シンガポールを知るための62章(第二版)
編著:田村 慶子
毎週通っている中国語レッスンで、一時期クラスメートであった北九州大学大学院教授の編著によるシンガポール案内である。この国の政治、経済、社会、文化等の幅広い範囲を62のテーマに分けて、分かり易く説明している。
4年前、こちらに来た時に、他のASEAN諸国に比較してシンガポールについては、概説的な説明書がないと感じていた。それでも既に掲載している岩崎育夫の香港との比較史や、リー・クアンユーの自伝などで、この国の凡その概要を掴むことが出来た訳であるが、実際にはこの本を最初に読んでおくべきだったというのが第一印象である。というのも、この本で触れられている多くの説明は、こちらに滞在している4年間の日常生活の中で、周囲の人々との会話や新聞記事などを通じて徐々に学ぶことができたものが多いのであるが、それでも先にこうした知識が頭に入っていれば、あえてゼロからそれを学ぶ必要はなかったからである。他方で、滞在が4年を過ぎて読んだこの本は、私がこちらに来てからこの国について学んだことの復習のようになってしまったのである。しかし、復習は復習で、自分自身の実感をもう一回測定し直す良い機会である。そしてところどころではあるが、まだ私自身にとって未知であった世界についても、詳しい論者が解説してくれている部分もある。ここでは、まずこの国の政治、経済、社会に関わる復習部分の重要事項を眺めた上で、私が未知であった世界について若干のコメントを加えておくことにしたい。因みに、この改訂版は2008年9月の出版であるので、データはこれ以前のものが多く、我々の世界で「リーマン・ショック」と呼ばれる事件が起こった後については言及されていない。但し、編著者との私的な会話によると、既にこの本の改訂版の話が出版社から持ち上がっているということでもあるので、その後の動きも押さえた新版もそのうち登場することになるかもしれない。
編者が直接執筆しているのは、主としてシンガポールの歴史及び政治関係と、この国の政治・社会を見る時に重要なエスニシティ、及びジェンダーに関わる部分である。この内、歴史と政治関係及びその大きな要素であるエスニシティについては、前述のとおり既知の説明がほとんどであり、またジェンダー問題、なかんずく女性の地位に関わるこの国の状況は、日本と比較しても大きな特徴があるとは思われないので、ここでは歴史・政治関係を中心に、個人的に特記すべきと思われた部分を見ていくことにする。
まずは、「抗日救国運動」と題された、南洋華僑の中国本土への強い帰属意識についての説明である。既に1915年の「二十一カ条要求」や1919年の「五四運動」時からシンガポールにおける日本のプレゼンスが高まっており、それに中国本土への日本の進出に対する反感が加わり、日本製品ボイコット運動や日本商店・家屋襲撃が発生していたというのは、その後のこの国と日本の関係を考える上で重要である。特に、この動きを政治的・財政的に主導したタン・カーキーという存在は、今まで私は余り認識していなかった。恐らくはリー・クアンユーが、人民行動党内での「中国派=共産党シンパ」を排除し、国民意識をシンガポール国家に向けさせるように強制していった段階で、この人物も事実上抹殺されたのであろうが、歴史的にはこの国の華人が故郷を思う気持ちを長く持ち続けていたことは、別に書いた、孫文と辛亥革命に対する南洋華僑からの絶大な支援も含め、忘れてはならないであろう。
政治に関しては、圧倒的に、この国の管理国家的側面の説明が多くなる。「規制と罰金」や「法文化」、若年時からの選別を志向させる「教育制度」、家族主義的な倫理観の押し売りなど、日常的に我々が感じているこの国の「明るい北朝鮮」的性格を浮かび上がらせている。その中では政権がコミュニティ・センターという「草の根」の基盤をその管理に徹底的に組み込んでいったこと(この戦略は、リーが自伝の中でも、「共産党の戦略を逆に活用した例」として誇らしげに語っているものである)、しかし、社会の成長と安定化に伴い、これが「地域社会への貢献に生きがいを見出す」人々の新たな基盤になりつつあるという指摘が面白い。
