アジア・ドイツ読書日誌と
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アジア読書日記
シンガポール
目覚めよ 日本 21の提言
著者:リー・クアンユー 
 先に読んだ自伝の第二巻は2000年9月に出版されているが、この小冊子、おそらくはインタビューに基づいてまとめ上げられたこの小著は、その出版とほぼ同じ同年5月の公刊である。想像するには、既に下巻を書き終えていた著者が、その執筆過程で整理した事柄を、来日等の機会にこうした形でまとめることを出版社と約したのではないだろうか。そう考えながら、同時期に書かれた自伝下巻の日本に関する部分を思い浮かべながらこの小著を読むと、この政治家のなかなか狡猾な対応の違いが見えて面白い。言うまでもなく自伝は、まずはシンガポール国民に向けて、そして世界に向けての彼のアピールであるのに対し、この作品はまずは日本に向けて書かれた特別企画物である。従って、自伝で見られた戦争中の日本の残虐行為と、それに対する謝罪を行わない戦後日本政府への強烈な批判は影を潜め、むしろシンガポールを含めアジア諸国が見習いながら成長路線を模索してきた日本経済への称賛がより前面に出ることになる。その日本経済が、バブル崩壊と共に長い低迷期に入っている。まさに失われた10年が経過したところで、その日本にエールと喝を送っているのがこの作品である。

 中には、「私が日本の首相であったら、どうするか」という、今年私も参加した会議で彼に対して発された「サクラ質問」と同じ問いを自問していることころもあり、少し笑ってしまったが、実際には「日本に対する提言」という体裁を借りた「自国及び自分のアピール」である。しかし、当然のことながら、文化も、経済的基盤も異なる、人口5百万人以下のこの小国の政治・経済・社会問題に対する手法は、残念ながら日本に直ちに移植できるものは多くない。その意味で、「日本に対する提言」としてはあまり役に立たないが、ことシンガポールの統治に関する彼の考え方は、自伝以上にまとまっている。そして、それに賛同するかどうかは別にすれば、彼の考え方は自伝以上にシンプルで論理的であることが改めて明らかになる。その意味で、この地の政治的カリスマの考え方を整理する意味で格好の作品であった。

 エピローグではまず戦時中の日本の残虐行為と日本軍の恐怖支配が語られるが、それはただちに別の印象にとって代わられる。それは日本敗戦後の日本人捕虜のプライドの高さと、与えられた仕事への徹底的な献身、そして降服宣言での軍人たちの毅然たる態度などである。そして次に彼が日本と接するのは、日本が高度成長の端緒にあった1962年の初来日から。以降、彼はシンガポールへの日本からの直接投資を薦めると共に、日本の復興の教訓を自国に持ち帰ろうとする。その過程で、日本の「職人技」の見事さ(四国の小さなホテルの料理長と帝国ホテルの靴磨きが例として挙げられる)や、70年代の石油危機を乗り切った日本人労働者の組織的行動力について感銘を受けたと語る。更に日本企業の品質管理や企業別労働組合制度、経営者の一般的経歴、そして環境問題など。しかし、こうした多くを学んできた日本経済が90年代以降、厳しい不況にあえいでいる。著者は「この何十年にわたる未曽有の繁栄のせいで(日本は)病んでいる。長期にわたる高度成長期に日本モデルが成功しすぎたために、変化を求めることが非常に難しくなっている」と考え、そうした日本の復活のために、自国の経験から学べるところがあるのではないか、と、以降の議論を展開する。

 彼の議論の核は「グローバル化していく世界経済に対していかにして門戸を開いていくか」、そしてそのために「教育、文化、メディアをはじめ、社会全体をもっと国際化し、世界的な視野をもつべき」であるという考え方である。天然資源のない小さな国であるシンガポールは始めからこうした開放政策をとるしか生き残りの道はなかった。従ってこのシンガポールの経験は日本の変化の参考になるのではないか。
 ここで「もし自分が日本の首相だったら」という思考実験を行う。まず個人としての国際化―「自分自身の中核となるアイデンティティを保持したまま、グローバルな行動様式を選択する」―を推奨するが、ドメスティックに生きてきた日本の政治家にこれはほとんど期待できない。次に「国民がどういった社会を望んでいるか、特定するのが先決」であり、また「日本はどのような未来を描いているか」を国民全員に真剣に考えてもらうという。しかし、これも1億数千万人が同床異夢の中で生きる成熟社会日本と人口5百万弱の都市国家シンガポールとでは比較にならないくらい質的な相違のある世界である。こうして出てくる5つの提言、@物心両面での世界への門戸開放、A未来に関する政府案の提示、Bそれに関わる活発な議論、C世界との意思疎通、D新しいヴィジョンと目標提示に向けてのリーダーシップについて、ここで細かく議論することはしないが、例えば「国際化」ひとつとっても、シンガポールは「国際化」することが国家生存のために必須であったが、日本の「国際化」はその功罪につき、そもそも多様な意見がある分野であり、シンガポールほど単純ではない。その意味で、シンガポール・モデルは日本の変革に簡単につながらず、彼も簡単に日本の首相になれる訳ではない。ただ、日本が低迷していることがアジアの発展にとって大きな懸念であることは間違いない。しかし、この作品が発表された後、アジアの機関車役は中国が担うようになり、著者も日本以上に中国ににじり寄るようになった。そして、その中国も大きく後退したのが今回の世界的不況であったとすると、著者の努力も足をすくわれたと言えるのかもしれない。
 
