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アジア読書日記
アジア全般
アジア経済とは何か
著者:後藤 健太 
 相変わらず、新型肺炎の影響で時間がたっぷりできている。本来はこの週末は、金曜、月曜に休暇を取り、家族とタイ、又はマレーシアに旅行に行く予定であったが、益々悪化する感染状況による各国の「鎖国」により家族旅行はキャンセル。しかし、有り余っている休暇は、予定通り取得するということで、この週末はゆっくり過ごすことになった。そんな中でいっきに読み終えたのが、このアジア経済論である。21世紀に入ってからのアジア経済の成長と変貌を分析しながら、「かつてアジアの経済秩序の形成をリードしてきた日本が、今度はアジアの企業がリードするバリューチェーンの中で」どのように生き残っていくかという戦略等を提言している。著者は、1969年生まれ。伊藤忠商事や国連、国際労働機関等での勤務を経て、現在は関西大学経済学部教授。商社時代にアパレル業界の調査など、現場を経験したことが、理論的な分析の背景として使われている。

 前半は、第二次大戦以降の日本経済の復興過程でのアジア戦略と、それを受けて「雁行形態型発展モデル」で成長してきたアジア諸国の道のりの復習である。日本を先頭に、アジア各国が時間差をおいて繊維産業のような労働集約型の産業から、鉄鋼業のような資本集約型産業、そして家電製品などの技術集約型産業への移行していく姿と、「一国内で輸出から輸入に転じる局面において、当該産業がより後発の近隣諸国に移転」していく過程、あるいは「輸入代替工業化」から「輸出志向(経済特区戦略等)」への転換過程等は、アジアの経済発展モデルとして良く知られたものであり、ここで改めて繰り返す必要はない。また、当初このアジアの経済循環から孤立していた中国が、1992年のケ小平の「南巡講話」以降、重要なプレーヤーとして参画してきたことや、1993年の世銀レポート「東アジアの奇跡」から、1997年のアジア通貨危機に至る紆余曲折があったことも言うまでもない。

 そして本題の21世紀に入ってからの、中国を核にした新たなアジアの経済秩序の形成とその特徴の分析に入る。

 言うまでもなく、21世紀のアジア経済の急成長は中国のそれに牽引されたもので、2017年の統計では、ASEAN10か国に中国、日本、韓国を加えたアジア諸国の、世界におけるGDP比は27%を占めるところまできている(1970年:12%、2000年:22%)。そして2000年に日本を越えた中国のGDPは、同じ2017年で、日本の2.6倍まで広がっていることに示されるように、そこでの日本の存在感は急速に低下している。中国を除くアジアの成長はそこまでではないが、それでも国毎の多様性はあるとはいえ、全般として低所得国が高いペースで成長してきたこと(「後発国の利益」)は、多くの統計でも示されている。またその特徴として、「戦後アジアの経済発展が、輸出をベースとした『外向き』型」であり、且つその主要な輸出先が欧米であったのに対し、21世紀に入ってからのアジアの貿易構造は、世界全体での輸出比率が高まると共に、(中国を除き)輸出先もアジア向けが欧米向けを凌駕することになったという点が挙げられる。これは「欧米への輸出依存から、アジア自身の市場の重要性が高まった」ことを示している。また輸出品目については、1980-90年代が衣類・靴製品(中国)、穀物類(タイ)、原油(ベトナム)であったの対し、21世紀に入ると、各国とも電子機器・機械類、自動車(タイ)等が最大の品目となる。これは、言うまでもなく、アジア各国における産業構造の変化を示しているが、その基盤が構築される過程での海外直接投資(FDI)の構造変化もあったとされる。

 FDIの受け入れ先は、従来は先進国が中心であった(例えば、日本の場合も、特にプラザ合意以降の欧米での現地生産の急増などから明らかである)が、近年は、その「投資の利益率が高いこと」から、アジアを中心とした途上国への投資が急増することになる。日本の各国別の進出企業数統計を見ても、2018年で、中国が圧倒的に一位、2位の米国以下、3位タイ、4位シンガポール、5位香港とアジア諸国が続き、また後発ASEANではベトナムの台頭が著しいという。もちろん産業部門としても農産物や天然資源などの一次産業への投資はほとんどなく、電気機器や化学品・輸送機器(自動車)がほとんどであることも言うまでもない。

