週末アジアでちょっと幸せ
著者:下川 祐治
年初に台湾旅行記を読んだ著者の、2012年8月出版のアジア旅行記。韓国から始まり、台湾、マレーシア、シンガポール、中国、沖縄、ベトナム、そしてバンコクで、相変わらずマニアックな旅を綴っている。著者は、私と同じ年の生まれ、新聞記者上がりのフリーライターで、以前の本でも書いたが、それらの地域への、この歳になって、ひたすら数ドルの差にこだわる旅行は、あまり私の趣味ではないし、内容的にも、気分転換に読み飛ばす類の本であるが、今回はコロナで海外に出られないことで自分にストレスがたまっていることもあったのか、気分転換のネタとしてそれなりに楽しく読むことになった。ここではその内、マレーシアとシンガポール、そしてベトナムとバンコクについての旅を備忘録として残しておく。
クアラルンプールからマラッカに移動して、海岸でのんびりと夕陽を見る旅に続けて語られているのは、金子光晴の「マレー蘭印紀行」を辿る、シンガポールから、マレーシア南西部を巡る旅。「いくじのない男が、逡巡を抱えながらマレー半島を歩く」金子の本は、著者にとって「旅への渇望」を満たすもので、旅の時には常に携帯しているという。それに触発された旅は、シンガポールのリトル・インディアから始まり、ジョホール・バルを経由してマレーシアに移っていく。そこまでは私にとっても数多く辿った道である。しかし、ジョホールからパトゥパハ川、センブロン川、シンパンキリ川を遡行し、バトゥパハや、金子が訪れた当時日本人経営のゴム園や鉄鉱石の採掘場のあったスリメダンといった地名が出てくると、慌ててマレーシア南部の地図を眺めることになる。するとこの二つの街は、ジョホールからマラッカに向かう途上のマラッカ海峡側(スリメダンは、少し内陸)に位置することが分かった。横をマラッカに抜ける高速道路が走っているので、私は幾度もこれらの街の横を抜けていたことが分かった。シンガポール時代に、金子の本やこの本を読んでいれば、途中で立ち寄ることもできた可能性もあるが、著者のように熱帯雨林に囲まれた何もない川を、昔の文豪に想いを馳せながら、ただのんびりと遡行する旅は、今となってはもはや難しいのは残念である。
ハノイ北東部のベトナムと中国国境を越える週末の旅、というのも確かにマニアックだ。私は、結局ハノイを含めたベトナム北部を訪れる機会がないまま現在に至ってしまったが、この地域は言うまでもなく1979年の中越紛争で、ベトナムによるカンボジア侵攻への懲罰として中国が侵攻、占領した地域である。1984年には国境近くへのベトナムによる陣地構築に対し中国が攻撃をした中越紛争も起こっている。
そのきな臭い地域も、現在は気楽に外国人旅行者が行ったり来たりすることができるようになっているという。ハノイからベトナム側国境の街ドンダンへの長閑な旧式列車の旅(車掌に食事を提供したり、列車内を清掃したりすることで、列車の中での商売を許してもらっているおばちゃんたちの生命力には感服!)。そこから約1時間歩き中国との国境を、何事もなく越え、タクシーで、国境から20キロほどのところにある中国側の街、憑祥(ピンシャン)まで出て、そこから国際列車でドンダン経由ハノイのザーラム駅に戻ってくる週末の旅。さすがに、この地域に行ったとしても、ここまでの旅をすることは個人的にはないだろう。ただ確かに島国日本にいると、陸続きの国境というのはある種のロマンを掻き立てる。私が最も頻繁に超えた国境であるシンガポールとマレーシア国境のコーズウェイは海峡であったが、タイ北部ゴールデン・トライアングルのタイとミャンマー国境は狭いメコン川の支流だけの国境で、上にかかる国境のチェックポイントのある橋の下では、子供たちがその狭い川に飛び込み、双方の国を簡単に行き来していたものだった。このベトナムと中国国境もそんな感じがするが、国同士の間で政治的係争がなければ、一般民衆にとって国境は形式的な境界線というだけのことである。現在は長閑なアジアの一つの国境の報告である。
そして最後は、著者がアジアの拠点としているというバンコクの運河を巡る旅である。私のみならず、多くの観光客が訪れるダムヌン・サドアクの水上マーケットとは違う、一般の運河を遡行するボート。通勤などで使われる乗客の多い路線とは異なる、いつ出るかも、どこへ行くのかも分からないバンコク運河の旅である。2011年、大洪水に襲われたバンコクを最後に守ったのもこの運河であったが、確かに度々訪れているバンコクであるが、水上マーケットを除けば、私はこれに乗ったことがないことに気が付いた。この船旅は、今後機会があれば試してみたい気分になったのであった。
ということで、マニアックな旅をしては、それを旅行記として出版していく著者の人生は、それなりに大変だったであろうが、読者にとってはそれなりに参考になる。この同い歳の著者が、コロナで海外渡航が制約された時期、どう過ごしていたのだろうかは気になるところであるが、また次の面白い(特にアジアの)旅行記は、個人的に期待しているところである。
読了:2022年6月2日