メガチャイナ 翻弄される世界、内なる矛盾
著者:読売新聞中国取材班
約5年前に、同じグループによる「膨張中国」を読んだが、これはこの新聞の記者グループによる同じテーマの定点観測である。当時は、靖国問題を巡る日本との軋轢が続く中、「反日」デモが勢いを増していた時期である。他方、経済成長に関しては、まだ不動産取引を通じた個別の成金が誕生したり、国家の支援を受けたいくつかの企業が、米国その他の企業買収を仕掛け、それが中国の変化を物語る事件として新鮮な驚きをもたらしていた時期である。それから5年が経過し、今や3兆ドルを越えた外貨準備を武器に、中国は国全体としてこうした動きを加速させている。この新書では、前著と同様、新聞の特集として掲載された記事を中心に、こうした最新の中国の動きを個別のルポを通じて報告している。前著もそうであったが、中国を見る時に公平に見なければいけない、と断っているのは当然であるが、この新聞の基本的な論調としては、結果的に中国膨張論と脅威論が何となく印象付けられる傾向がある。そのあたりも意識しながら、ここで取り上げられている具体的な中国の動きの幾つかを追いかけてみよう。
益々国際情勢の中で重要性を増す中国の諸相を、資源、食料、環境、通貨、科学技術、安全保障、外交、民主化、国民感情等多くの側面から報告しているが、まず取り上げられるのは、最近特に顕著に意識されるようになった中国脅威論の最大の論点である、中国の海洋覇権戦略である。
胡錦濤政権は、「海洋強国の建設は21世紀の偉大な歴史的任務」として、2020年までに管轄地域拡大と地球規模の海洋権益を目指す方針を打ち出している。この海洋での膨張路線は、日本との尖閣問題のみならず、東南アジア諸国との南沙・西沙諸島(スプラトリー・パラセル)問題などを巡る軋轢を引き起こしている。日本との関係でいえば、中国は1980年代から「第一列島線」と呼ばれる、日本列島から南西諸島を経て台湾、フィリピンに至るラインの内側を実効支配するという戦略が基本であったが、1996年の台湾海峡危機での圧倒的な米空母機動部隊の威容を目のあたりにしてから、「第二列島線」と呼ばれる、伊豆半島から小笠原諸島、グアムを結ぶラインを意識し、そこへの米国海軍の接近を「拒否する」戦略に変えてきているとされる。それに応じた海軍力を急速に拡大すると共に、この「第二列島線」内での活動が活発になっているというのである。
こうした中で、日本は南西諸島の防衛強化で対抗するが、これはもちろん米国のバックアップがあって初めて可能な構想である。また南シナ海を巡る東南アジア諸国との紛争では、パラセル諸島近辺でヴェトナム漁船が拿捕、拷問されるなどの事件が起こり、スプラトリーでは2010年4月、武装した中国監視船とマレーシア海軍とのにらみ合いが17時間に渡って続いたという。防衛問題のみならず、水産資源や海洋鉱物資源をも意識した中国のこの姿勢は、スプラトリーの南端の暗礁に、「中国最南端の領土」と書かれた石碑を投下するような行動ももたらしている。
東南アジア諸国にとっても、中国は単独で相手が出来る国ではないので、米国その他の支援を必要とする。面白い指摘は、マレーシアがTPPに参加したのは、「経済の中国依存に伴うリスク分散」であり、海洋を巡る中国の挑発への牽制であるという見方である。現在TPP参加が一つの決断の時期を迎えている日本でも、こうした観点も併せて検討される必要があるのだろう。
中国は、更にミャンマー、バングラデッシュ、パキスタン等のインド洋に面した港湾建設に資金や技術で協力しているが、これはインドから見るとインドを包囲する「真珠の首飾り」に見える。インドでは、日米豪やアセアン諸国との関係強化による、シーレーンの安全を確保すべきという意見が強くなっているという。またネパールへの中国の接近はチベット及びダライ・ラマ14世の亡命問題とも併せ、中印の関係を緊張させる可能性がある。更に西では、かつてインドを目指した三蔵法師も辿った難所である天山山脈のベデル峠が、中国・キルギスの国境紛争もあり、未だにキルギス側からのアクセスは出来ないままになっているという。
