アジアの不思議な町
著者:巌谷 國士
著者の名前は以前から耳にしていたが、著作を読むのは初めてである。今回改めて著者の経歴を見ると、1943年1月生まれ(現在80歳)で、フランス文学者、評論家、随筆家、写真家、小説家ということである。小説ではあまり食指を動かす著作はないが、シュールリアリズム関係では、面白そうな評論を残している。そしてこの本でも澁澤龍彦との交友などに触れられているが、そうしたシュール系の作品、評論が特徴であるようである。そしてこの1992年出版で2000年に文庫化されているアジア都市の紀行文でも、そうした著者の「非日常的感覚」が強調されている。確かに、アジアの町には、著者のそうした欲求を満たす要素が多いのであろう。ただこの著作の二年前に「ヨーロッパの不思議な町」を刊行しており、これはそれの「アジア版姉妹編」ということになる。
こうして中国から始まり、韓国、香港、タイ、シンガポール、インドネシア、インド、ネパール、トルコと続き東京で終わる、著者の「夢幻への旅」が独特の筆致で語られることになる。著者がこうした街を訪れたのは1989年から1990年頃であるので、私がロンドンから戻り、バブル期の東京から最初のアジア旅行を始めた時期に重なる。そしてそれから約30年経ってから、シンガポールを起点に、ここで取り上げられているある町は再訪、ある町は初めて回ることになるのであるが、ここではそうした私自身の旅行の印象と重ね合せながら著者の旅を追想してみたい。
まず中国であるが、桂林から始まり、昆明、広州、北京、杭州、上海と続くが、この国は、私は、数年前の北京と杭州への短期間の出張と深圳への一泊の私的旅行だけの経験しかないことから、個人的体験と比較することはほとんどできない。桂林や昆明など有名な観光地は、一度は訪れてみたい気持ちはあるが、桂林での川下りや昆明の石林の「宇宙的感覚」を除くと、著者の筆は料理等に多くのスペースが割かれている印象がある。旅の時期である1990年を考えると第二次天安門事件の直後であることから、そうした緊張感があっても良さそうであるが、その事件には数行触れられているだけである。確かにこの紀行文が、航空会社の機内誌に掲載されたことを考えると、あまり政治的なコメントは期待できないのは理解できるが・・。マルコポーロが「絶世の美女」と呼んだ杭州は、2019年頃に出張で訪れたことは前述の通りで、その時の空き時間で西湖やそれを望む公園などを散策した覚えはあるが、まあどこにでもある湖と公園であった。それを著者のように表現できるのは、さすが文章のプロとしての面目躍如である。また韓国の釜山やソウルは、最近でこそ韓国映画を観まくっているが、韓国自体が未踏の地であることから、余り個人的な印象はない。そしてその個人的体験ということであれば、それ以降の香港、タイ、シンガポールなどが、まさに著者の訪問時期と私の個人的なそれが重なることになる。
香港啓徳空港に初めて降りた時の恐怖感は30年以上経った今も鮮明に記憶している。当時の大阪伊丹等と同様に高層ビルの合間を縫って降りていくのはスリリングであった。その後、個人的に経験した三大恐怖空港として、モルジブ空港と併せてネタにしていたものである。当時は、近代的高層ビルと幾層にも上空に向かって継接ぎされた中国型雑居ビル(当時あって、その後解体されてしまった「摩宮・香港城」は、著者の関心に合致する場所と思われるが、ここでは触れられていない)のコントラストが印象的であったが、その後この街も全く「近代化」してしまった。今この町については、中国による政治的抑圧の強化だけが関心の対象であるので、時代は変わってしまったことを痛感する。別の意味で、著者の好むような「不条理且つシュールな世界」が日々深まっているということであろうか。
それと比較してタイは、30年以上前と今とでそれほどの本質的な違いはない。私が初めてバンコクを訪れたのが何時だったかは記憶がなくなっているが、その印象と、その後シンガポール時代に頻繁に訪れていた時のそれとはほとんど変わっていない。確かに30年前に比べれば高層建築も増えたが、主要な通りの周辺の雑多な雰囲気は、今も昔のままである。それが「天使の都」であるかどうかは兎も角、少なくとも個人的に大きな安堵感を与えてくれる町であることは変わらない。そしてそれは著者が書いていない、他の地域、例えばホアヒンやチェンマイ、メイサイ、あるいはプーケットやクラビのようなリゾートではもっと当てはまる。軍部によるクーデターが繰り返され、現在も実質的にはその支配下で、格差問題など政治的には多くの課題を抱えるこの国であるが、そこに生きる人々は相変わらずそんなことに構わず日々の生活を楽しみながら過ごしているようである。
