「中国問題」の内幕
著者:清水 美和
今年の読み納めは、家族が合流してのタイ、プーケット島での休暇中に読み終えた中国論である。赴任前最後の読書会で、日米中の外交関係を議論した流れで、次は中国の実態を分析している作品を探してみようということになり、中国専門の学者から候補図書の一つとして推奨された作品である。結果的には、小生の出発後、読書会の課題は全く別の分野の作品になったが、今回これを読んで、もう一度中国を巡る議論をしてみても面白いかな、と感じさせる作品であった。著者は、1953年生まれ。香港や北京駐在を含め、中国に長く関わってきた私と同世代の新聞記者である。
この本では、まず最新の日中関係につき分析した後、胡錦濤を中心に見た政治権力闘争の現状を説明し、それから国軍、社会不安、そしてメディアの自由化を巡る問題について概説している。著者があとがきでもコメントしているとおり、ある部分はまず仮説を立て、それを限られた情報で確認していく、という手法をとっているが、それはかつてのクレムリノロジーの手法を想起させるものである。公式情報を除くと、まだ情報が限られている中国の分析が、こうした旧態依然たる手法に基づいているというのはやや驚きではあるが、一方で、こうした手法は想像力を喚起させるが故に、読み物としては結構刺激的なものになる。実際、今後の世界、アジア政治・経済を見る上でますます重要性を増している中国を知る上で、たいへん参考になったのである。
「中国問題」を見る上で、著者はいくつかの疑問を提起する。「「反日」デモが荒れ狂っていたのに、(中略)安部首相の訪中を認めたのは何故か?」、「突然、中国最大の都市上海市のトップが逮捕され(中略)党最高幹部の腐敗が次々に暴露されているのは何故か?」、そして「社会主義のもとで、これ程格差が広がっているのは何故か。」
著者は、それらの問いに答える糸口をまず2007年4月の中国首相温家宝の来日時の行動に見つけようとする。小泉の靖国訪問で、2000年10月以降途絶えていた中国首脳の久々の来日となったこの温家宝の訪日は、「氷を溶かす旅」と喧伝されたとおり、日本の侵略への反省や、中国の近代化への日本の貢献を評価するといった、従来の批判的なトーンを抑えた発言に飾られていた。しかし、同時に国会で行った演説では、この日本の貢献にかかわる部分を意図的かどうかは不明なるも、読み落としたという。そして、もしこれが意図的な読み落としだったとすると、そこには「日本軍国主義復活批判」を繰り返してきた前国家主席江沢民との権力闘争が影を落としている、と考えるのである。
この訪日に前後して、胡錦濤政権は、安部首相が、国会答弁で、従軍慰安婦に関わる「協議の強制」を否定した際も、中国内での批判を抑えると共に、米国等の圧力で安部が謝罪すると、それを中国内で大々的に報道させるなど、保守本流安部の出方を見ながら「恩を売る」対応をしてきたという。そして温首相の訪日の大きな課題の一つは、家系的に台湾とパイプを有する安部と台湾の間に「楔を打ち込む」ことであった、と考える。但し、本来は、その安部に「台湾独立反対」を明確に言わせたかったのであるが、さすがにそれは安部も譲らなかったことから、中国側も拉致問題での踏み込んだ支援を打ち出さず、お互い刺し違えた形になったと見る。
こうして胡錦濤政権のもとで、「台湾」問題が日本の「戦争責任」問題よりも大きな焦点になっていることが鮮明になった。やはりこの温首相の来日に前後して日本の最高裁が、20年近くも放置されてきた光華寮訴訟、西松建設による中国人強制連行訴訟といった「日中共同声明の解釈で歴史が取り残した問題」で、中国側に不利な判決を出す形で結論を出したにもかかわらず、中国側からの批判は限定されていたのである。
胡錦濤政権は、2003年に胡が政権についてから対日関係打開に積極的に動いてきたが、温の来日に遡ること1年前には、いったん靖国参拝問題を中心とした強硬な批判姿勢に転換したという。
この変化を理解するには、1999年の「大転換」を踏まえる必要がある、と著者は言う。この年、中国外交は「遠交近攻」外交から周辺国重視に、また二国間から多国間外交重視に舵を切ったが、これは冷戦終了後の世界秩序の中で、一国で米国に対峙することへの危険を悟ったケ小平の遺訓を踏まえたものであった。これにより、それまで「過去への謝罪」を巡り低調であった日中関係も進展を見せ始めた。2003年5月、ペテルスブルグで国家主席として初めて小泉と会見した胡錦濤は、靖国問題を「相対化」するほど軟化したという。しかし、これが中国内の反日感情を刺激し、胡錦濤らに対する批判が強まることになる。小泉の靖国での刺激的発言や西安での日本人留学生の寸劇事件等もあり、この年10月の大規模な反日暴動となる。胡錦濤の「対日新思考」は致命的打撃を受けたのである。更に日米の外交会議での「共通戦略目標」に台湾問題が盛り込まれたことも、中国内の対日強硬派の力を伸ばすことになった。
