてそうした中で、ASEANも、地域金融の安定化システムとして必須であるCMIの枠組であるASEAN+3を通じて、APECとの溝を埋める方向に向かっていくことになり、こうして「東アジア地域概念」が定着していくことになる。
しかし、こうした金融枠組みを越えて、日中の競争は激化していく。その中で生まれてきたのが、ASEAN+3に豪印NZを加えた「拡大東アジア」地域概念であるとする。この過程は2002年に当時の小泉首相がシンガポールで提唱したことから始まったとされるが、日本の意図は、言うまでもなく拡大する中国を牽制する枠組みであり、米国の支持を得た動きであった。しかし、ASEAN内では、当然、それを支持するインドネシアやシンガポールと警戒的なマレーシア、タイ、ブルネイ、ベトナム等の間で緊張をもたらす。また同時に小泉首相の靖国訪問等で悪化していた日中間でのつばぜり合いも激しくなる。
その中で、この動きに積極的に関与したのが豪州のハワード政権の東アジアで改めて存在感を取り戻そうとする姿勢であったという。更に、貿易面で中国との関係が深い豪州を補填する形で、日本がこの動きに持ち込んだのがインドであった。こうした動きを経て、2005年11月、クアラルンプールにて、ASEAN+6をベースとする東アジアサミット(EAS)が設立されることで、「拡大東アジア」地域概念が結実することになったという。
次なる展開は、それまで表面には出てこなかった米国を直接巻き込む「閉じられた『アジア太平洋』地域概念」であるが、この中核は、米国を含むAPECとTPPの展開である。この背景には、当然ながら地域で影響力を増す中国の動きを牽制するため、米国自体の東南アジア関与を改めて強化するというオバマ政権の「リバランス」あるいは「ピボット」と呼ばれる政策があった。そして経済面でも、「自由主義的ではないビジネス慣行を進める中国に対して、法的な足枷を課す手段」となるTPPへの期待があった。他方、日本は当初はTPPに対して警戒的であったが、民主党政権下での日中対立の激化もあり、TPP参加問題は、「単に経済問題に留まらず、日米同盟という日本の安全保障政策の根幹をなす問題に対する日本の姿勢を問う側面」を持つことにより、民主党野田政権での議論を経て、2013年3月、安倍政権の基で、正式にTPP参加に舵を切ることになる。
この日本のTPPへの参加表明は、「地域統合を巡る動きにドミノ競争を引き起こす」。これは一方で、タイ、カナダ、メコシコ等のTPP参加意欲を刺激すると共に、他方でTPP参加は難しい中国に、停滞していた日中韓FTAやRCEP(東アジア地域包括的経済連携)を進めさせる要因となった。著者は、この過程を「日本はRCEP、日中韓と合わせ、3つのアジアの統合交渉に参加することとなるなど、2国間FTAや地域統合ドミノゲームに主要プレーヤーとして参加することになった」と評価している。
しかし、その間に、この地域における中国の存在は、特に2008年9月のリーマンショックでの米国経済の疲弊と中国からの大規模な金融支援を経て、「台頭」から「超大国」と称すべきものとなる。そして、従来この地域を金融面で指導してきた日本の地位を脅かすものとなっただけではなく、米国型世界観の反映である「ワシントン・コンセンサス(米国主導のIMFとドル基軸通貨に基づく国際通貨体制)」に対する「北京コンセンサス」の挑戦という理念面での国際構造変化をもたらすことになる。中国側からのその典型的な回答が(この本では、出版日以降の事例なので触れられていないが)AIIBの設立であったことは言うまでもない。
そうした中でも、地域金融協力は、CMI(日本と中国の拠出金は同額)のIMFからのデリンクを模索する、2011年にシンガポールに設立されたAMRO(ASEAN+3マクロ経済リサーチオフィース)を含め、少しずつ進んでいく(トップの人事を巡る議論もあったが、初代中国、次が日本という形で決着したという)。また日中間では貿易決済を巡る「自国通貨圏」でも競争関係にあるが、依然厳しい管理通貨である元は、この面ではまだ存在感は強まっていない。この問題は、今後の中国の地域覇権を見ていく際に、大きな論点となると思われる。
そして最後に著者が取り上げるのは、南シナ海問題を始めとする「アジア安保地域主義と大国間競争」である。東アジアサミット(EAS)への米国の参加に象徴されるオバマ政権のアジア・ピボット政策については、既に述べられているので、ここでは繰り返さないが、米国はASEAN地域フォーラム(ARF)やASEAN拡大国防省会議(ADMM+8)といったASEAN内の多国間枠組みを使ったということが注目される。他方中国は、カンボジア等のフォロアーを使いこれに対抗。その結果としてASEANの分断が生じるが、その象徴的事例が、2012年7月のプノンペンASEANサミットで、史上初めて共同声明が出せなかったことであることは、ここで指摘されるまでもない。
こうしてアジア太平洋概念の拡大と、その中での大国間競争の過程を、ASEAN+6、及び米国の国内事情も分析しながら仔細に跡付ける議論が集結する。それはこの作品が出版された2013年までの過程である。
しかし、その後、この地域を巡る国際競争は、更に複雑さを増している。言うまでもなく、中国はその覇権的性格をより強めているのみならず、経済・金融的にもAIIB創設や「一帯一路」政策を軸にしたASEANのみならず、それを越える地域への経済的バラマキにより存在感を強めている。そして、そこではかつて南シナ海での中国覇権への最も強硬な反対者であったフィリピンが、デュテルテ政権による、経済援助期待を目的とするあからさまな新中国政策に舵を切り、そして何よりも米国トランプ政権により、「中国封じ込め」のTPPから脱退するという、それまでの交渉を一気にご破算にする決定を行うことになる。こうして冒頭に書いたように、ASEAN地域を巡る中日、あるいは中米の競争による「直線的発展」が、大きな断絶に直面することになったのである。もちろん、この地域への中国の軍事的覇権拡大については、引続きトランプ政権は対抗措置を講じているが、経済面では、むしろ中国や日本に対する関税引上げによる経済制裁という「二国間」交渉に力を注いでいる。しかし、これは、むしろ米国が従来から推し進めてきた自由貿易とその枠組みを使った地域への影響力維持・拡大という路線とは決定的に異なる手法である。これが、この地域の将来に、どのような影響を及ぼすかは、現状では全く不透明である。何よりも、そこでは経済的にASEANをまとめていこうという、従来はそれなりに合理的に理解できた米国の意志は、ほとんど見ることができない。そして米国の意向を忖度しながら、地域での影響力を維持しようとしてきた日本にとっても、この米国の不透明性は、今後重要な局面で、厳しい判断を突き付けることになる可能性が高い。米国が脱退したTPPは、取りあえず日本が主導する形で、11か国による批准手続きが進んでいる。トランプからは、衝動的にそれに回帰する、といった発言が出ては、また消えるという状況が続いている。中国の影響力が益々拡大する中で、ASEANとそれに対する日本の姿勢も、今後大きな節目を迎える可能性は高い。その意味で、その作品は、この地域を巡る地域統合と大国間競争が、それが分析した過去の約30年とは決定的に変わったことを如実に示したと言えるのである。
読了:2017年4月30日