次のテーマは中国の経済成長が、資源開発や国際金融で世界に及ぼす影響である。まずは、その旺盛な各種資源への中国の貪欲な需要という問題。2002年の内戦終了後、アフリカきっての産油国となったアンゴラへの積極的な借款等による経済協力の例が紹介される。またコンゴ民主共和国(旧ザイール)でも「巨額の援助や借款と引き換えに資源利権を手に入れて」、また参加が後発のアフガニスタンでも、欧米諸国が治安上の懸念から躊躇する地域での銅山開発でも、爆弾テロの被害を受けながらも、100人近い中国人技師が駐在し本格操業を目指しているという。
投融資面での中国の動きも活発で、ロシアやトルクメニスタン等と融資見返りでの原油・天然ガスの供給契約を結んだり、イラク、イラン、カナダ、オーストラリア、ブラジル、アルゼンチン等の石油権益やリベリアやマダガスカルでの鉄鉱石権益を、直接又は企業買収を通じて獲得しているという。
「世界を呑む13億の胃袋」と題された部分では、中国の食料資源確保の動きが語られる。経営危機に陥ったフランスのワイナリーの買収は、フランス側にも広大な可能性を持った中国市場の開拓を期待させる。高度成長に伴い、高級牛肉や羊肉のみならず、トロ等の高級寿司ネタ等の需要も急増しているという。車や家電製品などの耐久財も、もちろん例外ではない。直前に読んだ「消費するアジア」で課題とされている、生活水準上昇の都市部から農村部への拡大という問題も、この本では道路や鉄道網の拡大で順調に広がっているように報告されている。言わば、この本では、発展に伴う都市と農村の格差拡大という問題よりも、急速に拡大する中国の国内需要が、消費市場として膨大な資源を呑みこみつつ、それが新たな資源の枯渇と世界的なインフレをもたらすであろう懸念がより意識されているように思われる。
人民元問題は、世界の工場としての中国脅威論の中核にある問題である。この実力よりも低く評価された通貨は、先進国のみならず、「中国と関係強化を図っている新興国でも公然と噴出し始めた」とされている。しかし一方で元の国際化を徐々に進めながらも、日本のプラザ合意以降の為替政策の失敗を研究している中国は、人民元切り上げには慎重であるという一般的な報告は、5年前の時点とほとんど変わっていない。
こうした中国の威信拡大に伴い、海外華僑の立場にも変化が見られるということで、インドネシア華人の地位向上が紹介されている。2010年1月、ジャカルタの競技場で、華人見直し政策を進めたワヒド元大統領の追悼集会が、多くの華人の出席で行われたが、これは、かねてから華人の経済力を利用しながらも、政治的には華人抑圧政策を取ってきたこの国の変化を物語っているとされる。実際ワヒドから現在のユドヨノ政権にかけて、対中関係の正常化以上に中国との相互交流は拡大の一途を辿ったという。火力発電所への融資や橋梁建設に中国は直接関与し、インドネシア政府の閣僚にも中国人が任命されるようになっている。同じような事態は、程度の差こそあれ、ナイジェリアやフィリピン、更には米国内でも見られ、孔子学院の進出先増加や各地でのメディア買収を通じたソフト・パワー強化と共に、中国による一党独裁という負のイメージを和らげるための支援を広げるための戦略であると位置付けられている。こうした流れへの警鐘として、「我々の基本的な忠誠心は先祖の国(中国)ではなく、自国に向けられるものでなければならない」という、1993年のリー・クアンユウの言葉が引用されているが、これはやや空しい感じもするし、リー自身の現在の見方は変わっている可能性もあると思われる。
こうした中で、日中関係や米中関係も変化せざるを得ない。日中関係では、日本の高校や大学院研究室での中国人学生の量的・質的増加が語られる。日本の学生が内に籠る中、中国の学生は米国を中心とした外国の高等教育機関に進出し、その結果先端科学での研究成果も中国は急速に日本などを追い越すところまで来ている。5年前は、まだ個別事象に留まっていた中国マネーによる日本企業や不動産の買収も、今や一般的である。最近は農業においてさえ、高級農産物の消費市場として中国を見るだけでなく、そこでの労働力を中国実習生に依存し始めており、これが次世代の中国農業の成長を促す可能性も高いという。TPP問題で日本の農業保護を議論する以前に、日本農業の伝統を引き継ぐのは国内の若者ではなく、中国の若者になる可能性さえ出てきているとも言える。但し、文化面での交流は進んできているものの、いざ両国間で政治的軋轢が発生すると、共産党の「威信低下への危機感」もあり、直ちに「反日」が使われることになるのは、5年前と同じである。尖閣諸島沖の漁船衝突事件は、その相も変わらない中国の反応を示すことになったのである。
