シンガポール
著者:ケント・カルダー
米国ジョンズ・ホプキンス大学教授で、長らく日本研究に携わってきた知日家が、シンガポールに関する著書を上程した。かつて日本の成長過程で、日本の成功の制度的要因を分析してきたという学者が、現在はシンガポール・モデルに関心を移している、というのは、日本モデルが時代の要請に会わなくなっているという認識を示しており、あまり愉快な話ではない。しかし、日本政府からも勲章をもらっているような知日家が、次の時代の方向性を探る上で、シンガポールに注目しているのも決して的外れということではないことは、この地で生活していると良く理解できる。もちろん、シンガポールのような小国のモデルは、日本にそのまま当てはめられる訳ではないことは常識で、著者も十分それは分かっている。そして、ここで紹介、分析されている多くは、この地で生活しているものにとっては特に目新しいものがある訳ではないし、著者が触れていない負の側面も多く存在する。それを前提に、その中でもやや目を引いた部分を中心にレビューをしておきたい。
「スマートな都市、スマートな国家」という副題を持つこの作品で著者は、特に「国内政策の優先事項、機関における革新性、人事慣習、外交戦略」が、グローバル化の時代に、日本のみならず、その他の多くの国にとっても今後の政策決定の参考になると見ている。実際、国家予算全体に占める社会福祉関係予算の割合は、シンガポールは日本の約半分であるのに対し、教育関係は日本の約2倍、というのが、シンガポール・モデルと日本モデルの相違を端的に示している。それは、単に国の規模や地政学的な要因のなせる技なのか?
まず取り上げられているのは、「機関における革新性」で、それはシンガポールの公共機関が「前向きな『本質的な自律性』を保ちながら、伝統的に官僚制国家に内在する欠点を回避している」、として、発展過程でのこの国の公共機関の実績をレビューしている。
ここでのポイントは、独立後の混乱期から、その後の成長期を通じ、この国の官僚制が、「社会のニーズを捉えることに細かく特化」し、「世界の他国の官僚制と比べて政治的圧力がかかることは少なかった」という議論である。これは私の見方では正反対で、むしろこの国の官僚制は、実質的な一党支配のもとで、完璧な政治主導の機関であり、逆に、それが徹底していたが故に、ある意味「効率的」な業務遂行ができたということだと考えている。それは、高度成長期の日本のように、政治を超えた官僚主導による経済成長を実現した、ということではなく、まさに政治に100%仕える有能な技術家集団であったのである。もちろん彼らが能力主義で選別され、また好待遇から有能な人材が終結したことは、そのとおりである。「結束したエリートによる行政は、省庁間で強く競い合うことがなく、官僚組織のトップをさらに結束させ、情報が回らないことはない」というのも、政治主導が完璧であったが故で、日本は、逆に官僚主導で具体的な政策決定が行われていた故に、時として省庁間の競争、対立が発生することになる。それは、言わば政治的な「民主制」の有り様の問題で、シンガポールは小国であるが故に、そうした「全体的なアプローチ」が可能であったと言える。
こうした公共機関による成功した政策例として、HDBによる住宅政策、CPFによる貯蓄・社会保障政策、そしてEDBによる外国企業誘致政策が説明されている。
HDBとEDBの実績については、あまり異論はないが、CPFについては、昨今いろいろな批判が出ていることは、この本では触れられていない。即ち、著者は、「最小限」で「機能を付与する」CPFシステムが「国民に貯蓄口座を強制的に与え、疾病、定年といった人生における問題に直面する際のリソースを用意させる」ことで、「国民が自立するのを援助するだけでなく、成長と社会全体の安定をも促す」、即ち、国民の住宅取得を促すと共に、社会保障面での自助努力の意識を高め、結果、先進諸国が苦しんでいるような、国家予算における社会保障費の高騰を抑制している「賢い」「世界でもっとも成功を収めている貯蓄制度」だと褒めちぎっている。実際、労働人口に占める政府機関職員の割合は、英米が10−16%であるのに対し、シンガポールは5%未満(但し、日本も約5%)、GDPに占める政府支出の割合は、米国14%、日本20%に対し、シンガポールは約10%で、しかもそれは「40年にわたり着実に『減少している』」。