更に最終章の「強く巨大な政府」で改めて、この国家を支配する人民行動党とゲリマンダーを軸とするその選挙政策、そしてその指導者としてリー・クアンユーと現首相リー・シェンロンを簡単に紹介している。選挙に関しては、やはりこの本で取り上げられている2006年の総選挙で野党が惜敗したグループ選挙区(GRC)アルジュニードにおいて、2011年の総選挙でついに野党がGRCで初の勝利を獲得し、外相ジョージ・ヨーを引退に追い込んだことを、この国の一つの変化と捉えることが出来るだろう。実際、別掲の2011年の総選挙報告にも書いた通り、この選挙運動中にリー・シェンロンは四項目の謝罪を行うなど、国民へのアプローチを変える判断をしたと思われるが、この本で紹介されているような、父親と変わらない彼の過去のタカ派的発言を考えると、その変化は、私がこの国で体験した初めての選挙で感じた以上に重要な変化なのかもしれない。また、編者が自ら、リー・シェンロンの初婚の夫人の死が「自殺であったといわれる」と注釈しているのは、昔から、「シンガポール人であれば誰でも知っている」、しかし書くことのできない「タブー」と言われているこのテーマを、日本語とは言え、初めて文字にした、という意味で拍手喝采である。更に、孤高の野党議員ジェヤラトナムについても、今まではリー・クアンユーの自伝など、政権側からの批判対象として言及されたものにしか接することができなかったことから、こうした共感を込めた紹介を読むのは心地良い。実際、編者からは、5月末に行われた潮州移民が多数を占めるホーガン選挙区での補欠選挙(現職の労働党議員が女性スキャンダルで失職したことを受けた選挙。結果的に労働党が議席を維持)の野党ラリー(選挙集会)に出席した時の演説言語に関する面白いコメントも直接聞いたが、こうした野党人脈も持っているのは、この国についての研究者としては、リスクもあるのだろうが、たいへん貴重である。
政治の延長としての外交についても、編者は幾つかのテーマで筆を取っているが、やはり特記すべきは別の筆者が説明している中国との関係であろう。「『中国の影』と対峙してきたシンガポール」という表現は、特に印象的である。特に国内に華人社会での共産党支持層や華人とマレー人等の民族対立を抱える中で、自国に対する国民意識を育てる必要のあったこの国が1970年代半ば、接近を図ってきた中国に対して「親近感を打ち消す行動に終始し、中国とは全く違う主権国家である事実を中国首脳に確認を迫った」という。そして最終的に、中国との国交を樹立するのは、冷戦終了後、インドシナ情勢が安定化した1990年に、しかもインドネシアの対中国国交回復を待ってからであったというのは、まさに東南アジアの小国の生存の知恵であったといえる。
しかし国交樹立後は、対中国政策は大きく転換する。特に経済面では、90年代半ばから関係強化を試みることになるが、それを象徴するのが、中国蘇州における工業団地開発案件である。これについては、後の経済に関する章でもう一回詳細に説明されているが、ケ小平とリー・クアンユーのトップ会談で決定され、1994年に開始された中国初の政府間地域開発プロジェクトであるこの計画は、シンガポール側がノウハウに加え、総投資額200億ドルの65%を負担するという形で始まったが、その後現地の地方政府が独自に進めた開発区との競合などもあり立ち上がりが遅れることになる。シンガポール側からの催促や批判にも関わらず成果は上がらず、結局2001年に多くの累積損失を抱えたまま、シンガポール側が主導権を中国側に引き渡し、最終的に2008年時点で、シンガポール側の出資は28%まで引き下げられたという。またこのプロジェクトは、シンガポール側の責任者が当時副首相のリー・シェンロンであったことから、リー・クアンユーが「中国でのビジネスの教訓」と総括し、リー・シェンロンの経歴に傷をつけないように配慮したとされている。しかし皮肉なことに、この頃から中国の成長に乗る形で、この工業団地も完売し、更なる区画拡張に入ることになる。最近は、インドやミャンマーでも、シンガポールはこの工業団地開発による経済協力を提案・実施していると伝えられているが、言わばその失敗体験としてこの蘇州プロジェクトがここでは説明されているのは面白い。そしてその後の中国との経済関係の一層の緊密化と、それに伴う中国人労働者の流入を受けて、今後は「『中国の影』だけでなく、本物の中国自身と向き合わなければならない」と結んでいる。尚、ゴー・チョクトンにより進められたインドにおける工業団地計画については、中国とバランスを取るためのインドとの関係強化として、編者自身によりコメントされている。しかし、インドとの関係強化という面では、シンガポールのインド人社会が、高学歴の専門職のみならず、事業家もあまり関心を払ってこなかったというのは、私自身の実感にも合う指摘である。
編者以外の人が執筆しているのは、社会や文化など生活の細部に関る部分と経済に関する説明である。このうち経済に関しては、多くの部分を、私の勤務する金融グループ会社のシンクタンクの担当者が執筆しているが、これは日常的に目にしている金融機関によるレポートで既に最新の情報が届けられているものが多い。また取り上げられているテーマで、私が認識していなかったのは、前述した、中国蘇州における工業団地開発の苦い経験の話くらいである。
