インドネシアー世界最大のイスラームの国
著者:加藤 久典
新刊の新書。著者は1964年生まれの宗教社会人類学者で、現在は中央大学総合政策学部教授で、1990年から2009年まで、アメリカ、インドネシア、オーストラリア、フィリピンに滞在しているが、その間の合計8年をインドネシアで暮らし、そこから2009年に帰国している。ここでは、インドネシアにおけるイスラームの潮流とその現状を、この国の伝統的風俗・習慣との関係も考慮しながら説明している。一般的な国の解説書とは異なり、この国や関連する国際的な政治・経済史は、この国におけるイスラームの立ち位置を分析するための背景として使われているに過ぎないと感じられる。
確かに、世界最大のモスレム人口を抱えるこの国におけるイスラームの位置は独特である。同じ東南アジアでも、マレーシアがイスラームを国教としているのに対し、インドネシアではそれは国教ではなく、あくまで国としては世俗国家である。実際現在でもバリ島のように、ヒンドゥが主流の地域もある。しかし他方で、昨今はジョコ・ウィドド(ジョコウィ)政権の下で、イスラーム組織の重鎮を副大統領に任命するなど、イスラーム回帰が進展しているようにも思える。しかし他方で、相変わらず時折発生するテロ事件とそれに対する対応は、宗教的教条主義の存在とそれに対する強い警戒感も示している。こうした「インドネシア的イスラーム」はどのように形成され、またどこに向かっていくのだろうか。
インドネシアは、イスラーム伝播以前にはヒンドゥ教や仏教が広く信仰され、また地域に根差す精霊崇拝も根強く残っている。また地域的にも広大で、2万近い島々から構成される群島国家 であることもあり、第二次大戦後の独立にあたり、他の東南アジア諸国と同様、近代の植民地支配を行った西欧列強が定めた国境をそのまま受け継ぐことになるが、国民概念の形成は簡単ではなかった。そこで打ち出されたのが、独立時にスカルノにより宣言された@唯一神への信仰、A人道主義、Bインドネシアの統一、C民主主義、D社会主義という「パンシャシラ」=「国家の5原則」であり、それは特に、他宗教を容認する@を含め多くのムスリムにも受け入れられ、現在まで保持されてきている。著者は、これはインドネシア社会の「柔軟性」と「寛容性」を示し、「(イスラームの)教義を理念として貫徹するよりも、現実的状況のなかで教義と実践の折り合いをつけることに価値を見出してきたことの証である」としている。ただ、それにも関わらず、この原則を含め、戦後のインドネシアでは、宗教と政治・社会を巡る緊張は様々な形で続いてきた。そうした姿を著者は、具体的な政策課題や社会紛争を提示しながら紹介していく。
ジョグジャカルタのスルタンによる、市長ポストの選挙に拠らない世襲の継続は、インドネシア社会で精霊信仰が、人々の間で依然大きな信頼を得ていることの証左であるが、続けて説明される「原発反対運動」は、現代的課題についてのこうした伝統的信仰と政策課題との軋轢を示すことになる。建設地住民の反対運動は、日本でも見られる地域住民の不安の表現である(著者は、それが、日本では失われた「大地の精霊の怒り」とそれに屋対する「怯え」の理念だとしているが、それは根源的には日本でも残されている感性だと思う)が、ここにムスリム団体がファトワ(宗教的決定)で介入するというのがインドネシアの特徴である。そのファトワで当該計画に対する反対が表明され、建設計画は中止されるが、ファトワ自体は、原発の建設地や安全性についての「条件付き」反対であり、「原子力そのものを否定しているのではない」というのが「極端主義」を排するこの国のイスラームらしいと言える。
こうした政治と宗教の軋轢について、スハルト独裁政権時代は、スハルトが権力でイスラームを抑え込み、宗教勢力も存続のため妥協を余儀なくされた(1990年にスハルト主導で設立された全インドネシア・ムスリム知識人協会への主要イスラーム知識人の参加等)。スハルトの権力掌握の契機となった1965年の9.30事件では、共産党関係者の大量虐殺にイスラーム団体も深く関わったと言われている。しかしそのイスラーム団体も、権力掌握後のスハルトによる、華僑資本の優遇と富の独占、広がる汚職や縁故主義、そして「何よりもシャリーアを認めないスハルト政権の世俗主義」に不満を抱くことになるが、独裁権力の前に現実的な対応を取らなければならなかったという。他方イスラーム強硬派の抵抗は、1981年のガルーダ航空機ハイジャック事件や1985年のボロブドゥール爆破事件等のテロとなっていくことになる。
