アジア・ドイツ読書日誌と
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アジア読書日記
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著者:四方田 犬彦 
 著者は、1953年2月大阪生まれの「比較文学者・映画史家」で、東大人文系大学院博士課程を中退し、明治学院大学で映画史の教鞭をとった後、文筆活動に入ったようである。まさに私と同世代の評論家である。100冊を越える著作を出版しているというが、今までこの著者の名前を聞くことはなかったが、偶々図書館で「アジア関係」といった趣のある題のこの著作を手に取ることになった。当初は、衒学であるが、やや主題の定まらず拡散した小文の連続に退屈しそうになったが、途中から本格的なアジア関係の叙述が出始め、それからは結構面白く読み進めることになった。

 1990年から2013年にかけて様々な媒体に発表した小文をまとめたものであるが、書名が物語るとおり、東アジアから東南アジア、そしてイスラエル等の中東から一部欧州や南アメリカ関係も含めた話が並んでいる。それらは主として、著者がシンポジウムや取材で訪れた国々とそこでの映画関係を中心とした所見である。冒頭は、そうした国々を訪れた際の印象記が中心で、海外空港での入国時のトラブルやボスニアからクロアチアに向かう国際列車の社内での出来事といった、ある意味どうでも良いような小文が続き、ややうんざりとしていたが、20年ぶりに過ごした韓国関係の雑感からモンゴルでのチベット仏教の活仏の存在感について語るあたりから、俄然面白くなり始める。マニラのごみ山(スモーキーマウンテン=スラム)は2002年の小文なので、おそらく現在は相当変わっているのだろうが、当時のこの街の雰囲気を伝えている。ジャカルタの渋滞については2002年と2007年に2回触れられているが、これは私自身も体験したように、現在でもあまり変わっていない。2001年のカンボジア(7年前にようやくアンコール観光が解禁された)や2005年軍政下でのミャンマーでの仏像の話も、その後私が体験した印象とそれほど異なっている訳ではない。そして2007年のジャカルタと2008年のバンコクでの数か月の滞在日記。この二つは、私自身のこの地域での滞在開始時期のものであることから、引き込まれるように読み進めることになった。現地での映画関係者等の情報を元に動く著者の行動範囲は、当然ながら私自身の体験範囲と共通する部分を持ちながらもそれを大きく超えている。スラベシはマカッサル郊外での民間信仰と水牛を血祭りにあげる祭儀の様子等は、この国の習俗の複雑さを物語る報告である。アチェの博物館で見た、捕縛された直後のチュニャ・ディンの写真は、私も大昔に観たこの映画での彼女の姿とは大きく異なるものであったというのも心に残る。バンコク日記では、私自身の体験と重なるところは益々多くなるが、スコータイやチェンマイへの旅行では、著者ならではの「バックパッカー」体験が語られている。

 こうした旅行記の間に、彼の本業である映画論が挿入されている。日中の戦時映画を巡る考察や、ブルース・リー(著者は彼の伝記を書いている)と重ね合わせたジャッキー・チェンの「1911年」での戦略、あるいは大江健三郎の「飼育」をカンボジアに置き換えた同名の映画等。あるいは、1943年に日本本土で公開された、清水宏監督、李香蘭(「志那の夜」での上海の浮浪児、「黄河」での進駐してきた日本軍を迎える中国農村の娘、「萬世流芳」でのイギリスの侵略を受ける広州の娘、「東京暗黒街・竹の家」でのアメリカの秘密調査員に身を委ねる謎の東京娘等々)主演の「サヨンの鐘」。撮影は台湾山中で、皇民化政策を喧伝する格好の物語ということであるが、1957年に国民党政権下の台湾でも再度映画化されたという。

 またイスラエル映画。ユダ・レーマンの「約束の土地」(1934年)と、内田吐夢の「土」(1934年)、アーノルド・ファンク(ナチの映画監督)と伊丹万作が(結果的に)共作した「新しき土地(サムライの娘、1937年)」の比較。パレスチナ開拓と満州国開拓の対比等も面白いアプローチである。

 そして極めつけは、「アジア怪奇映画」の分客で紹介されている「ブンミ叔父さんの森」の理解。西洋の幽霊と比較し、むしろ民衆の生活の中で一緒に「存在」しているアジアの「お化け」を、雨月物語や水木しげるの漫画世界と重ね合わせて説明されると、何となくその気にさせられてしまうのであった。

 ということで、コロナ禍最中にオリンピックが開催され、それに対する賛否両論が飛び交う中、それとはまったく異なるアジアの映画世界を渉猟するこの本を意外と面白く読み進めることになったのである。同世代でこうした道を進んできた人間がいるということに、少し嫉妬を感じさせられたというのが正直な感覚である。

読了:2021年8月6日