米中関係も変化は急である。まず米国本土での中国宣伝工作の進展が紹介される。放送局買収や通信社の陣容拡大による米国向け宣伝に巨額の資金が投じられているという。その資金は、ロビー活動の活発化を通じて親中派議員を増やす努力に向けても使用されるが、これはかつて台湾により使われていた戦略である。この契機になったのは、2005年の中国海洋石油総公司(CONOOC)によるユノカル買収が米議会の反対にあって挫折した事件にあったという。シンパ議員の中国招待やエール他の有名大学への資金援助なども増加している。米国の裏庭コスタリカ等にも、中国の「金にモノを言わせる援助攻勢」が進んでいる。NBAの姚明のような中国出身の有名選手の有効利用や、野球なのでの次世代のスポーツ選手を育成すること(「中国のイチロー」育成!)も重点課題になっているという。
その他、「自主創新」という標語の裏に隠された「(技術盗用などの)手段を問わないハイテク産業育成」策や米国企業買収等も、今や一般的である。「心の奥で中国への反発も抱えながら、経済再生を委ねざるを得ない」という米国のジレンマは、軍事的に従属していた日本と、それの効かない中国とでは大きな差があるという点を除き、少し前の米国の日本に対する感覚である。更にサイバーテロのシナリオやGPSを巡る米中の競争なども含め、この両国の競争・軋轢はサイバー空間や宇宙空間も巻き込みながら続いていくとされている。
今までも何度か触れられてきた中国マネーの力について改めて短く触れられている。経営困難に陥った米国企業に買収された上でその経営権を握り、買収企業の上場を維持するという手法で米国上場を果たす中国企業が次々に誕生しているという。同時に国内の石炭開発や不動産等にも中国マネーは流れ込んでいる。
こうして最終章で、中国の持つ「強さと脆さ」が総括される。「強さ」はこれまで散々紹介されてきたとおりであるが、「弱さ」の最たるものは民主的基盤の問題であり、これについては、北京の書店での討論サークルが紹介されている。こうした場が生き延びるための手段は、「組織を作らず、反対派の立場をとらない」ということである。獄中の民主活動家劉暁波のノーベル章受章は、中国では完全に無視・抑圧されたが、こうした場では彼も公然と講演を行なっていたという。しかしこうした運動が一線を越えられないのは確かである。ネットや携帯メールが厳しく監視され、それを理由に恣意的な弾圧が行われているのも良く知られている。チベットでの少数民族の抑圧と反乱や、モンゴルや広州での言語問題等も、中国のアキレス腱である。そして最後に格差問題。一方で農民工や蟻族のような生活苦を抱える集団と渡米出産ツアーに参加するような特権階級との所得格差は、「調和社会」の理想から「日に日に遠のいている」この国の現在を象徴しているというのが、この本の締めくくりである。
5年前の報告と同様、この本も新聞記事として使われたルポの寄集めで、それをまとめる論理の一貫性はあまり感じられない。しかし、個別のルポを選択する際の視点は、やはり5年前の本以上に、国力を蓄えてきているこの国に対する「脅威」を意識させるものになっているように思われる。経済関係が強化されると、政治的関係も安定に向かうという一般的な議論は、この国については必ずしもそのまま当てはまる訳ではないのであろう。その意味で、この国を巡る政治的・軍事的バランスの維持と、経済面での関係強化は、多様な国の多様な思惑を巻き込みながら、今後も複雑な動きを続けていくのであろう。これから5年後に同じルポが書かれるとしたら、その時はどういう状況になっているか、興味は尽きない。
読了:2011年10月29日