これに対し、日本国内では、小泉の刺激的な姿勢に対し、財界を中心に圧力が高まり、靖国絡みでの発言トーンを落としたり、また反日暴動では中国も一時反日デモを抑制する動きに出たが、結果的には強硬派を抑えることができなかったという。1994年から実施された反日教育・愛国教育とそれを利用する江沢民グループの存在、そして「日本が靖国問題を逆手にとって東アジアの主導権争いの焦点にしたこと」が、この胡錦濤の「対日新思考」を挫折させた、と著者は考える。
しかし胡錦濤自身は、対日外交の転換を捨てることはなかったと言う。2005年9月の国連総会演説での「和諧(調和)世界」の強調という形で、各国との協調路線を再び鮮明にする。その背景には、経済発展や台湾問題、北京五輪に向けた国際協調の必要性、そして他方で、イラクで動きが取れない米国の動き等があったという。また日本側では、「中国派」福田に対抗する安部主導による、福田の得意分野での得点稼ぎ、という動きがあった。そして最終的に、胡錦濤が、江沢民グループの後継者と目されていた上海市指導者の陳良宇を、汚職を理由に奇襲的に失脚させたことが、胡錦濤による安部訪中受入れにつながっていったと見る。しかし、江沢民グループとの権力闘争は依然決着していない。東シナ海の資源問題など、大衆化した愛国主義的国民世論が噴き出す余地はまだ残っている。著者は、胡錦濤が「戦後問題」を犠牲にして、「台湾問題」で攻勢をかける方向に政策転換したと考えるが、それが暗礁に乗り上げると再び対日強硬路線に転換せざるを得ない余地がある、と見る。冒頭に記載した温家宝や胡錦濤の慎重な姿勢は、こうした微妙な政権の現状を示しているのである。
こうした微妙な政権の立場を、より国内的な観点から見たのが第三章である。それは先に述べた、胡錦濤グループ対江沢民グループの権力闘争という構図である。ここでは著者は、所謂クレムリノロジー的手法を使い、要人の引退=失脚という表面の動きから、その背後の権力闘争を炙り出そうとしている。
その過程は、かつてのスターリン対トロツキーの抗争のようにとても面白いが、詳細は省略させてもらう。ただ少なくとも胡錦濤グループが進めた、上海ら急激に発展した都市部でまず瀰漫した党官僚による汚職との戦いが、結果的に既得権を有する江沢民グループとの抗争になっていったというのが大きな構図である。2003年5月、SARSで江沢民他上海グループの要人が避難する中、果敢に伝染病との戦いを進めた胡錦濤指導部の威信の高まりが、この上海グループの汚職摘発に踏み切った理由であると著者は考える。更に個人レベルでは曾慶紅という上海グループの重鎮の胡錦濤グループへの寝返りなどもあったという。そして2006年8月に表面化した上海市の社会保険基金の不正融資事件を契機とする、前述した同年9月の上海市総書記陳良宇の逮捕(これは一種の宮廷クーデターであった)にまで至るのである。謎の投資家、人権派弁護士の動きや曾慶紅の寝返りなど、この辺りはドラマになる面白い要素に溢れた展開である。
この上海グループの排除は、開発に関わる汚職に対する高まる不満を受けたもので、これなくしては共産党の政権維持は困難になっていたという。しかし、同時に上海グループ排除の過程で、もう一つの既得権グループである太子党(共産党創世記の革命家の2世、3世のグループ)の力を借りたことで、今後の変革への大きな障害を残すことになったとしている。
次に著者が取上げるのは、胡錦濤グループの権力基盤についてである。著者はまず北京の「国家大劇院」建設を巡る北京市当局の汚職から話を始めるが、これも江沢民に繋がる「特殊利益集団」の摘発にあったのは明らかである。そしてそれを進めたのが胡錦濤グループに近い「共産主義青年団(共青団)人脈」という新たな「特殊利益集団」であったという。
2006年12月、共産主義青年団の中央第一書記に選ばれた胡春華が、胡錦濤の「次の次」の指導者と言う観測が流れた。彼は胡錦濤がチベット自治区の共産党書記であった時からの懐刀であるという。胡錦濤と同様、彼は「自分の能力と努力だけで官僚組織の階段をよじ登り、チベットなど貧しい辺境での工作経験が長い」という経歴を持つ。そして今や江沢民派を排除した北京や上海の指導者に就いているのはこうした共青団出身者になっているという。その中にはポスト胡錦濤の最有力候補といわれる李克強も含まれる。
