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アジア読書日記
中国
中国の市民社会
著者:李 姸焱 
 今回の日本出張時に、本屋で衝動的に買った新書で、通勤電車の中で読み始め、帰国の飛行機の中で読了した。

 中国では、最近の指導部の交替や、それに先立つ権力闘争での薄熙来の失脚劇等の政治大状況についてはいくらでも情報が溢れているが、一般社会については、時々発生する地方での政治騒乱や陳情活動、あるいは都市での「蟻族」の話などが断片的に伝えるだけで、その社会底辺に根ざした動きについて伝えられることが少ない。そうした中でこの新書は、まさに中国社会での草の根での運動の成長を追いかけているということで、私の関心を引くことになった。しかも、当初はあまり著者を意識しないで読み進めていたが、ある時改めて著者を確認すると、彼は1971年、中国は長春生まれで、東北大学で博士号を取った後、現在は駒沢大学の准教授を務めている中国人であることが分かった。これは少し驚きであった。それまで読み進める過程では、その日本語文章には、外国人が書いたという違和感は全くなかった。また尖閣諸島を巡る中国との軋轢の激化についても、序文でのコメントは日本人が書いたものと然程異なる物ではなかった。しかし、著者が中国人である、ということを意識して読み始めると、本題である中国での草の根運動の成長のみならず、日中関係についての大状況に関わるコメントも、日本通の中国人が、どのようにそうした事象を眺めているのかという、別の関心が広がることになった。

 著者は、まず日本での「反中」意識の悪化についての簡単なコメントから議論を始めている。池上彰を引用しながら、日本の「反中」意識が拡大したのは2004年のアジア・カップでの中国人観衆の反日的行動が大きなきっかけとなり、その後毒餃子、漁船衝突等で悪化の一途を辿ったとされるが、ここで著者は、こうした日本人の「反中」意識の中に、日本人の中国認識の狭さ、即ち「予想できる中国」の範囲が狭いために、それを越える事態が発生すると拒絶反応を起こしてしまうとしている。もちろん、どの社会がそうであるように、また特に中国のような広大な国土を持つ社会は、「多様性、複雑さ、内包する矛盾」が取りたてて顕著である。それは単に「一党独裁の社会主義国家」というホモジェニアスな社会ではなく、むしろそこでも国家の統制と並行して市民社会のダイナミズムが広がりつつあるという。こうした中国市民社会の多様性を紹介するのがこの新書の課題である。

 実際、読み始めた直後、著者について意識することなくこのくだりを読んでいた時には、これが日本人の研究者による文章と思いこみ、ごく常識的なコメントであると考えていたが、それが中国人によるものであると意識すると、著者の冷静な姿勢が一層強く感じられることになる。

 その上で、具体的な中国市民社会の全般的な状況が説明される。それは一言で言うと、日本で報道される中国の多くの社会問題の背後で、それに立ち向かおうとするNGOが着実に成長しているということである。「社会主義を標榜する国においても、国家が公共の問題のすべてをコントロールできない以上、市民社会の存在が現実的に可能になる」のである。

 90年代以降の、アジア諸国全体としての市民運動の成長についての山口定のコメントを始め、市民社会の定義など、著者の基本的視座が説明されるが、それは省き、まず著者が認識する中国の市民社会の特徴を押さえておこう。

 まず、これは一般的な認識であるが、@「中国では伝統的、社会体制的原因により『参加の分化』は極めて欠如」している。またA「市民としての『参加の権利』は憲法では保障されているものの、体制的な要因からそれを実現する具体的な保障と方策が極めて脆弱」である。しかし、これがポイントであるが、B「各種自発的な民間団体・組織の存在や、彼らが作り出す活動の場、提供している問題解決の方法や参加のツールを意味する『参加の仕組み』」に関しては1990年代後半から「NGO及びそのネットワーク、若者による新たな参加のツール・形態、社会的企業及びその育成団体が次から次へと登場している」という。そしてこうした新たな流れを担う具体的な活動が紹介されていく。それらは、大量に存在する政府の指示を受けた官製NGOに対し、「草の根NGO」と規定される。

 日本で阪神大震災が発生した2005年は「ボランティア元年」とされているが、奇しくも中国でも、この年北京で行われた世界女性会議に際して、政府間会議に先立って、世界190カ国、3万人を越える参加者が集まった大規模なNGOフォーラムが開催されたことをもって、その後の中国でのNGOの飛躍に繋がったとされている。

 「初代(第一世代)草の根NGO」がまず紹介される。「最初のNGO」とされる、1993年設立の環境保護団体「自然之友」、続いて環境保護と女性の権利擁護を中心とする「北京地球村(地球村)」(96年)、女性向けカウンセリング・サービスの「北京紅楓(ホンフォン)婦女心理センター」(95年)、出稼ぎ女性の生活サポートの「農家女分化発展センター(農家女)」(96年)、ジャーナリストによる環境保護の「緑家園ボランティア(緑家園)」などであるが、この第一世代は「カリスマ性のある知識人リーダーの存在」が共通の特徴であったとされている。