 こうした傾向は、私たちが日常的に見て、十分認識している現在の傾向であるが、著者はその要因分析を進めることになる。もちろんWTOやFTAの推進、そしてそのアジア版であるASEAN統合やAPEC等による貿易自由化の流れが大きな基盤」になったことは間違いない。ただ著者は、「アジアでは、他地域と比べて民間部門、特に日本を筆頭に先進国の多国籍企業が、経済統合により積極的な役割を担ったこと」、そして「民間主導による事実上の統合が先行し、制度的枠組みはこれを後押しする役割を果たした」「デファクト型統合」であったとしている。そして、こうした統合を進めた産業構造面での変化が「グローバル・バリューチェーン」の成立であった。

 例えば旧来の日本の工業製品は、「その製造工程の大部分が日本において行われる」「フルセット型」で、それを海外で製造する際も同様の手法を取る「マルチ・ドメスティック戦略」で、そのポイントは、「進出企業による現地生産活動の『コントロール』と『内部化』」にあった。ところが21世紀に入り「企業の経済活動は一国内で完結するフルセット型から、国共を越えて組織される国際ネットワーク型へとシフト」することになる。それは「複数の国に立地する多様な企業が、細分化された生産工程の分業関係を通じてつながる」形態であり、それは「製品企画や設計、生産や販売といった一連の経済活動」のそれぞれで優位性を有する主体が、そこでの主要なプレーヤーとして台頭することになる。

 著者は、それをもう一段階突っ込み、彼の恩師と思われる慶応大学の教授が使った「フラグメンテーション」と「アグロメレーション」という概念で補足している。これは、個別商品の生産プロセスを「工程(工学的・物理的プロセス)」と「機能(デザインや経理など、よりソフトなサービス型プロセス)」に分け、「この生産要素集約度の異なる工程を一連のフローから切り離して、それぞれに最適な要素賦存条件を持つ場所に立地させる」ことが最も競争力を高める戦略になるという考え方である。これは現在の国際分業の進展を学者的に表現したもので、ある意味、実感に基づく常識であり、これを制度的な統合により、各種サービス・リンク・コストが削減されたことが後押ししたこともその通りであろう。また、「アグロメンテーション」は、「生産工程のフラグメンテーションが進むと、今度は生産フローにおける特定の工程が同じ場所に集まる」ことを指すが、これがその国や地域のその工程における競争力を強化することになる(タイの自動車産業やベトナムの縫製部門等)、というのもそのとおりであり、アジア地域の経済成長が、こうした国際分業の伸長―特に「異なる産業間の貿易(垂直統合)から、同じ産業内の貿易(水平貿易)」―によりもたらされたという整理にも異存はない。また多国籍企業から見ると、これは「自社の比較優位がある中核的機能(コア・コンピタンス)以外の工程を、最も合理的な方法で外部化する」戦略となるが、その際の鍵は、「海外移転(オフショアリング)」と「外注化(アウトソーシング)」という二つの戦略軸の組合せになると共に、「分断された個々の工程・機能を、企業の枠組みを越えて有機的に連携させ、その上で集合的効率性も達成しなければならない」という「ガバナンスの重要性」もそのとおりである。

 こうした「グローバル・バリューチェーン」の拡大を利用し成長してきたアジア諸国が、他方で「中進国の罠」―「自国のイニシアティブによる産業の高度化がなかなか実現できず、いつまで経っても外国企業の統括下で付加価値の低い機能のみを担い続ける」―リスクについては、「国内、あるいは近隣国も取り込んだ広域市場を梃にした機能高度化」と、「デジタル経済の流れ」の利用という二つの戦略が有効であろうとしているが、一方でアジア諸国の「企業間の信用取引制度や物流制度など、市場メカニズムを補完する諸制度も未発達である」といった課題も指摘され、議論はやや不十分なまま終わっているという印象である。

