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アジア読書日記
インドネシア
インドネシアの土地紛争
著者:中島 成久 
 1949年生まれの法政大学教授(文化人類学専攻)によるインドネシアの共有地等を巡る土地紛争等を報告する2011年5月出版の新書。こうしたニッチな世界を追いかけている研究者がいる、というのも驚きであるが、他方で、スハルト独裁の崩壊から20年以上が過ぎた今でも、この国ではこうした問題が継続しているというのも、他民族、多宗教で、且つ広域で多くの島々から構成されるこの国の難しさを示唆していると感じる。最近のインドネシアを巡るメディアでの話題は、G20会議の今年の議長国として、欧米日本のみならず、ロシアや中国等も精力的に駆け回っているジョコ大統領の動きがほとんどであるが、その陰で、国内的にはこうした問題が未解決で残っているというのは認識する必要がある。

 著者の関心領域は、インドネシアの地方で、特に1989年以降のポスト・スハルト時期に頻繁に発生した土地紛争と、水資源開発を巡る紛争の二つである。スハルト独裁時代は、権力が抑え込んでいたこうした問題が、民主化の時代の始まりと共に顕在化することになった。それはある意味では、開発独裁から市場経済への移行に伴って浮上した課題で、日本でも、入会権(共有権)紛争やダム建設による住民の強制移転と環境保全問題として、経済発展のある時点で発生したのと同様のものであるという気もする。しかし、他民族、多宗教といった特徴を持つこの国の場合は、問題ははるかに複雑になる。ここでは詳細には立ち入らないが、こうした問題の大きな鳥観図を見ておくことにする。

 最初の土地紛争については、問題の起源は、19世紀末、オランダ支配の下で、宅地や水田以外の土地が「荒蕪地」、「無主地」とされ、オランダの国有地としてタバコ、コーヒー、ゴムといった産業作物のプランテーション用に資本力を有する企業などに提供されたことに始まる。しかしこうした土地の多くは事実上の共有地として地域住民の工作に利用されてきたことから、その強制調達は住民との紛争を惹起する。独立後、スカルノ時代は、共産党の影響下、ある種の土地改革も模索されたが、1965年のスハルト独裁の開始により、それは権力により抑え込まれることになり、その利権は、スハルト周辺を始めとする政権幹部や軍部により独占されてきた(西ジャワのスハルト農場!)。そしてスハルト退陣による民主化により、その問題が改めて顕在化し、プランテーションに加え、ゴルフ場やリゾートして開発された土地等に対する農民による占拠といった抵抗が行われることになる。またスハルト時代から、既にそうした人口希薄なスマトラやカリマンタンといった地域にジャワ島から多くの土地を持たない「開発移民」が集められたことから、これらの地域での民族間の軋轢が見られるようになっていたが、スハルト後は、特に1990年代に入ると世界銀行の融資などを受け、スマトラやカリマンタンでの大規模なアブラヤシ(パーム・トゥリー)のプランテーション開発が進められたことから、この問題がより先鋭化したということである。著者は、西スマトラや西カリマンタンでのこうした農民による土地返還闘争を、現地の家族構造(母系社会)等も重ね合わせながら、詳細に報告している。

 こうした大規模なアブラヤシ農園を開発・運営し、成功した企業の一つが本書でも取り上げられているウイルマーであり、私の当初のシンガポールでの運用会社勤務時代の主要な投資先の一つであった。もちろん企業の成長のためには、政権、地元有力者や警察、あるいは程度問題ではあるがヤクザ(プレマン)との関係は必要であるが、一線を越えると社会問題化する。その意味で、やはりアブラヤシ・プランテーションが、こうした問題を抱えていることを改めて認識させられることになった。またこうしたパーム油ビジネスが、上流のプランテーション運営はインドネシアが中心であるが、中下流の製造工程はマレーシアやシンガポールが担っているという分業構造も確認することになった。
 
 二つ目の水資源開発を巡る紛争としては、「ミネラル・ウォーター」ビジネスに関わる大手(外国)資本と地元住民の利害相反といった事例に加え、ダム建設に伴う強制移住の問題も報告されている。後者は、日本のダム建設でも頻繁に発生し、良く知られている社会問題であることから省略し、前者の「ミネラル・ウォーター」ビジネスだけ簡単に触れておく。

 水資源が豊富な日本では、良質な飲料水の確保は大きな問題ではない。実際、12年東南アジアで過ごし日本に帰国した際に個人的に感じたのは、日本の水の安さと美味しさであった。欧州でもそうであったが、多くの国で水は「無料」ではない、貴重な資源である。インドネシアも同様で、こうした水資源の確保のために、地域住民が伝統的に依存してきた飲料・生活・灌漑用の水資源を巡る「ミネラル・ウォーター」関連の大手資本(圧倒的なシェアを持つのは、地元華僑とフランス資本の合弁である「アクア」社)との軋轢が、スハルト後の民主化の中で表面化しているという。またスハルト時代から、ジャカルタを始めとする水道公社の民営化が始まり、西欧資本が参入。経営が安定しない中、スハルト後も資本家の利益を求める動きが、住民との紛争を起こしているという。こうした「水戦争」の事例の幾つかが報告されているが、詳細は省略する。

 最後に、著者は、こうした社会問題から発生する紛争で、移民労働者や宗教問題も絡んだ暴力事件が後を絶たないことを指摘している。スハルト後も、ジャワ系モスレム主体の政権・軍部が、例えばヤクザ(プレマン)等を適宜使いながら、利権確保を行っている実態がある。そしてそれを克服するには「軍ビジネスを完全に市場原理化に置くことが必要」であるとして、任期の終了が近い軍出身のユドヨノ大統領が、こうした「軍ビジネス改革」を実行し、インドネシアの民主化を飛躍的に発展させることを期待して、この著作を終えることになるのである。「だがその日は本当に来るのだろうか。」著者の言葉から10年強。大統領も、軍出身者から民間出身のジョコ・ウィドドに替わったが、この国のこうした課題への対応は少しは進んでいるのだろうか?かつてこの地域を担当した私としても、余りメディアで報道されることにないこうした問題の現在をもう少し知りたいと感じさせる力作である。

読了:2022年8月4日