 第二章以降は、シンガポールの自画自賛になるが、これはまさに自伝の要約である。独立後、経済成長を達成するまでの困難、近隣国との軋轢、多民族・多文化国家の統合、「ガーデンシティ構想」等。理想主義とヴィジョン、そしてそれを実現する精神的・肉体的強さ(リーダーシップ)。しかし、自伝がそうであったように、勝利者はそれを自画自賛できるが、それが他国のモデルになるかというとはなはだ疑問である。グローバル化の中で成功したシンガポールというコンセプトは、先にそれ以上成功している日本ではもはや発展の論理としては機能しなくなっている種類の議論である。また「すべてのボタンが機能しているか」を指導者が直接チェックしろという議論は、そもそもQCが組織化されて高度な水準に達している社会から見ればあまりに当然のものである。イデオロギーを捨てて「実用主義に徹しろ」という議論は、そもそもイデオロギーの「イ」の字も分からない日本の政治家には不要である。人材の活用は当たり前の話であるが、内容的には言わば前時代的な「ハングリー精神育成」の時代を引きずっているような議論である。

 第三章では、シンガポール経済発展のコンセプトとして、「自由で公正な貿易を通じて物産、思想、文化が融合し、共通の利益を生むことを基本に建設」されたシンガポールが、「資本やノウハウ、経営管理者、エンジニア、販売技術などを他国から借り入れる、あるいは受け入れることに抵抗はなかった」ことを説明している。ゼロからの立ち上げの議論としては意味があるが、成熟社会の転換の議論としては弱いと言わざるを得ない。しかし、アジアの「四匹の虎」、そしてセカンド・ティアー諸国が発展した基礎に日本の貢献と「儒教文化」があったと言っているのは、その通りであろう。特にアジア諸国の場合、政治的安定が経済発展の大きな前提条件であることは言うまでもない。

 しかし、そのアジアは、日本のバブル崩壊とその後のアジア通貨危機と大きな洗礼を受けることになった。著者の日本のバブル崩壊にかかわる認識は概ねそのとおりである。「1990年にバブルが崩壊した時、(日本は)政治的に強力なリーダーシップをとれる人材に恵まれていなかった。」まさにその通りである。政権が目まぐるしく変わる中、1996年に自民党単独政権が復活したが、「景気を回復させるための政治的安定性も持続性もリーダーシップもなかった。」これもその通りである。そしてこの「絶望的かつ悲観的なムード」を払拭するために必要だったのは「消費や投資を増大させることではなく、国民に声をかけ、自信を取り戻させることのできる指導者あるいは集団だった」と看破するのである。1999年以降、日産が、ゴーンのもとで大きなリストラが行われたことが、日本人の自信のなさを象徴していたと著者は考える。そして今日本が必要なのは「自国経済の開放」「経済全体の完全な開放」だとする。