 最後に著者は、こうした21世紀のアジア経済の成長下―特に中国との比較―で存在感を低下させている日本(企業)の戦略について検討している。その主因については、物創りの工程が、パソコン、液晶テレビ、電気自動車、スマートフォン等で顕著なように、「擦り合わせ(インテグラル)型」から「組み合わせ(モジュラー)型」にシフトしてきたと分析する。そうした中で、日本企業が次第に競争力を失い、一部がアジア企業の傘下に下ったことは言うまでもない。またそうした「グローバル・バリューチェーン」を主導するのも、従来の欧米日の多国籍企業に加え、アジアの地場企業が存在感を増しているという実態もある。実際、内需が拡大しているアジア市場を対象にビジネスを検討する際は、規制された小売りや天然資源(例えばパームオイル事業)をベースとしたビジネスの場合は現地企業が主導する方が効率的な場合が多い。そうした場合、「日本企業はこれまでの主要企業としての役割とは異なる機能を発揮し、アジア企業主導のネットワークの中でポジションを確保して参画するというような戦略が重要になる」と指摘している。またその際に、日本の場合、対外FDIに比較して、極端に少ない対内FDIを如何に増やし、それにより「異なる強みを持つ企業を誘致し、そこに日本の持つ比較優位分野を繋ぐことで競争力を出していくような方策が、今後有効になるかもしれない」とする。著者は、やや手前味噌にも思えるが、「経済成長が知識の多様性と、それが市場や組織などを通じて複雑に組み合わさることで実現する」というハーバードの学者の「複雑経済性指標」という概念を引用し、この指標では依然日本は高い評価を受けているとし、そうした優位性を現在の「グローバル・バリューチェーン」の中で如何に売り込んでいくかが日本の戦略になるという。それは、従来は日本企業の文化をアジアに移設することで、これらの国の経済成長を支えてきたが、今度は、日本が、そうした企業文化をアジア企業のそれに変えることでもある。「多様性」の受入れと、日本が持つ「暗黙知」の発掘が、その際の鍵となろう、というのが著者の結論である。

 まず著者が実業を経験したこともあろうが、21世紀のアジア経済の全体像としてはよく整理されている。実際、東南アジアで暮らす私などが実感として持っているイメージを理論的に整理したものであり、その意味で、余り新鮮味はないが、非常に分かり易い説明になっている。ただ今後の日本企業のアジア戦略については、「『多様性』の受入れと、日本が持つ『暗黙知』の発掘」と言われてもあまりピンとこないというのが正直なところである。確かに、こうしたバリューチェーンに乗って生き残っている日本企業には、部分的な「擦り合わせ(インテグラル)型」商品を展開している先が多い(例えば村田製作所)が、それは決して多様性を受け入れている企業ではなく、むしろ製品の競争力、参入障壁の高さという、製造業本来の土俵で勝負している企業であると考えられる。そうした先は、ある種の「暗黙知」を有しているかもしれないが、それは一般理論化し得るものではない。結局、企業であり、国家であり、グローバルな競争の中で他社の追随を許さない何かを作り上げる以外の道はない。それはこうした学者の整理の中から出てくるものではなく、日々の製造過程での創意工夫からしか生まれることはないのではないかと思う。

 そして、これは作者がこの著作を執筆した際には予想もしていなかった事態であろうが、足元、新型肺炎の感染拡大が、まさにこの「グローバル・バリューチェーン」を徹底的に破壊し、この概念自体の持つリスクを白眉の下に晒している。現在この感染症は、東南アジアのみならず、欧米を含めた全世界に拡大していることから、「チェーン」の一部の問題ではなくなっているが、例えこの感染症が当初そうであったように、中国国内に留まっていたとしても、そこでの「チェーン」寸断は、アジアでの分業体制に大きな損害を与えていたことは間違いない。かつて、「中国+1」が唱えられた際は、どちらかというと中国の政治リスクが考慮されていたと思われるが、今回の新型肺炎騒ぎは、こうした域内分業に依存するアジア経済の脆弱性を示すことになった。この課題は、今後アジア経済の展望と戦略を考える上で避けて通れないものとなったことは確かである。

読了:2020年3月29日