アジアの国民感情
著者:園田 茂人
7月に、前著を読み終えた後、その他の残された日本語書籍に手を付けたが、結局ほとんど進まないうちに9月26日の帰国になってしまった。残っていた本は、内容的にも面白くないものがほとんどであったことに加え、日中の業務引継と連日の夜の送別会で時間もなくなり、そのまま途中で放り出してしまったのである。
そんなことで、帰国して14日間の自宅隔離に入るなり、行動が許されている近所の本屋に直行し、いくつか気楽に読める新刊の親書を購入。その内まず読了したのが、この作品である。
この著者については、2009年1月に、この新刊でもあとがきで触れられている「不平等国家中国」を読んでいる。この作品について私は当時の評で、次のとおり総括している。「1961年生まれの中国研究者による、中国の格差についての分析である。現代中国の格差拡大は、言うまでもなく経済成長を遂げた中国の大きな問題であり、昨年末に読んだジャーナリストの中国論を含め、現代中国の政治・経済・社会分析を行う際には必ず触れられるテーマである。この作品がそれらとやや異なるのは、そうした格差問題を、マクロとして捉え議論するのではなく、著者らが進めたアンケートに基づく統計から推計するという『実証的』な手法をとっていることである。その結果として、現代中国の格差そのものに加え、人々の『格差意識』の分析が重要な論点になる。そして結論的に言えば、まだ必ずしも公平なサンプリングができないこともあり、その『実証的』なデータも偏りのあるものになっているという印象も免れないが、分析の中にはやや意外感のある結論もあったりして、今まで読んだ中国論を補完する役割は間違いなくあると感じたのである。」
そうした「アンケートに基づく国民意識」の分析を、中国のみならず、(前著でも一部触れられているが)日本、韓国、台湾、香港、そして東南アジア諸国にまで広げ、夫々が相互にどのような「感情」を持っているか、そしてそれが国際関係にどのような相互作用をもたらしているかを追いかけたのが本書である。その東南アジアの一角からこの地域の国際関係を12年間に渡り眺めてきた者にとっては、非常に実感しやすい内容である。
著者は、学者であるので、理論的な枠組みを定義したり、アンケート結果の取扱いについてできる限り「実証的」であろうとしている。前者については、@フレーム仮説、A相互予期仮説、Bソフトパワー仮説、C接触仮説、Dポスト冷戦仮説という5つの枠組みで、アンケートに見られる傾向を検証していく。また後者については、アンケートの対象者の属性や、サンプリング数といったバイアス要因をそれなりに考慮するという姿勢を明確にしている。以前に比べてこの地域のデータも蓄積されてきてはいるものの、まだまだ不十分であることは十分認識した上での推論であることは著者も十分認識している。
そこで本論であるが、まずは台頭する中国に対する各国の見方を、アンケートから分析する。当然ながら、中国の台頭に対する評価は、中国の自己評価とその他の国で異なるが、その要因分析を、前述のフレーム仮説を使い、@経済的恩恵フレーム、A平和的台頭フレーム、B秩序への挑戦者フレーム、C脆弱国家フレームのどれが主因となっているかで説明しようとしている。(以下、使われているアンケートについての説明は省略する)
この結論は常識的である。2000年代初頭は、アジア各国ともこの「経済恩恵フレーム」で中国を肯定的に評価していたが、「平和的台頭フレーム」では、その頃から、日本、韓国、台湾、ベトナム、フィリピンが懐疑的で、タイ、マレーシア、インドネシアと差があった。そして「秩序への挑戦者フレーム」は、各国とも意見が割れ、「脆弱国家フレーム」では東アジア、なかんずく日本で賛成者が多くなっている。そして最近の調査でも、中国に肯定的なタイ、マレーシア、インドネシア(そしてシンガポール)と批判的な日本、韓国等という結果が示されており、それは主として「平和台頭フレーム」への見方が、そうした評価の差になっているということになる。当然ながら、東南アジア諸国の中国評価の差は、南シナ海への海洋進出を巡る中国との緊張がそのまま反映したものであると言える(フィリピンのデュテルテが、中国に接近しているが、国民意識は反中国的であるという)。