しかし、こうした共青団出身者は、「大きな政治問題や極端な腐敗には縁遠い」が、他方で「早くからエリートとして要請されているために、どろどろした現実政治を切りまわした経験には乏しく、経済や技術の現実的な知識には欠けているという弱点」がある。結局彼らが幅を利かせるのも胡錦濤時代だけではないかとの見方も強い。
ポスト胡錦濤時代の勢力として有力なのが、先に紹介した「太子党」であるという。そして著者は、この「太子党」が、江沢民や胡錦濤が政権基盤を固める重要な局面でキャスティングボートを握ってきた具体例を紹介している。そして、経済界に基盤を持つ彼らが、胡錦濤の富裕層への攻撃を快く思っていないとして、今後胡錦濤グループ対「太子党」の権力闘争が開始されるであろうことを予言している。
次のテーマは中国軍の動向である。胡錦濤の全般的な「和諧」論の中には、台湾との「和諧」というテーマも含まれているが、台湾強硬派の江沢民派の抵抗で、なかなかこれを前面に出すことができなかったという。
台湾と中国の関係は、2005年5月の当時の台湾野党、国民党の連戦主席の訪中で大きく改善した。その後、独立を強く主張する民主進歩党の陳水扁総統が汚職で失脚(昨年末の逮捕が大きく新聞で報じられていたのはまだ新しい記憶である)したこともあり、飛行機の直接乗り入れといった日常面での交流も含め、この流れは着実に進んでいるが、他方で台湾のアイデンティティが確立したことで「外来政党」である国民党に運命を託すという意識が国民レベルでは薄いと考える。そしてこの胡錦濤の台湾政策を左右するのが軍の動向であると考えるのである。
空母開発による海軍力強化、衛星破壊実験による宇宙軍拡競争への参入等、最近の報道でも報じられている「軍の暴走」が紹介される。そもそも「鉄砲から生まれた」(毛沢東)政権である中国人民解放軍は、当初から多くの特権を与えられると共に、あくまで「党の軍隊」として位置付けられてきた。そして軍歴のない指導者として江沢民が就任した時から、政権と微妙な関係になっていったのである。軍出身のケ小平が心配して、軍出身者のサポートをつけた江沢民と異なり、胡錦濤には軍に影響力を行使できる側近がいないという。その結果、ここのところ胡錦濤の「和諧」路線に背を向ける軍幹部の発言や行動が目立っているというのである。
胡錦濤の軍掌握の手法は、上海で行ったのと同様、特権にまみれた軍に、汚職の捜査を手がかりに切り込むというものであるが、軍の使途不明金調査を公表したタイミングで、軍幹部の対外強硬発言が目立っているのは、まさにこの両者の抗争が始まっていることを物語っている。また軍内部に残る江沢民派が、これに乗じ復権を企んでいるという憶測もある。著者はこれを、「戦前日本と同じ、ナショナリズム発動による軍支配」に導く危険があるものと考えている。そしてその矛先は、台湾の軍事的手段による統一という衝動に向かう可能性もある。胡錦濤の「和諧」による台湾との統一に、現在多くの外交努力が捧げられている背景には、こうした軍部の独走を阻止する必要もある、という思惑があると考えるのである。
続いて、現在の中国の最も大きな社会問題である格差について。2006年5月のメーデーを挟み、天安門広場は、「上訪」と呼ばれる地方からの直訴の波に覆われたという。強制的な土地の収用や課税、地方幹部の腐敗を訴える人々の波は、警察による取り締まりにもかかわらず、モグラ叩きのように続いたという。他方北京市郊外にある大邸宅街には、親族名義で腐敗摘発から逃れた地方幹部が多く住む。この格差は、もはや社会が許容するギリギリのところに来ている。
著者は、この格差を生んだのは中国の伝統的な都市と農村という二元社会構造であるという。そもそも都市戸籍と農村戸籍が分かれ、都市戸籍への移動は極めて例外的であった。80年代の経済成長で、事実上都市に流入する「民工」の移動は許容されたが、彼らの権利は制約され、劣悪な環境での労働を余儀なくされた。建国の理念に反し、当初から都市の発展が農村居住者の搾取に依存していたのがこの国の実態であった。
更に最近では胡錦濤政権が掲げた農民の増収計画を達成するため、農地の流動化が認められたことが地方幹部に悪用され、合理化という名目の強制収容による失地農民の拡大をもたらすことになった。その数は公式報道で4千万人、実際は6千万人に近く、10年後は1億人になるとの予測まであるという。
そこで今度は、2007年3月の全国人民代表大会で、民衆の権利を保全するための「物権法」が制定されたが、左派抵抗勢力の反対を受け「合法的な私有財産は侵害されない」という文言―「合法的な」収奪は許容するーが入る妥協案で決着した。またこの「物権法」に農地の流動化も初めて盛り込まれたが、結局のところ経済力のある者の「合法的」な囲い込みは容易になることから、この効果も懸念されるという。こうして都市と農村、富裕者と貧困者の格差がますます拡大することになる。著者は、この予想される帰結については触れていないが、中国の歴代王朝が、「絶対平等」を掲げる反乱で転覆させられてきた、とコメントし、この状況への警告を発している。