しかし、実際には、多目的積立・年金基金であるCPFファンドが、主として住宅取得に費やされ、その結果老後年金の枯渇を招くことになっている、という議論が、昨年後半当地の新聞でも頻繁に取り上げられ、リー首相が改善を約束することになった。そもそも主要メディアが政府のコントロール下にあるシンガポールで、こうした記事が登場するということは、政府自体が問題を認識し、対応を取ろうとしていることを国民に示したということである。それは他方では、3年半前の総選挙で、与党の得票率を大きく減らした「格差意識の拡大」と併せて、こうした社会保障制度への国民の不安が高まり、政府としても、それを受けた対応をとらざるを得なくなっていることを示していると言える。
有能な人材を育成するために、かつてリー・クアンユーが、そうした人材を自分の個人秘書として手ずから教育したというのは、初めて知る事実であった。その例として挙げられているのが、ヘン・スウィーケアト(Heng Swee Keat)とレオ・イップ(Leo Yip)である。特に前者は、財務大臣としてリー・シェンロン以降を担う第4世代のホープとして期待されていたが、昨年秋に、閣議の最中、脳卒中で倒れることになる。その後半年のリハビリを受け、この春の予算発表で「奇跡の復活」を遂げるが、首相の激務は難しくなったと言われている。後者のイップは、この本では内務省次官と紹介されているが、それほど存在感はない。時代が変わる中、シンガポールの後継者育成も転機を迎えており、次の世代を担う指導者レースも混沌としているのが現状である。
その他、多民族国家である社会の安定を確保するための、PAによる地域「草の根」運動や、政府による民族構成を考慮した主要ポストの配分政策などが語られるが、これは良く知られているところである。ここでは、昨年、次期大統領を、現在の公選制になってからまだ実現していないマレー系から選ぶことが決定されたが、これはこの本ではまだ触れられていない。
シンガポールの教育水準の高さは、OECDの調査などの各種のデータで知られているが、それを支えている制度の一つが「エドゥセーブ」という財政支援プログラムであり、また高等教育を援助する「中東教育後教育口座」もあるというのは、この本で知ることになった。その結果、冒頭に述べたように、教育関係には日本の約2倍という戦略的配分が行われている。それに対し、雇用創出という観点では、失業保険制度はなく、「その代わりに、職を創出し雇用情報を効率良く伝えるための、コストのかからない訓練、生産性向上、情報提供プログラムを重視」し、政府予算を押さえているという。ただこの面でも、日本と同様昨今は、「雇用のミスマッチ」が発生しているという話も聞こえているので、著者のように、手放しで賞賛できる訳ではない。また企業活動についても、テマセク等の政府ファンドが実質コントロールする政府関係企業(GLC)の民営化を進め、「最小限だが市場志向」の運営により「この10年来、非常にグローバル化」するのに成功した、と評価しているが、他方でそれ以外の固有の「Made in Singapore」が育っていないのも確かである。またGLCの優等生チャンギ空港で、今週(5/17)発生した、小火による5時間にわたるターミナル閉鎖といった、日本では考えられない事故や、頻繁に生じている地下鉄の運行停止、遅延等も、この国のインフラ関連企業の脆弱性を示している、と感じる。むしろ著者がEDBの活動として紹介している外国企業誘致により、この国の企業活動が支えられているというのが実態であろう。そしてその面では、著者が指摘しているEDBによる「ワンストップ・サービス」に加え、最近では、知財の紹介活動など、新たな材料を使った「人の褌での相撲」のネタを探すなどの努力が行われており、それらは典型的なシンガポールの「生残り策」だと感じている。これは後に「グローバル・ハブ」という観点から再度取り上げられ(現在私が勤務している、バイオポリス、フュージョノポリスや、そこでの国際研究プロジェクトCREATEもここで紹介される)、更にそうして開発した製品や蓄積したノウハウを周辺諸国へ輸出していくという戦略が紹介されているが、これは国の規模からも、自前の産業を持てない国が取らざるを得ない窮余の策である。余談の類であるが、民族紛争がようやく落ち着いたルアンダのカガメ大統領がシンガポールの政策に心酔し、それに従った国家、都市再建を試みている、というのは面白い。
