生涯投資家
著者:村上 世彰
コロナヴィールス騒ぎの中、読了。一時期世間を騒がせ、インサイダー疑惑で有罪判決を受けた後、シンガポールに移住、現在はこの地をベースに活動している著者の投資哲学を語った2019年12月出版の文庫本(単行本は2017年6月刊)である。これを、「シンガポール読書日記」に掲載するのも、やや趣旨が違うが、他方で、彼がこちらに住んでいなければ、これを買って読もうという気にもならなかったと思うので、取り合えずご容赦頂きたい。
世間を騒がせていた頃、彼が、灘中高、東大法学部を経て通産省の官僚(16年勤務したという)というエリートから、「モノ言う投資家」となったことは知られていたが、彼の父親は台湾人の投資家(当時から当地の財閥であるホンリョン・グループのオーナー等と友人で、一緒に投資や事業をやっていたという)で、彼は幼少の頃から、父親の「投資教育」を受けて育ってきた、ということは知らなかった。また最近では、投資先との交渉で、彼の娘が表に立って活動している、という話を聞いていたが、彼女が、2015年の村上事務所家宅捜索等のストレスから死産をしていた、というのも、この本で初めて知ることになった。そうした日本の司法により、自身のみならず家族も辛酸を舐めたことを知ってから読むと、確かに彼が、当時世間で言われていたほどの、冷酷に収益だけを追求する守銭奴のアクティビストではないことは理解できる。
1999年に通産省を退職し、運用会社を立ち上げることになるが、この時彼を支援したのが、ザ・アールの奥谷社長と彼女が紹介したオリックスの宮内社長で、その後、その関係から福井元日銀総裁や西川三井住友銀行頭取、そして日本マクドナルドの藤田社長、セゾンの堤清二会長、リクルートの江副等との人的関係が広がり、一部はファンドへの出資者となり「村上ファンド」がスタートすることになるが、この辺りはファンド起業家としての彼の能力を物語る話である。こうした人々を惹きつけた彼の投資哲学の基礎にあるのは、日本の上場企業の「コーポレード・ガバナンス」の改善であり、経営者が日本的株式持ち合いの上に安穏と居座り、企業価値を高めようと努力しないことに対し警鐘を突き付けることであったとされる。確かに彼が狙いを定めた昭栄(日本初の敵対的TOB。但し失敗)、東京スタイルや文化放送―TBS−フジ産経グループ(ここでは、こちらで時々お会いする銀行時代の先輩が登場。その先輩がこちらでの拠点としているSt Regisのホテルのレストランで彼に呼び止められたが、必死で逃げたという話を聞いたことがある)等は、こうした傾向が顕著な企業(ないし企業グループ)であったということが理解される。また西武グループの再建や阪神鉄道を核にした関西の鉄道大再編計画への関与も紹介されているが、これはやや個人的な思い入れの大きい案件であったようである。またIT関係については、彼は「自分は得意ではないので、その分野で目利きのきく者のアドバイスで少額の投資に留めている」としているが、楽天の三木谷を含め、その分野での著名なベンチャー経営者との接点も持っていることが語られている。
そして90年代の金融危機以降、こうした企業に対する銀行持ち株が放出(著者の言う「デット・ガバナンス」の希薄化)され、株主が多様化する中で、「エクイティ・ガバナンス」の比重が高まり、その流れの中で、著者のような「モノ言う株主」の存在感が増したことは間違いない。アメリカでは既に主流になっていたこうした流れを日本に持ち込み、日本の経営者の意識に危機感をもたらすと共に、日本企業の成長を促そうとした著者の試みは、それなりに時代的意味があったと言えるし、著者も指摘しているとおり、その後の主として機関投資家向けに提唱されたスチュワードシップ・コードの導入など、株主と経営の対話を促す制度的枠組みの整備に繋がってきたことは間違いない。
しかし、そうした既往秩序への攻撃は、当然激しい抵抗も生むことになる。彼の訴追以降の動きは、そうした中で、政府・検察の標的となった先駆者の宿命も示すことになるのである。2006年にインサーダー容疑で逮捕、有罪となった後、彼はファンド・マネージャーとして生きることを辞め、現在は(もちろんたいへんな資産家であろうが)シンガポールで自己資金のみの運用を行っているという。そうした中で、低迷する日本の復活と日本企業の時価総額を高めるために、株主視点に立った経営改革を提案すると共に、NPO活動(東日本大震災へのボランティア参加)や、相変わらずの日本やアジアの不動産、あるいは介護事業や飲食関係、そしてホリエモンと組んでのフィンテック等への投資活動は続けているようである。ただここシンガポールでの生活はやや退屈してきた感があり、ゴルフをやりながら考え事をして、カートのまま池に落ちたり、プールで泳いでいる最中に気を失ったりしたため、最近は運動については「車が入れない公園や川沿いなどに限定して、走ったり早歩き」をすることくらいしかしていないようである(逆に、ボタニック・ガーデンやシンガポール川沿いをフラフラしていれば、彼にお目にかかれるのかもしれない)。1959年8月生まれであるので、私よりも約5歳年下の60歳過ぎ。私自身は、ここまで金に執着する気にはならないが、他方でほぼ同世代と言っても良いこの男の人生に、少し羨ましいという気持ちを持ったことも否定できない。
読了:2020年3月25日