最後に取り上げられるのは、「党中央宣伝部とメディアの自由」と題したメディア規制問題である。今週の当地新聞にも、中国がインターネットのポルノ・サイト摘発に動き始めた、という記事が掲載されていたが、それ以前に政治的表現の自由が、この国の大きな課題である。
中国では大躍進や文化大革命、そして天安門事件といった重要な歴史が、教育課程のみならず、一般の公共の場でも全く語られていないという。
しかしそうした徹底的な検閲に変化が見られている。その例として著者が挙げるのは、1900年の義和団事件―中国の伝統的歴史観では「反帝国主義の農民反乱」と高く評価されているーを「反動的・反文明的」と批判する論文を掲載した雑誌「氷点」が廃刊され、新編集部で再刊されるというお決まりのコースを辿ったものの、その著者が公の場で、その内幕を暴露し反論したという事件である。義和団事件を反動的とする主張は今までもあり、特別新しい批判ではない。しかし、そのありふれた論文が批判され、しかもそれに対し公然たる反批判が表面化したという経緯に、これが党中央で対抗する勢力の代理戦争であるという見方が強まることになる。また中国中部の煉瓦工場が、各地から拉致してきた少年を強制労働させていた「弦代の奴隷工場」事件が、被害者家族のインターネットでの訴えで表面化し、議論が広がったことから、当局によるインターネット管理に批判が高まることになったという。それを受け、「インターネットは衝突の緩衝材になっている」として支持する記事が、政府系の「北京日報」に掲載されたのも、大きな変化であるとする。更にこのメディアには「民主」を擁護する論調さえも現れ、旧来の社会主義を主張する人民日報と「論争」になっている、というのも新しい展開である。こうして著者は、メディアの世界でも胡錦濤路線と抵抗勢力が熾烈な権力闘争を繰り広げていると考えるのである。そして最終章で著者は、「未完の「胡錦濤革命」」と題してこの本で説明してきた各分野の課題を再度、胡錦濤対反対勢力という枠組みで整理し結んでいる。
さて、読書会の課題としては取り上げられなかったこの作品であるが、もし取り上げられていたとしたら、どのような議論があり得ただろうか?
まず中国の外交から始まり、それが内政面での要因から導き出されていることを理解するには非常に解りやすいと分析になっているといえる。そして国内の権力闘争が、今までは江沢民グループと胡錦濤グループの間で、そしてこれからは胡錦濤グループと太子党グループの間で展開していくであろうという、非常に分かりやすいトップダウン型予測を提示している。確かに、かつてのソビエト・ロシアのように上命下達で意思決定が行われる「独裁国家」は上層部の権力関係の分析が非常に有効であることは間違いない。また他方で、かつてのソビエト・ロシアと異なり、現在の中国は、決定的なカリスマを欠いていることから、このクレムリノロジーは言わば「派閥抗争」の分析になる。出身や職場を同じくする者が群れるのはどこの社会も同じである。こうした分析は、我々が日常的に接しているが故に、非常に分かりやすい。
しかし、この派閥抗争の分析に際して、どうも著者の論拠の中には胡錦濤=改革者=善玉、その他は抵抗勢力=悪玉という価値観が見えてしまっているような気がする。その価値観が果して現在の中国が必要としているものかどうか、また胡錦濤らが心底信じているものかと言うと、それは違うのであろう。また外交の中心が、日本の戦後問題から台湾問題に移ったとは言え、そのカードを彼らが簡単に手放すとは考えられない。そのカードがまた切られる時は、胡錦濤が抵抗勢力との関係で基盤が弱くなったからであると看做すのは余りに単純なのではないか。著者自身が仮説の上で議論を立てていると言っているのは、そうした批判を意識してのことであろうが、現実の政治過程の中で、胡錦濤自身が自分自身の保身といった別の要因で変身せざるを得ないこともいくらでもあるのだろう。著者がその展望や処方箋についてあまり触れていない「農民と民工」の反乱が、場合によっては今後の中国の外交政策も大きく変えてしまう可能性もないとは言えない。中国はこれからが近代化に向けた正念場であり、我々は予想される多くのシナリオを前提に対応を準備していく必要がある。改めて、この本はそれを思い起こさせてくれた。そして個人的には、多くの部分で、あたかも30年以上前に接していたかつてのソ連分析を読んでいるかのような錯覚に襲われ、懐かしい思いさえ感じてしまったのである。
読了:2008年12月28日