そしてシンガポール。空港からの整備された道路や、チリ一つ落ちていないオーチャドロードの「ユートピアという名の無味乾燥な理想郷」という30年前の印象は、私の最初の訪問時の印象―なんとアジア的でない、つまらない町という印象―と重なる。そして著者は、本来は「民族と文化と生活の混沌を絵にかいたようなアナーキーを蔵している」この町の姿を「タイガーバウムガーデン」で感じることになる。30年前、私はここを訪れることはなかった。そして最近の12年間の滞在時に1回だけ行ったが、それで充分であった。この町は、アジアの混沌は必要ないし、それを意図的に消してきたのであるから。
インドネシアは、30年前の時期には個人的には訪れたことはなかった。またジャカルタについては、考えてみれば、シンガポール時代にも、仕事では何度も訪れたが、市内を観光することは全くなく、著者が訪れているモナスの展望台などの存在さえ知らないまま終わってしまった。別の見方をすれば、ジャカルタという町は、マニラと共に、その東南アジア一ひどい道路渋滞もあり、市内観光をしようという気にさせなかったということである。しかし、ヨグヤカルタのブランバナンやボロブドゥールの遺跡の印象は強烈で、またバリは、タイのリゾートと並び何度も足を運ぶことになった。中村雄一郎による「魔女ランダ」話は、バリに行く度に思い浮かべていたものである。これらの遺跡やバリには神話的世界が残っている。ヨクヤカルタの町でビールを求めてあちこちをさまよった(結局外人が泊まるようなそこそこのホテルでないとビールは提供されていなかった)のも、良い思い出である。
続いてインド。まずはカルカッタ(コルカタ)から始まり、途中ネパールはカトマンドゥに飛んだ後、再び戻ってガンジス川沿いの聖地ベナレス、アグラ、ジャイプールを経てデリーに戻ることになる。私のインド体験は、ビジネスでのムンバイ、デリー、バンガロールと私的旅行でのデリーとアグラであるので、著者の旅の一部をカバーしているだけである。しかも時期的には、最初のムンバイが2007年頃であるので、著者よりも20年遅れての経験ということになる。
恐らくその20年で、インドはそれほど変わっていないのではないかと思う。もちろん他の都市と同様に近代化は進んだのだろうが、例えば私の体験した21世紀のインドでも、近代的なビルを一歩出ると、そこにはあの混沌が残っていた。例えばデリーへの出張時、忘れ物を買い出しに出た通りに寝そべる多くの犬には狂犬病があると言われ、犬を踏み噛まれないように下を向いて歩き続けたことを覚えている。ムンバイで泊まったホテルが、私の滞在後、パキスタンのテロリストの襲撃を受け、日本人商社員が銃撃で死亡した事件もあった。それでもタジ・マラールの荘厳さや、それを建設した皇帝が後継者により幽閉されたアグラ城は、一度は行くべき場所であり、人に溢れたオールド・デリーと広い道路が広がるニュー・デリーの違いも、如何にもインド的で記憶に残っている。著者はガンジー関係の施設には行かなかったようであるが、それは、当時はまだなかった新しいものであったのだろうか。いずれにしろ、流石にこれからカルカッタやベナレスを訪れる機会はないだろう。他方、間に入っているカトマンドゥは、私はシンガポール滞在の最後に行こうと考えていたが、新型コロナによる国境閉鎖で諦めざるを得なかった場所である。将来まだ機会はあると思われるので、それまでこの旅行記は手元に置いておこうと考えている。そしてこの旅行記の外国編はインスタンブールで終わり、最後にその旅から帰った東京の印象に触れられているが、これらについては余り記載しておくこともない。
1980年代のロンドン時代に、若さもあり、欧州各国を皮切りに、中央アジアやアフリカ等を旅行しまくったものである。しかし、そこで出会った人々から、日本のみならずアジア各国の話を聞かれ、実は自分が日本以外のアジアに無知であることを認識し、帰国後のバブル期に東南アジア中心に旅を重ねることになった。そしてその後のドイツ滞在を経て、2008年から12年間シンガポールを拠点に、こうしたアジアの町を頻繁に訪れることになったのである。こうした自分のアジア体験を改めて振り返ると共に、今後訪れるかもしれない初めての町への思いを喚起させてくれる、古い出版であるが楽しい著作であった。
読了:2023年4月29日