新自由主義下のアジア
編著者:藤田 和子他
2016年10月刊行の、多くのアジア関係研究者が、アジア諸国が直面する課題につき包括的に論じた研究書であり、今回の帰国後、市立図書館から最初に貸りた図書でもある。主要編者で最年長の藤田は、1940年生まれであるので現在80歳近いが、若いところでは1981年生まれといった幅広い参加者の論考を集めている。しかし、私が以前に単独の著作に接しているのは、今年初めに読んだ「東南アジア 多文明社会の発見」(別掲をご参照)の石澤良昭だけで、それ以外の研究者の名前に接するのは、主要編者である藤田を含めて初めてである。その分、それぞれの著者が取り上げている課題も、結構私にとっては斬新なものも多く、厚手の著書にも関わらず、結構早く読了することになった。全体の構成としては、まずこの地域(インド・パキスタンから中国までが地域的な主要対象である)に跨る課題を取り上げた上で、個別諸国の動向を論じている。
共通課題については、戦後の米国主導の東南アジア秩序が、中国の台頭により揺れるASEAN統合の現状や、米国と中国双方との距離感を微妙に図りながら、北朝鮮対応を含めた半島の安全保障を模索する韓国の様子等、よく知られた課題から始まるが、インド・パキスタン・スリランカ・バングラ等南アジアでの宗教問題=ポスト世俗主義やアジアでのムスリム・ネットワークの分析(ISへの兵士供給ルート)、そしてアジアでの人身売買問題といった、今まで私があまり踏み込んだことのなかった分野が説明されているのが面白い。
個別国家については、まず韓国の「財閥改革と経済民主化」の議論が紹介されている。韓国については、まさに別途、最近出版された新書を読み始めたところであり、またこの論文は、現在の文政権(革新政権)成立前の物であることからの制約はあるものの、大きな課題である財閥対応に関し、@新自由主義の立場から、「株主(とくに機関投資家)による企業統治能力の向上を図って財閥への統制力を高め、株主資本主義的な見地からの改革」を目指すオーソドックスな議論から、A「株主資本主義を規制して財閥一族の経営権を安定させる代わりに財閥の社会的責任を果たさせる『社会的大妥協』を提唱」する主張、そしてB「利害関係者資本主義」の視点からの批判等々、「市民運動側の混乱ぶりをそのまま代弁する者になっている」という議論は参考になる。サムソングループ総帥の継承を巡り「お家騒動」が起きているといった報道もあるが、文政権が、この問題をどう捉えているかという視点で、最新のこの国に関する新書を読んでみようと思う。
次に取り上げられている中国についての中心的な論点は、改革開放後広がっている「新移民」についての分析である。中国人の海外移民については、歴史的には福建や広東といった華南地域からが多かったが、現代では、北京、上海等の大都市を含め、中国全土からの動きになっているという。そして改革開放後は、向かう地域もイタリア、ドイツ等欧州に向かう流れが大きくなっている。そして論者は、そこでできたネットワークにより、送り出した街の「欧州化=市街地の景観、文化、教育、消費生活の変容」が起こっているとも伝えている。またハルピンの近郊の街では、日本人「残留婦女・孤児」の存在から、日本との交流が主流になっているところもあるという。それに加え近年は、富裕層や中間層・知的エリート層を中心とした「第三次移民ブーム」が起こっているのはよく知られるところである。腐敗官僚らの資産移転を除くと、彼らの主要な動機は「環境汚染、食の安全性、教育環境、医療・老後対策」といったところで、中国の調査機関の制約から「自由・民主・人権」が理由といった回答はない。但し、そうした意識もあるのは事実であり、移民の増大が、「一党独裁体制の中国社会における矛盾」の顕在化であるのも確かである。しかし論者が言うとおり、「それが体制破綻に結びつくには、まだまだ長い時間は必要である」のは確かである。
フィリピンについては、開始から約40年を経て、今やこの国の「基幹産業」となった海外就労とそこからの外貨送金の実態(2014年で、海外直接投資と政府開発援助の合計額を凌いでいる)とその意味合いが分析されている。興味深いのは、大地主を起源とするこの国の財閥が、こうした海外送金の吸収先として、都市部での不動産開発(ショッピング・センターやコンド等)で、更に富を蓄積していること。これはもちろん貧富格差の拡大ももたらすが、それ以上に、この国の成長機会を奪っている(=競争力のある自国産業の育成ができない)ことが問題である。まさにこの国には、他に投資資金の吸収先がない、という構造問題である。これに対する動きとして、この国の豊富な資産である土地再利用を核として、「出身地の地域開発と雇用創出に外貨送金を活かす」試みである「トランスナショナル・コミュニティ」運動も紹介されているが、それがこの国の新たな成長分野を作る契機になるかは、個人的には疑問である。
ベトナムについては、よく知られたドイモイの成果と、それにも関わらず厳格に管理されている共産党一党支配の様子が説明されており、それ程意外な話はない。ただ、ネットの普及に伴う「平民」の声の高まりと、「全方位外交」に伴う外圧(国内の労働条件改善やインターネット開放等)に、どこまで現在の政治的強権支配が耐えられるか、そして中国との微妙な関係(南シナ海を巡る緊張と社会主義理論・実践での交流の継続)のバランスが維持できるか、という問題は引続き、この国の行く末を見る上で重要である。