1998年のスハルトの退陣(スカルノ時代は「旧秩序」、スハルト時代は「新秩序」と呼ばれているという)と共に、それまで抑圧されていたイスラーム勢力の活動が活発化する。退陣後の混乱の中で、それまで華僑に対して溜まっていた不満が、イスラーム勢力による華僑虐殺事件ももたらしたが、著者は、その過程で大きな役割を果たしたイスラームの二人の指導者―アミン・ライスとワヒド(グス・ドゥル)―について紹介している。前者は「近代派」、後者は「伝統派」と呼ばれているが、前者は、インドネシアの文化や風習により変化したイスラームをむしろ本来の姿に戻そうとする姿勢、後者はそうしたインドネシアの伝統的なイスラームを保持しようという姿勢であることから、前者はむしろ、後で説明される「教条主義者」に近い立場となる。両名ともスハルト批判の前面に立ったが、結局非ムスリム少数派も取り込んだワヒドが、その後第4代大統領に就任する等、影響力を強めることになったという。言わば、「穏健派」の土着化したイスラーム勢力が勝利したということになる。但し、ワヒドは、「それまでの政治の慣例を無視した政権運営や野党折衝、細かいことにこだわらない大雑把な事務処理などの影響で国会との関係が悪化」し、2年程度の在任期間後に罷免されることになる
著者はインドネシアにおけるイスラーム指導者たちと直接接触し、彼らの考え方を調査してきた。そうした中から浮かび上がってきたのは、伝統的な神学的な教義理解を根本とする「教条主義」と、それに対しそれを越えて新たなイスラームを創出しようとする「自由主義者」まで、様々な潮流があるということで、それらを対比しながら説明している。「自由主義者」は、ワヒドの考え方を受継ぎ発展させようという流れ。他方、「教条主義者」は、より厳格にイスラームの戒律を護持しようという流れで、こちらは「反イスラーム」的な行為(ラマダン期間中の飲酒等々)に対する暴力的な攻撃も辞さないこともある。そしてこちらのグループには、インドネシアのドロップアウト、つまり底辺層のメンバーを多く抱える傾向があるという。ただ、著者は、こうした「教条主義者」の何人かとも会いーその中には、アルカイダとの繋がりがあるとされるジャマー・イスラミアの精神的指導者の一人、と言われる人物もいるーその考えをヒアリングしているが、彼らが皆こうした「反イスラーム」的行為や異教徒に対する暴力行為を認めている訳ではなく、例えば一夫多妻制に象徴されるイスラームの女性蔑視についても、あくまで女性保護を目的としたものといった範囲で正当化されるという考えを語るものもいる。また異教徒の強制的な改宗は求めず、ジハードにしてもあくまで防衛的なものに限る、という姿勢も見られるという。そして著者は、ワヒドによる「数百の民族と、歴史的に見てもイスラーム以外の影響を強く受けている文化を無視することなく、インドネシアの風土、歴史的背景、他民族や他宗教の社会状況に合致したイスラームの構築」を改めて評価することになるのである。2016年に発生した当時のジャカルタ市長で華僑系キリスト教徒のアホックに対する「宗教侮辱罪」という批判とその後の彼の罷免、有罪判決により、インドネシアのムスリムが「イスラーム回帰」という間違った方向に向かっているのではないか、という議論もあるが、著者はこれも「ムスリムのアイデンティティ批判」に対する防衛的反応であり、決して「他宗教との共存を望まない偏狭なイスラーム至上主義」という訳ではないと考えている。そして最後に、土着化したインドネシアのイスラームの「宗教的純粋性」を強調しながら、「他宗教との共存を志向し、テロリズムに代表される過激思想を否定する「イスラーム・ヌサンタラ(列島イスラーム)」運動に対するジョコウィの支援等も紹介しながら、この寛容性の維持が、この国のイスラームの発展にとって重要な実験となるであろうと期待するのである。この運動が、LGBTに対する姿勢などで必ずしも積極的ではない、という課題を指摘しながらも・・。
偶々足元米軍のアフガニスタンからの撤退とそこでのタリバンによる、予想を上回る速さでの政権掌握、そして次の週末には2001年の米国同時多発テロから20周年を迎えるタイミングでこの新書を読むことになった。もちろん、米国のアフガニスタンからの撤兵という歴史的転換は、この本では触れられていないが、これが象徴するように、欧米とイスラーム関係諸国との関係は、依然一筋縄では行かない状況が続いている。著者が指摘しているとおり、中世の十字軍以来、西欧キリスト教国はイスラーム関係諸国に対しては警戒的な姿勢と強圧的な政治対応を行ってきた歴史があるが、それが今や通用しなくなっていることは間違いない。そうした時代において、インドネシアのイスラームの今後の動きや、それを念頭に置いた我が国や欧米諸国の、この国やその他イスラーム関係諸国との関係については、引続き流動的な環境が続くであろうことは疑いない。現在は、この国での新型コロナ感染状況が悪化する中、イスラーム問題はあまり顕在化していないように思えるが、コロナが落ち着けば、上記の中東情勢とも関連し、ここでのイスラームの動きが注目されることは十分考えられる。私もシンガポール滞在時に、公私合わせて何度も訪れ、ある時は、ジャカルタ中心部でのテロ直後に、警備の生々しい状況も体験したこの国のイスラーム対応を考える際の一つの切り口を示唆してくれる著作である。
読了:2021年9月5日