外交・軍事面では、これも良く知られている「幅広く多面的」な関係構築が説明されている。特に私の興味を引いたのは、国家予算に占める軍事費が米国に匹敵し、英国や日本のほぼ5倍、実額でもベトナムの2倍という規模であること。それ自体が有事の際に機能するかは個人的には疑問であるが、少なくともこの国の危機感の強さと国民に向けての自衛意識高揚という意図をもったものであると理解される。そしてそれ以上に重要なのが、政治軍事的パートナーシップで、例えば日本や韓国と異なり、米国と公式な条約関係を有していないにも関わらず、米国に対してはチャンギ海軍基地などでの「一流のインフラ」と「目立たない中継基地」の提供、共同軍事訓練、事前装備の提供、情報活動協力を行っている。まさに、今回の北朝鮮での緊張が高まる中、出港したカールビンソンはシンガポールに停泊していた。また米国のみならず、今週行われた海軍創設50周年式典に合わせて、日本の自衛艦「いずも」が入港するなど、多くの国と事実上の協力関係を築いている。その反面で中国とも「幅広いトップレベルの安全保障会談」を続けている。地政学的位置と小国であることを生かした「八方美人」政策がここでも生かされているのは周知の事実である。実際日本が、ここまで節操なく振る舞うのは難しい。
国であると同時に都市でもある、という二面性は、外交でも生かされるが、同時に「都市政策の実験室」「都市政策の中心地」としても注目される。ハイテクの活用、移民社会の融和、そしてエネルギーの効率的利用の3つが、著者の上げている、都市としてのシンガポールの特徴である。確かに他のアジアの都市と比較し、外国人にとってもこの町が住みやすいのは誰もが認めるところである。またERP等のハイテク・システムによる交通コントロールのような先進的な交通対策も目を引く。ただそれは生活コストの上昇と引き換えに実現されているものであり、コストと快適さの間のバランスが壊れたり、シンガポール人の中での格差意識拡大といったリスクも抱えているものであることは忘れてはならないだろう。因みに、シンガポールの電力源は、約95%が「最もエネルギー効率も費用帯効果も良く、環境にも優しい」ガス火力であるとのことである。
かつて成長期の日本を分析した議論がそうであったように、旬の国を分析すると、どうしても「岡目八目」になってしまう傾向があり、この作品も、ややその傾向がない訳ではない。そして著者が至る所で「賢い国家」、「賢い都市」といった言葉を連発すると、「おいおい、それはあまりに褒めすぎだよ」と突っ込みたくなるところも満載である。実際にその町で生活していると、生活実感として見えるデメリットも当然存在するし、それは外から眺めた分析とは必ずしも一致する訳ではない。
しかし、著者は最後に、このシンガポールの政策は「グローバルな時代への対処のためのガイドとなりうる」としても、これが普遍的にその他の地域に適用できるかどうかは、もっと時間をかけて、このモデルの帰趨を確認しなければならない、というヘッジをかけている。グローバルなトレンドを追いかけるためには、常に変化する環境に対応できる柔軟な政策決定が必要である。シンガポールがそのための基盤を有しているのは確かであるが、それが常に世界の変化に適応できるかどうかは、当然不確実である。小国で、国内外の資産の絶対額が限られている中、それに失敗した場合の凋落が速いのも確かである。今後政策運営を任される次の指導層が、そうした「賢明さ」を維持していけるかは、まだ全く不透明である。その意味で、この本は、私が普段日本等からの客人に説明している話しを、その優位性と問題の双方の側面から改めて確認させてくれたのであった。
読了:2017年5月14日