ヌサトゥンガラ島々紀行
著者:瀬川 正仁
正月休みに読み進めたのは、高校時代の友人による、ヌサトゥンガラと呼ばれる、バリ島からチモ−ル島にかけて東に延びたインドネシアの島々を巡る旅行記である。著者は、映像ジャ−ナリストとしてこれまでも世界各地を旅し、特に少数民族問題を中心に興味深いTV番組を提供してきた。私がじっくり見たものの中では、特に「サマリア人三千年の祈り」と題された、パレスチナに残るキリスト教徒の飛び地の歴史と現在を描いたルポが、自分のパレスチナに関する知識を補うものとして印象に残っている。個人的には、それ以外にもタイやミャンマ−の奥地で生活する少数民族の話しなども酒の席で聞かせてもらったこともある。
その著者が、2005年に2ヶ月にわたり、このヌサトゥンガラと呼ばれる島々を旅した記録がこの作品であり、著者によると、「雄弁であるが、不器用な」映像が時として削除せざるを得ない部分を含め「思う存分」書いた、という著者最初の文字によるレポ−トである。自らが断っているように、インドネシアや文化人類学の専門家ではない著者ではあるが、こうした素材にもなりそうな観察も随所に織り込んだ面白い「ロ−ド・ム−ビ−」に仕上がっている。
この作品の魅力は、文明から離れた未開の地を旅する著者のハプニング続きの「冒険談」に加えて、その旅をする地域であるこれらの島々が持っている文化的、宗教的、民族的多様性にあることも間違いない。日本では、インドネシアと言えば、ジャカルタに三万人を越える日本人社会があるジャワ島、観光の中心であるが、それ故最近でも2回の大規模テロに襲われ、日本人被害者も出たバリ島(中村雄一郎の「魔女ランダ考」は青春時代の愛読書であった)、そして一昨年末の津波で大きな被害を受けた内戦地域でもあるスマトラ島北部のアチェ(かつて見た、独立の闘士・巫女であるチュナ・ディンについての映画で強い印象が残っている)が時折日本のマスコミに登場するくらいであるが、余り取り上げられることのない、しかし上記のような多様性に溢れたそれ以外の地域の情報は貴重である。特に資源外交を含めて、政治・経済レベルでも関係の深いインドネシアが、これほどの多様性を持った国であることを認識することは重要である。
まずこの本から、夫々の島で、特に興味深いテ−マを抜き出していくと、次のとおりである。
・バリ島(ヒンドゥ−教):バンダ海やインド洋のマグロ基地。「RW」と表示される犬料理店。劇薬を使った輸出用熱帯魚漁と環境破壊。
・ロンボク島(イスラム教):ウォ−レス線(ユ−ラシア大陸とオセアニア大陸の間の動物境界線)。衰退するイカット生産と略奪婚。土着宗教であるウェトゥ・トゥル信仰とモスレムの混交。
・スンバワ島(イスラム教):スンバワ人(西部)とビマ人(東部)。娯楽は西が水牛レ−ス、東が競馬。火山被害のギネス掲載(タンボラ山)。故ダイアナ妃が王子たちと滞在した高級リゾ−ト。6年前からの金・銅鉱山開発と公害の懸念。旧日本軍と「ロ−ムシャ」。
・コモド島:世界自然遺産に指定されたコモドオオトカゲ(コモドドラゴン)。観光客の激減。
・フロ−レス島(キリスト教):フローレス原人と現代の小人家族。巨石信仰とそれをめぐる儀式。スカルノ幽閉の地エンデ。温泉と火山の島。ポルトガルの伝統に則ったララントゥカの復活祭と伝統村運動。テロによる衰退。
・スンバ島(キリスト教):パッソ−ラの祭り。宗教指導者ラジャとニャレ(イソメ)による開催日の決定(ニャレ伝説)。石引きの儀式と手作りイカット。
・チモ−ル島(キリスト教):白檀を巡るオランダとポルトガルの植民地支配の抗争と分割(西:オランダ、東:ポルトガル)。日本軍の拠点。ヤシの葉によるタイヤの応急措置。西欧化した東チモ−ルの首都ディリ。奴隷市場の港アタププ。アロ−ル島への「大航海」。
・アロ−ル諸島:代替通貨モコ(青銅の太鼓)と物語による価値。
・ソロ−ル諸島:アドナラ島の首狩りの風習。レンバタ島のクジラ・イルカ漁。
次に、これらのテ−マの幾つかにつき、もう少し掘り下げた感想を述べていこう。
@宗教的多様性
