アジア・ドイツ読書日誌と
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アジア読書日記
シンガポール
南十字星の誓い
著者:森村 誠一 
 私は、森村誠一という作家を全く誤解していたようである。大昔、「人間の証明」とか「野生の条件」といった角川で映画化された作品などで彼の人気が高かった頃、そうした流行作家で、さして深みのないエンターテイメント重視のミステリー作家と思い込んでいて、今の今まで彼の作品に触れる機会がないまま過ぎていた。そして、シンガポールからの帰国後、かの地の友人がこの作品について触れているのに接したが、その際、書店や古書店で探してみたが、彼のコーナーでこの作品を見つけることが出来ず、そのまま時が過ぎることになった。ところが今回ふとアマゾンを覗いたところ中古の文庫本が見つかりようやく読むことが出来たのであった。そしてその結果は、最近の私の読書、特にフィクションの中では圧倒的な感動をもたらしてくれたのであった。原作は、2012年7月(著者は、1933年生まれなので、69歳頃)の出版である。

 出版社で婦人総合誌を担当している女性記者が、物心がつき始めた頃から、祖母から聞いていた戦中のシンガポールで、イギリスから接収した植物園や博物館、図書館などを、日英科学者たちと協力して守り抜き、戦後ほぼ無傷で返還した話を、祖母の死後、シンガポールでの当時の縁故者を訪ね再構成する、という形式をとっている。しかし、物語の主人公は、その祖母、冨士森繭(まゆ)である。

 1940年、外務官僚となって間もない繭は、上司から調査官としてシンガポールに赴任するよう指示され、かの地に赴き、シンガポール植物園、博物館に魅了される。しかし、そこでは戦火の兆しが高まり、1941年の日本軍によるマレーシア上陸と翌年2月のシンガポール陥落を経て、日本軍の統治が始まる。そして昭南島となったこの島のこの文化遺産を、まずは日本軍による破壊、略奪から守るための、そして1944年以降は、今度は日本の敗戦色が強まる中、抗日ゲリラ等の攻撃から守るための闘いが繰り広げられ、それが日本の敗戦後、英国に無事に戻されるまでが、詳細に描かれることになる。それは、実際にその文化遺産の保持に奔走した日本人、英国人、現地華僑らの実話と、繭を主人公とした植物園・博物館員の、文化に配慮しない日本軍や、抗日ゲリラ、なかんずく中国の暗殺団との闘いというフィクションを交差させながら進む。前者については、日本軍によるシンガポール当地の実態―それは占領直後の華僑虐殺から始まり、戦局安定時の日本軍や在留日本人によるこの地での能天気で勝手な振舞い、そして敗戦前後の混乱や敗戦後の戦犯裁判等が、太平洋戦争の大きな展開と重ね合わせられながら描かれる。そうした中で、文化遺産を守り抜くために、国籍や戦争の勝者・敗者等には関係なく、多くの人間が協力したことが語られている。また後者は、繭と彼女の盟友テオの連携による抗日ゲリラや、中国の暗殺団との闘いと、それを通じての二人の絆の深まりと別れ、という物語となる。前者の実話の部分では、改めて日本によるシンガポールを含めた東南アジア地区での植民地支配の稚拙さを感じさせると共に、後者では、スリル満点の死闘と、繭とテオの想いと別れに、大きな感動を与えられる。終幕の二人の別れの場面では、久々に目頭が熱くなるのを感じたのであった。シンガポール滞在時、特にコロナで海外渡航が制限された滞在最後の6か月には、この植物園を度々訪れる機会があったが、その際、この作品を読んでいなかったことを、今になってたいへん悔いている。

 後書きで、著者は、この作品のために参照した図書を掲載しているが、その中でも本文中にも引用されている、この小説の主要登場人物の一人であるコーナー博士著の「思い出の昭南博物館」は、実話部分で最も著者が参照した作品であると思われる。以前から気になっていたこの新書を早速アマゾンで注文した。そして、読了後には、この文庫本とそれを合わせて、シンガポールの旧友に送ることを考えている。

読了:2022年1月31日