アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
アジア読書日記
中国
中国の地下経済
著者:富坂 聰 
 久し振りに気楽に読んだ新書である。著者は1964年生まれで北京大学留学の経験がある雑誌ジャーナリスト。週刊文春などに中国関連記事を寄稿しているようであるが、学問的な裏付けはともかく、それなりの刺激は随所に散りばめている。そのため、この本は、やや長い雑誌記事を読むような感覚で読み飛ばすことができる。

 言うまでもなく、急速に膨張する中国経済は、2009年の名目GDPで約460兆円と、474兆円の日本に肉薄し、既に現時点では間違いなく日本を追い越している。そうした急成長の陰には、実は統計に出る表の経済の半分にもなるような規模の裏経済が存在しており、またその裏経済なくしては中国の表経済も立ち行かない状況になっているというのが、この本の主張である。

 中国の地下経済と言う時に、まず現れるのは、巨額の汚職資金が動く裏市場である。著者は北京の百貨店で蠢くプリペイド・カード販売員が、額面の7割程度でそれを販売しているという話から始める。実際、中国の国会でも「灰色収入」として議論になったように、所謂キックバックやご祝儀(紅包=ホンパオ)といった形で配られた現金が、巨大な裏資金となって市場に流入しているというのである。日本でもまさに90年代まで存在していた官僚接待と同じ慣行が、中国では実質現金で行われており、これにやはり日本でもなくなったとは言い切れない政治家の裏資金が加わり、日本とは比較できないくらい大きな規模の裏経済になっていると考えることが出来る。こうした例の一つとして、著者は、2009年の旧正月明けに明らかになった、ある地方政府の北京出張所が膨大な量のニセ高級酒を掴まされた事件を紹介しているが、この時はニセ酒を掴まされるという被害ではなく、何故小さな一地方政府が777本という大量の高級酒を仕入れなければならなかったのか、ということが議論になったという(これは、以前に日本でも話題になった、日本の外務省在外公館が高級ワインを大量に保有していたのと、本質的には同じ話である)。あるいは、単に現金化する時に効率的ということだけで、贈答用の高級タバコが売り出され、貨幣代わりに使われているという。そしてそうした裏経済は、前述したプリペイド・カード売りのように、今や多くの人々の雇用を支えるところまで来ているという。「税金とも統計とも無関係な地下経済であるが、現実社会では雇用など一定の役割を果たし、治安や社会の安定に無視できない貢献をしている」というのである。

 またこうした裏資金は、所謂闇金融としても社会の表面に浮上しているが、これはそもそも現代中国において、個人のみならず、中小企業や農業部門を支える金融システムが出来ていないこともあり、実需を伴って台頭してきているという。そしてどこの国でもそうであるが、この闇金融の要は債務不履行者への取立てであるが、中国の場合は、単純な暴力の行使に留まらず、地縁血縁を利用し効率的な回収を行う業者が闇世界に溢れ、それが巨額の裏融資を支えている様子が、著者自身の体験を含め紹介されている。

 こうした闇経済の拡大は、もちろん中国が経済開放から成長へ突き進む過程と期を一にして進んできた。著者は、常時100億円近い資産と現金を動かし、300人の従業員を抱えるある闇金融の経営者にインタビューしているが、彼が起業したのが1991年ということで、ケ小平の「南巡講話」は民間の経商熱の起点となったのではなく、むしろそれを追認したに過ぎない、と指摘している。そして彼は、キックバックを餌に、一般の個人融資は表では手掛けない銀行の裏の支援を得ると同時に、官僚からの大量の汚職資金を取り込み運用を拡大していったという。そうした資金は今や中国の炭鉱業界や発電施設から、橋梁といった社会インフラのファイナンスの一部で、表の資金が回らない部分を担うところまで進出しており、経済発展を宿命付けられた政府自体にとってももはや「新たな飛躍のための鉱脈」として、なくてはならないものになっているという。

 この裏経済の原因でもあり結果でもあるのが、中国社会の二極分化構造である。ある試算によると、現在の中国では、人口の1%が約41%の富を独占しており、残りの99%は、日本人の二十分の一の生活水準であるという。若者の就職率も公式数字を大きく下回り、大量の「蟻族」を生み出し、失業した労働者は、裏経済、例えば白タク業界で受け止められるが、彼らは警察の取締りに怯えながら日々の生活を送っている。北京の奇抜なデザインのビルの外面は、やはり闇掃除人である「黒スパイダーマン」が受け持つが、彼らの転落事故が相次いでいるという。

 こうした現状が、最近頻繁に使用される「国進民退」と「維穏的成本」(安定維持のコスト)という言葉に示されている。中国の経済成長は、民営企業への経済開放とそれによる中産階級の成長によりもたらされてきたと言われているが、著者はそうした起業に成功した者たちとのインタビューの中で、実際には政府や国営企業と強いパイプを持つ企業が最も潤っていることを突き止める。即ち、彼らの成功は、政府から流れてくる膨大な財政資金に支えられており、同時に、彼らからもまた膨大な裏資金が、政府や官僚に還流しているのである。この循環に入れない企業家は、景気の波に洗われ、結局のところ敗北し転落していくというのである。もちろん倒産や夜逃げをした企業の労働者は、そのまま彼らの出自である農村に帰還するか、あるいはまさに裏経済の中での仕事に、日々の糧を見出すしかない。他方で、裏報酬を得る官僚や国営企業幹部の報酬はそもそも高いことから、「和諧社会」というスローガンに反して、むしろ富の偏在化は益々進むことになるのである。しかし、こうした貧富の格差拡大は、政府にとっても「維穏的成本」として、抜本的な策を打てないままに放置されることになる。