旅の始まりのバリ島はヒンズー教徒多数派の島であるが、わずか30キロほどのロンボク海峡を渡ったロンボク島はまたジャワ島等と同じイスラム教徒多数派の島になる。しかし、また東に行ったフロ−レス島やスンバ島は、キリスト教が主流となる。現象面だけからみれば、そもそもヒンドゥ−王国の伝統を維持したバリを例外とすれば、ジャワ島に近い島はイスラム、遠くなるに従ってキリスト教の島が多数派になるような印象である。想像であるが、これは統一後のインドネシア政府による植民地時代の慣習に対する政策があったのではないか。即ち、ジャワ島から離れた、政治的にも重要性の低い島々には、文化的同一化を要求することもなかったことから、植民地時代のキリスト教が残ったと考えられないだろうか。こうした「辺境」に近い過疎の島々が、島内での宗教紛争もなく、言わば文明から遠ざかろうとする著者の旅を面白くしていると言える。
A民族紛争
こうした観点から、インドネシアの民族紛争を見てみると、ある種の構図が見えてくる。現在インドネシアで地域紛争が発生しているのは、先に触れたアチェの独立運動の他にも、イリアンジャ(西イリアン)独立運動、アンボン宗教紛争、西カリマンタン紛争等であるが、その多くが、そもそも歴史的に独立王国が成立し、且つ現代に至り天然ガスを中心とした資源を有することが明らかになったことから、これを巡る中央政府との争奪戦という側面を有している。ここには、海洋国家であり、宗教的にも、また植民地時代の宗首国も異なる島々を統一国家として維持していかざるを得ないインドネシアの難しさがあると言えるが、他方で、この本で取り上げられてるヌサトゥンガラは、こうした資源がなかった(あるいは森林資源等が植民地時代に既に枯渇してしまった)故にこうした紛争が回避され、古い習俗も残ったものの、その分政治的関心は引かず文明からは取り残されることになったのだろう。その意味で、これらの島々は、現代の欲望から逃れるためにはうってつけの場所であると言える。
B文化人類学的関心
冒頭にも触れたとおり、著者は文化人類学の専門家ではない、と断っているが、この作品にはこうした観点から興味深い多くの素材が散りばめられている。上記のテ−マで言えば、略奪婚やパッソ−ラ祭といった習俗は、レヴィ=ストロ−ス的に見れば色々体系だった説明ができるのであろう。
そうした中で、一つ特記すべきは、アドナラ島の首狩りの風習である。ここでは、村落紛争解決の方法として、応報刑的な同数の首狩りという習慣が、20世紀になっても残っていた、という。
現代のカウンタ−カルチャ−的研究の中に、「ポストコロニアリズム」という範疇があるが、これは言わば旧植民地の側からの対抗文化運動を理論化しようという試みであるが、昨年読んだ本橋哲也による新書「ポストコロニアリズム」の中で、この「首狩り」という風習が、植民地支配者による抑圧の論理として誇張されて喧伝されたことが主張されている。植民地支配者は、言わばこの「首狩り」習俗を、原住民を「文明化」という名目で収奪するための理屈として使った、という見方である。同種の例としては、アメリカ・インディアンによる頭の皮剥ぎといった、ある文明圏では残虐に見える習俗を誇張するという発想は、伝統社会を見る時に、常に注意しなければならない発想である。ここでは、著者は、この習慣を、出身地の名誉を賭けた戦いの一手段としてある意味冷静に見ているが、こうした地域に経済価値がある場合は、一昔前であればこうした習俗は、簡単に「野蛮な原住民」というレッテルを張られ、「収奪の論理」の材料と化してしまっていただろうことは忘れるべきではない。そして繰り返しになるが、こうした習俗が残っていること自体が、この地域の政治・経済的重要度が低く、忘れられていたことの証しなのである。
C旅行記としての関心
以上のような、やや生臭い話はさておいても、こうした地域が旅行記の素材としてうってつけであることは言うまでもない。かつて、アフリカや中近東、あるいは旧ソ連圏中央アジアを観光で旅した者として、これらの地域がその後政治紛争により危険が高くなってしまったことはたいへん残念であるが、このヌサトゥンガラは、「文明」的な不便の数々にも係わらず、政治的危険は少ない場所であると言える。こうした地域を旅しながら、慌しい都会の「文明」生活で貯まり貯まったアカを洗い流したいと考えるのは、多くの都会人にとっては一つの大きい夢であることは間違いない。その意味で、著者のこの作品は、私に束の間の夢を見させてくれた作品であると言える。
読了:2006年1月3日