次にASEAN統合に対する関係諸国の国民意識である。2008年の学生アンケートでは、「ASEAN域内の学生は、日本、韓国、中国の学生に比べて、東(南?)アジア共同体の可能性を信じていた」。しかし、ASEAN諸国相互の国民感情を、@「他国による自国への影響の評価」、A「近隣諸国との社会的結合」、B「ASEANの学生が域内の国々に留学したいか」という設問への回答で測定すると、やや異なった姿が見えてくるという。例えばベトナムの対外認識や社会的結合を見ると、時期にもよるが、概して日本、韓国、アメリカ、ロシア等が高く、低いのは中国、北朝鮮、そしてASEAN諸国については、シンガポールを除き、その間に位置している。ここでは「冷戦体制メンタリティー」は既に過去の物となると共に、他方でASEANへの親近感はそれほど強くないことが見て取れるという。フィリピンでは、アメリカとの関係が、社会的結合は高いが、対外認識では低いという点を除き、ベトナムに近い。またタイ、マレーシア、インドネシアでも、中国の対外認識が相対的に高い点を除き、ASEANは、対外認識、社会的結合の双方で中位という同様の結果である(マレーシアとインドネシアは、相互に、社会的結合は高いが、対外認識は低いという特徴がある)。また日本への対外認識という点では、シンガポールを含めた中核5か国で首位、又は2位と非常に高いことに、ややびっくりさせられる。
話をASEAN相互関係に戻すと、著者は別に、ASEAN各国の学生に対する「留学希望先」と「就職希望企業の国籍」の調査を引用しているが、ここでは上位にあるのは、前者では欧米であったり、後者では自国または欧米日系であったりと、ASEAN内での国境を越えた留学や就職の希望は低い。これは、「ASEANの学生たちの気持ちは、域内よりも先進国に向き、それゆえ、ASEAN中心性は『絵に描いた餅』でしかない」という見方を促すが、他方で「経済統合はアジア人同士の信頼を促進する」という質問には各国とも高い評価で回答している。著者の結論は、「地域統合への肯定的評価と、域内の凝集性が低いことの間のギャップをどう理解し、埋めていくか」がASEAN統合に向けた課題ということになるが、これは、先進国を目標に、産業・社会・科学技術政策等を進め、そのためエリートには欧米日本への留学を促してきた東南アジアの国としては、全く自然な感覚であり、それがASEAN統合の障害になるという問題ではないと思う。
続いて取り上げられる東アジア諸国の近隣関係や其々の国の特徴についても、アンケートから見えてくるのは、一般的な認識とさほど変わらない。日本―韓国、中国―台湾・ベトナム、マレーシアーインドネシアといった近隣関係は、民族的な同質性故に、国際関係では双方の国民意識でも軋轢が目立つことは言うまでもない。やや意外な指摘を挙げると、@韓国とベトナムの国民感情が近い(サムソン等韓国企業がベトナム経済を支えていることを考えれば、当然ではあった)、A中国の2018年の調査では、対外認識の上位はロシア、シンガポール、オーストラリアとなっていること(小国シンガポールが中国での評価が高いのは、リー・クアンユウ以来の対中協力姿勢の成果か?他方、オーストラリアが足元中国との関係が悪化しているのは、過去の良好な関係への裏切りという中国側の失望が影響しているのか?)、といったところであろうか。
最後はアジア諸国からの日本に対する視線である。まず国別の対外認識では、韓国、中国を除き、日本の対外認識が肯定的なのには安心する(「腐っても鯛!」というのが、私の持論である)。またアジア諸国からの日本への関心が、かつての産業・技術から大衆文化に移行していることは、私の12年間のシンガポール生活の実感とも合致するが、ここでは「ソフトパワー仮説」が有効性を持っているようである。ただ、東南アジア諸国の留学希望先で、他の東南アジア諸国と同様に、シンガポールでも日本がそこそこ高く評価されているのは、やや意外であった。実際、多くの東南アジア研究者が働いている私の所属組織(今日までであるが)でのシンガポール人が圧倒的に少ないことを考えると、アンケートの有効性に「はて?」と思ってしまう。これは「アジア学生調査」ということで、2008年、2013年、2018年と続けられている調査のデータであるが、第二次大戦で日本の侵略行為があったにもかかわらず、「(東南)アジア諸国の多くは日本に好意的な評価をしてくれている」のは間違いないとしても、それをどうアジアや世界のために活用していけるかは、まだ模索が続くと思われる。
シンガポールでの感覚がまだ残っている時点で読んだこともあり、さほど驚きの少ない、逆に言えば刺激のない作品であったが、今後、かつては「データの砂漠」と呼ばれたこの地域で、このように一般国民の感覚についての情報が蓄積されてくると、それを考慮に入れた国際関係分析や経済・貿易戦略、最終的には政治的政策決定なども行われてくることになろう。そうした将来に向けてのまだまだ不十分であるが、しかし必ず必要になる地域分析である。
読了:2020年9月29日