 もちろん、時折中国発で伝えられる官僚の汚職摘発とその後の死刑を含めた厳罰のニュースのように、政府もこうした裏経済を全く放置している訳ではない。著者は、一例として2007年11月、温家宝がシンガポール滞在時に打ち出した裏経済批判と、その後の一連の摘発について触れている。

 政府の内部資料によると、香港に隣接する深圳市には中国全体の流通通貨の半分が集中しているというが、これがまさにマネー・ロンダリングの温床になっているということで、この温家宝が開始したキャンペーンにより、同市で外貨ショップを経営する大物女性経営者が逮捕されることになった。外貨ショップは、まさに人民元が不足する市場のニーズに迅速に対応するインフラとして香港に溢れているとのことであるが、当然そこを経由する資金は、裏資金が圧倒的な量となる。このキャンペーンは、そうした裏経済の一部を狙ったものであったが、摘発の真の意図についてはいろいろ見解が分かれているという。人民元の切り上げを含めた通貨改革の準備のためとか、大陸からのこれ以上の裏ルートでの資本逃避に歯止めをかけるために、中国政府が香港の株価を大暴落させたといった仮説が提示されているが、それ自体はあまり説得的ではない。しかし、重要なことは、この地下金融摘発キャンペーンが、結局その後急速にトーンダウンしていったことであり、その理由は、この摘発により表の銀行や市民そのものからも抗議の声が上がったからだという。裏金融は既に社会のインフラの一つになっているので、摘発するにしても限界がある、というのがここでも示されている。そして同様の事態は、深圳市のみならず、浙江省、広東省、福建省などで見られる他、面白いことに、地理的には辺境に位置する内蒙古自治区の炭鉱業でも典型的な姿で顕れているという。即ち、「ここ八年ほど中国第一位の省別経済成長を維持している」内蒙古の炭鉱業が、裏資金からのファイナンスで支えられているということで、これは一般化して言えば「地方政府と地下経済の間の強い親和性」を物語っている。更に、裏金融の経営者の中には、資材を投じて地方の鉄道を完成させた者までいるという。その結果、既に2008年以降、政府ベースでも、上記の地域を中心に、むしろこうした地下経済の「地上化=合法化」を目指し、闇金融機関を正式に認可するような実験を始めるところにまで来ているということである。

 続けて著者は、こうした政府と裏経済との大規模な戦いの一つとして、2009年の重慶で行われた大規模な「マフィア掃討作戦」を紹介しているが、これも見方によっては、単なる闇金融の撲滅キャンペーンではなく、むしろ地元経済を牛耳る政治家に対する、用意周到に行われた政治的粛清に過ぎなかったと言えなくもない。そしてそれを粛清する方が、掃討と同時に今度は新たな権力者となって地下経済を握り制御不能になる、というのも如何にも中国らしい。そして実際にこの摘発劇のシナリオを書き、後ろで糸を引いていたのが誰かと言うことにつき、色々な憶測は流れるものの、真実は常に藪の中なのである。

 こうして著者は最後に中国社会の民主化に思いを巡らす。もちろん民主化という言葉で日本人が持っているイメージは、中国では全く実現可能性があるとは考えられないし、万一ある種の民主化が行われたとしても、それが逆に内政上・外交上の混乱をもたらすのは目に見えている。結局のところ、著者が言っている通り、「中国では結局、権力を万能にする装置は温存されたまま、主だけが代わることになるのだろう。」そして政府も、結局のところ、地下経済の存在を認めながら、但し時折出すぎた釘を見せしめとして打ちながらー但し、そのきっかけや真の意図はまた別のところにあるー共存していくという路線を取らざるを得ないのだろう。もちろん程度の差はあれ、こうした社会現象はどの社会でも存在する社会現象であるが、中国の場合は、その規模がまさ根本的な解決を図るにはあまりに大きくなりすぎ、また中国経済の今後の世界経済への影響力が大きくなることが明らかであるが故に、バランスを取るのが極めて難しい問題となっている。その結果、恐らく中国政府とこの地下経済とのせめぎあいは、今後も時折左右に触れながら不安的に動いていくことになるのであろう。

 尚、丁度この評を書いていた12月3日のWall Street Journalアジア版一面トップ記事で、まさにこの中国の「統計外の金融」が、中国政府の金融政策の攪乱要因になっている、という記事が掲載された。

 この記事は、「中国では歴史的に銀行がカバーしない地下金融が存在してきた」とした上で、この本で取り上げられていたような、まったくの地下経済ということではなく、むしろ中国の大手の金融機関が、政府によるやや引締め気味の金融政策にもかかわらず、信託会社や保証といった所謂「オフ・バランス」取引を利用して、政府から設定された限度枠を大きく越えた信用供与を行っている、という内容である。銀行の新規与信は、2009年の11兆元から2010年の10.5兆元とむしろ減少しているにも関わらず、オフ・バランスでの新規信用供与は既に7兆元と推測されるという、ある格付機関のレポートを引用し、これが政府による引締めにもかかわらず、現在の中国で不動産価格上昇を含めたインフレが一向に収まらず、GDPの伸びも予想以上、更に米国の金融緩和に中国政府が神経質になっている原因である、と論じている。

 もちろん、ここで示されている信用供与は、「正規の金融機関」による、政府の規制を超えたマネー供与ということであるが、それだけでも既に中国当局の金融政策の攪乱要因になるだけでなく、世界経済へも大きな影響を及ぼす問題になっており、それに本当の「地下経済」が加わると、そのインパクトは更に大きくなる、ということになる。それを考えると、まさに、そうした基本的にコントロールの難しい中国の金融システムの持つジレンマに、今後とも日本や欧米諸国が振り回されることがないことを祈るばかりである。

読了:2010年11月27日