 しかし続けて、1997年のアジア危機は逆に、経済の開放が早すぎたことから発生したと言うと、著者の議論もやや混乱してくる。東アジアの課題は「組織を合理化し、腐敗した非効率な部門を一掃」し、「投資家の信頼を取り戻し、資本を呼び込むこと」であると考えるが、日本との違いは、東アジアは資本不足であるが、日本は資本が過剰であるという点にある。東アジアと違って、日本は資本を必要としているわけではなく、むしろ過剰な資本の投資先が枯渇し金が回転しなくなっていることが最大の問題なのである。もちろん、そうした問題に対して、国民に明確なヴィジョンを提示して、リーダーシップを発揮していくことは必要であり、その点で著者の一般論としての提言はその通りである。しかし、ここでもアメリカ的リーダーシップとドイツ的リーダーシップが異なるように、日本型リーダーシップとシンガポール型リーダーシップとは異なるのだ。以前いた会社で感じていたように、小国シンガポール型ビジネスモデルは、確かにこの国では有効であったが、規模や文化の異なる成熟国家日本では必ずしも簡単に機能しないのである。しかし最後に著者が「アジア・ルネサンス」に言及し、「アジアは、経済的に成長し生活水準を向上させる能力が自らにあることを世界に示した」だけではなく、「欧米モデルとはまったく違うやり方、システムでも成長が可能であることを証明した」と言う時、それは十分に納得できる。「欧米型の世界観を塗り替えること、すなわち大国の覇権主義から平和共存へ、そして単一基準から世界のさまざまな地域に向けた複数基準の共存」を目指すという発想は、全面的に賛同できるものである。

 こうして著者は最後に「二一世紀のための二一の提案」で本書を締めくくる。それは著者が今まで主張していたことを改めて繰り返しているだけであるので、以下に項目だけ記載しておく。@人材の開発―適任者の選択、A福祉政策の限界の認識―自力更生の薦め、B機能するものを残すー冷静なプラグマティズム、C指導者の信念―風見鶏の批判、D政治指導者のリーダーシップ、効率的行政と社会規律、E変わるべきものと変えるべきでないものの見極め、F家族の重視(儒教文化)、G宗教の保護、H人間の顔をもった資本主義、I貧富の格差を埋めるための人材と天然資源の活用、J民主主義の定着のための市民社会の形成、K民主主義への脅威としての不況の回避、L行き過ぎた自由の規制(いかにも!)、Mコンピューター民主主義への疑問―技術への過信の回避、N一人二票制の検討(若者二票、老人一票)、Oグローバル化で変わるものと変えるべきでない価値の選択、Pグローバル文化への疑念、Q世界政府への疑念、R国民国家単位での発想、S思考し学習する国家、21、普通のアジア人と違う日本人としての自信の回復。これらは日本の復活とアジアの発展への貢献に対し、改めて送られるエールである。

 結局、著者の「提言」の中で、唯一検討に値するのは、「国際化」と「市場開放」という議論であろう。前述のとおり、日本における「国際化」には色々な側面があるが、その中で、政治指導者を含めた国民一般の国際化に限定すれば、それはこのグローバリズムの時代に当然必要な資質であると言える。町の中のどこでも英語が通じるここシンガポールは確かに便利であり、特に欧米資本を呼び込むための大きな基礎インフラになっている。他方、最近でこそ地方リゾートが外人招致に懸命になり、英語の流通を進めてきたが、東京を含め、一般の人間の英語力はまだまだというのが日本の実態である。しかし、国境を越えると文化も言語も違う欧州大陸で暮らした私からすれば、ある国に来れば、まずその国の言葉を話すのが最低の礼儀である。シンガポールは、その意味で言語的に怠惰な欧米人に甘えを許す国なのである。シンガポールにとっては資本を呼び込むために、そうした甘えを許容することは必要だったのであるが、あえて日本がそれを真似る必要はない。そして日本の「国際化」として必要なのは、単に英語が街で流通するようにすることではなく、欧米のみならず世界各国の人々が、それぞれの文化や発想を持っていることを肌身で理解し、国際関係の中でそれにきちんと対応できるようにすることである。もちろん、個人として多くの言語に堪能になることは、それはそれで素晴らしいことであり、著者が英語に加え、中国語(それも北京語だけではなく福建語方言も)やマレー語を習得したというのはりっぱであるが、一般の個人にそこまで期待することはできない。社会全般としての国際理解というのが、日本にとっての当面の目標であろう。

 「市場開放」の議論は、成熟国家日本の場合は、まさに既得権益の大きな変更を生じる課題であるだけに、著者が考えるほど簡単な話ではない。そもそも日本の市場が「開放」されていないかどうかについても議論が分かれるところである。既に述べたように、過剰な資本を国内に要する日本が現在の閉塞感を突き破るために必要なことは、単に「開放」により外資を導入することではなく、それも一つの契機として利用しながら、時代の変化を受けた新たな日本型の経営や社会統合のスタイルを作り出し、それに対し国内で眠っているその巨大な資本を活用することである。著者が言っている通り、「日本人は自信をもたなければいけない」という一般的な提言はそのとおりであるが、具体的な変革の道は、まさに自分自身で考えていかなければならない、という至極当然の結論が、この作品を読んだ上での最終的な感想である。

読了:2008年11月13日