他方、書かれている順序は前後するが、社会・文化面では、今まで私が認識してこなかった世界の一部が紹介されている。それは、この国も文学や伝統芸能の世界である。
これまでも多くのところでコメントしてきたように、この国には固有の文化成果物がほとんどない、というのが私の正直な印象である。それはASEANの周辺国が、それなりの王朝文化の歴史を持っているのに対し、この国があくまで英国による植民地化以降、「移民が金を稼ぐ町」として成長してきた歴史によるところが多い。更に、この本でも紹介されている多様なエスニシティは、本来であれば多様な民族・宗教の混交・軋轢の中で新たな緊張に満ちた文化を生み出す可能性を秘めていたにも関わらず、特に戦後の管理社会化の中で、そうした自由な発想とそれを表現することが抑圧されてきた。あえて言えば、そうしたエスニシティの混交は、「プレナカン文化」のように、料理や衣服、あるいは一部の映画やテレビ・ドラマといった「政治的に無害」な世界だけで許容されてきたのではないか、と思われる。その結果、この国の博物館や美術館の常設展示物は、一度見れば十分で、そこから受ける刺激はほとんどない。華人によるオペラや演劇等もあるが、残念ながら普遍性を持っていると思われる作品に触れる機会はなく、それであれば、外タレのコンサートのほうが余程面白い。更に文学の世界になると、今まで全くといってよいほど、この国で作家やその作品の話を聞くことがなかったものである。そしてそれが、基本的にこの国での生活をエンジョイしながらも、かつて欧州に生活していた時との比較で言うと、決定的に日常生活での刺激が欠如していると感じざるを得ない理由であった。
ここでは、それに対する若干の回答が用意されている。まず英語文学の世界では、この国の英語詩の先駆者であるエドウィン・タンブーといった名前が紹介され、彼が「経済発展至上主義の人民行動党イデオロギー」に飲み込まれた後、彼を越えようとする人々が徐々に育ってきていることが紹介されている。またフィクションの世界では、戦中・占領下のシンガポールを描いたリム・ティアンスーという作家による作品もあるというが、これなどは、政府による単純な日本占領時期の解釈と異なる世界が表現されているか気になるところである。演劇の世界では、シンガポールならではの「多言語劇」なども紹介されているが、これはおそらくついていくのは難しい世界だろう。華人文学ということで、シンガポールにおける中国語文学の変遷などにも触れられているが、一応この国でも文芸雑誌が存続しているということは一筋の希望をもたらしてくれる。その他華人伝統芸能として紹介されている「地方戯」や「華楽」も以前から興味は持っているものの、なかなか実際に見たり聴いたりする機会がないものである。後者は、かつて中国の女子十二学坊等で触れた種類の音楽ではないかと思われるが、それを中国文化の土壌のあるこの土地で聴くのはまた違った感覚をもたらしてくれるかもしれない。また「地方戯」も、この本で紹介されているインターネットの関係サイトなどを通じ、こちらに滞在している間に鑑賞する機会を持ちたいものである。
そもそも中国語レッスンのクラスメートであった編者の職業を知ったのは、当地の商工会議所出版の月刊誌で、新たな地下鉄や高速道路計画に際して、政府が、立ち退きや移転を余儀なくされる墓地(ブキット・ブラウン墓地)や公営住宅(ローチャー・センター)の関係者と対話を開始した、という趣旨の編者の短いルポを読んだ時であった。確かにこの国の経済至上主義と権威主義の歴史を知っていると、こうした政府の姿勢は明らかに、都市開発のためには有無を言わさず土地収用などを行ってきた従来のスタイルと異なるものに思われる。そして今回、この編者によるシンガポールの説明を受け、通時的にこの国を眺めてきた研究者にとっては、こちらに来て4年という短い期間の印象しかない私以上に、この事実は重要性を持っているのではないかと思われたのである。北朝鮮と同様に、歴史の偶然で、国家の資源やインフラがない状態で、独立国家としての道を開始せざるを得なかったこの国は、合理主義的発想に依拠する英語教育を受けたエリートの指導により、時として急激な政策転換も行いながら、ある意味での瀬戸際政策を成功させてきた。しかし、多くの途上国がそうであるように、生活水準の向上と政治・経済・社会のグローバル化の進展は、危機の時代の政策からの転換を促すことになる。まさに昨年の総選挙の結果とその後の政府の政策遂行手法の変化に見られる通り、この国も今まさに大きな転換点に差し掛かっていることは間違いない。既に触れた、この本の新版が編集される時には、この国に対する編者の見方や評価が変わることも大いにあり得るのではないか。そんな思いを抱かせてくれた「シンガポール入門書」であった。
読了:2012年7月1日