唯一、過去に単独の作品を読んだ石澤が執筆しているカンボジアについては、彼の所属する上智大学によるアンコール・ワット修復プロジェクトの説明であるが、これはやや鼻につく。彼の単独著作の方が、圧倒的に読みごたえがあった。また、マレーシアについての論考は、マハティールの第一次政権時代のブミプトラとルック・イースト政策による経済成長政策から始まり、2015年の総選挙で終わっているが、言わば「中進国の罠」が現実になる中、TPP参加の是非に関わる議論や1MDB事件等でナジブ政権の求心力が失われている政治環境に警鐘を鳴らしている。ただこの辺りは、私自身が、その2013年5月の総選挙から2015年のマハティールによるナジブ批判、そして2018年5月の総選挙でナジブが失脚し、マハティールが首相に返り咲くまでを詳述(別掲:シンガポール通信)しているので、そちらの方を参照して頂きたい。
タイについても、2006年9月と2014年5月の2つの軍事クーデターを中心に、「赤シャツ(タクシン支持者)」と「黄シャツ(反タクシン派)」の分断と抗争を、政治過程の中で詳細に追いかけている。まさに私のシンガポール時代は、タクシン追放後の軍事政権時代から始まり、それに抗議する「赤シャツ」隊のデモ(2009年のシュバナプール空港やプーケット空港の占拠、2010年のバンコク解放区等)からインラック政権へ、そして私のシンガポールへの再赴任直前の、2014年5月のプラユットによるクーデターと、ある意味、傍から眺めていた懐かしいかの国の政治混乱の歴史であるが、内容的には、復習以外の新たな視点はない。最近の学生たちの軍政への抗議が、新たな国王への批判を含めた王室改革にまで及んでいることを考えると、この国の政治的混乱は、また新たな局面に入ったとも言えそうであるが、当然ながら、この論考はそこまではフォローできていない。
最後はインド。ここでも最近の政治過程を中心に解説されているが、面白いのは「1991年の政策転換以来、政権は基本的にINC(国民会議派)主導の連合政権とインド人民党(BJP)主導の連合政権の間をたらい回しされてきたのであるが、きわめてインド的と思われる特徴は、政権をとった党はINCであれBJPであれ、新自由主義の政策を推進し、野党になると政権奪還のため、ポピュリスト政策を掲げ、政府の政策や腐敗を批判する」という、政策的一貫性の欠如があり、これが「腐敗の温床」を生んでいるという指摘である。また更に興味深いのは、インド共産党が、ケララ州では1957年以降現在まで、政権をINCと相互に分かち合い、また西ベンガル(首都:コルカタ)では、1977年から2011年まで、34年間に渡り左翼連合政権を率いてきた点。そして西ベンガルで、その政権が失われた契機も、それが新自由主義的な「経済特区」政策をとり、そのために農民の土地を強権的に収容しようとしたことであったという(もともと共産党はその地域の農村改革で、農民に支持されてきた)。その政策の失敗で、進出を諦めたタタを呼び込むのに成功したのがグジャラート州で、その首相がモディであった、という落ちまである。ここでは、まさにINCやBJPのみならず共産党地方政権も同じ傾向があるということが示されている。そして、そうしたインド左翼運動の最後の砦となっているのが、「インド中央部の4つの州にまたがる丘陵地帯における新自由主義的鉱物資源開発」問題であるとして、その一つであるオリッサ州(インド最貧州のひとつ)での先住民強制立退きと、それに抵抗する先住民と毛沢東派の闘いのルポを紹介している。中央政府が、「グリーンハント作戦」と名付けた、ジャングルに潜んで抵抗する毛沢東派は、金権原理主義者にとっても、ヒンドゥー原理主義者にとっても、ムスリム原理主義者にとっても危険な存在である。しかし、その戦いは、先住民の人権無視という批判もあり、少なくともこの論文が発表された時点では解決からは程遠い状態であるという。現在のインドでは、都市部のIT産業の成長等が注目されているが、実はこの大国に、こうしたメディアではあまり報道されることのない陰部があるということを初めて認識させられることになった。またこれとは別の問題であるが、そのIT産業自体も、足元インドの存在感が低下しているという話も聞こえてきている。昨晩参加したWebinarで、インドが最近、WeChat他の中国製アプリ50種以上の国内での使用を禁止した、という報道を受け、講演者は、「それだけインドでも中国製のアプリの存在感が高くなっていることを示すことになった」とコメントしていた。もちろんインドが得意とするITは、欧米からの下請けが多いということで、こうした携帯型アプリとは若干異なるかもしれないが、それでもこの分野で、インドが中国に押されている可能性も否定できない。先端テクノロジーでの凋落と、新自由主義的開発政策の抱える政治的な問題。新型コロナの感染も、米国に次ぐ水準まで悪化しているこの国の一筋縄ではいかない近代化への難路を改めて認識させる論考である。
ということで、2015年までの、アジア全域の諸問題を論じた論文集であるが、自分自身でより細かく見てきたマレーシアとタイ等を除くと、今まで認識していなかった課題を含め、多くの知見を得ることができた。ただこの中で、個別国家としてシンガポールが論じられていないのは何故なのか?国としてあまりに安定しているので、あるいは、国の規模が小さいので取り上げる価値がないと判断されたのか?そのあたりは、この地域における「鵺的」存在としてのシンガポール故なのかな、等と勘ぐってしまったのである。
読了:2020年10月19日