 著者は、日本の「知識人」がやや孤高の傾向があるのに対して、中国のそれはある集団を構成している、としているが、それは、日本や欧米の場合は、生活基盤さえあれば「孤高」で生きていけるのに対し、中国の場合は「階層」としてまとまらないと、国家権力の前に脆弱であるということの違いだけのような気がする。実際、中国の場合は、NGOのような私的組織に対する政府の管理は、日本などと比較にならないくらい厳しい。「登記せずに任意団体として活動するのは違法」で、且つ正式に登記するには「民政」という行政部門の許可が必要である。しかし、第一世代NGOは、こうした管理を逃れるため「企業登記」を行った上で、海外の財団やNGOの「資金的、理論的、実務的」な支援を受けながら活動を進めてきたという。そしてこれら初期のNGOは3つの意味で「参加の仕組み」作りに貢献したとされている。それは@官制ボランティア組織と異なる草の根組織での活動機会を与え、A「フラットな関係によるネットワーク組織」による社会問題への取組みの機会を作り、そしてB「寄付者と寄付先をつなげる仕事」を行ったという。

 2002年頃から、中国社会の急速な変容を受け、中国のNGOが第二世代が誕生する。第一世代が「特定の社会問題の突出」だったとすれば、この時期からは、「格差の拡大と、多様な分野における社会問題の噴出」を背景とする第二世代のNGOが誕生していく。環境汚染問題、農民工問題の深刻化や、不動産開発や住居の変化による「私的利害関係が絡んだ公共の問題」がコミュニティの問題として顕在化していく。更に「自らの生きるスタイル」を求める人々が、こうした新たな動きを担うようになる。第一世代NGOの中で経験を積んだ者による「カリスマ路線からの離脱」、「個人商店から組織的経営への転換」が行われ、取り組む問題も「より具体的で、より細かく専門分化」することになる。その例として挙げられているものの内、コミュニティ内での住民同士あるいは行政機関とのトラブルを処理する「社区参与行動」や、「エコ・ヴィレッジ」の設計を行う「北京緑十字」は、当局にとっても有用なNGO。他方、「准河衛士」、「緑色漢江」、「光州環境研究センター」などの環境NGOは、より当局との対立関係が強くなる。各種社会的弱者の問題に取り組むのは、農民工支援では「小小鳥」、「工友之家」、「同心希望家園」、知的障害者支援では「北京彗霊」や「太陽村」など。中国で一億人いると言われるB型肝炎患者の権利擁護から始め、その後エイズや結核患者など、難病で差別される人々の支援にまで幅を広げた「益仁平」等も特記に値する。こうした組織の活動が成長するにつれて、当然当局側からは、利用するNGOと抑圧するNGOとの仕分けが行われ、それに応じた対応策が強化されることになる。ただ前者の中でも、それなりに民衆の側からのイニシアティブを当局の政策づくりや行政手法に影響を及ぼすことに成功するNGOも生まれてきたという。現場で「直接政府と交わる」NGOの誕生、ということになる。

 更に、2008年は、北京オリンピックの開催に象徴されるように、経済成長によるポジティブな側面と、その裏面としての新たな社会問題発生・深刻化の双方で、中国にとっては転換の年となるが、この時期、「八十後(パーリンホウ)」と呼ばれる新しい世代の人々が、新しい形のNGOを立ち上げる。それが「社会企業家」と呼ばれる組織である。

 この組織の理念は、「具体的な社会的課題の解決を自らのミッションとし、ビジネスの手法を活かしてその課題に取り組む」ことで、代表的なものが「上海NPI(Non-Profit Incubator)」、別名「恩派(エンパイ)」という組織である。彼らは、2006年頃から活動を始め、「ツーリズムと貧困地域の学校支援を結び付ける」事業、「青年の冒険事業と地方の環境保護を結び付ける」事業、その他「耳の不自由な人の職業訓練」、「知的障がいの子どもたちの絵を製品化して販売」する事業、「末期ガン患者のターミナルケアを行う」事業などの支援を行ってきたという。更に、インターネット世代のスキルを活かした「公益行為芸術」というコンセプトで、自転車のレンタルなどの環境保全活動を行う組織なども誕生しているという。

 こうした中で、「行政側のニーズをうまく捉えて活動空間を獲得」すると共に、他方で単に「行政の手足」となるだけではない自立的なNGOの例として、前述の「社区参与行動」、「北京緑十字」、「北京工友之家」、「公衆環境研究センター」などの戦略と活動が詳細に報告されている。また「社会企業家(ソーシャル・ビジネス)」の同様の戦略と活動についても、著者は「北京富平学校」や「上海NPI」、及びその「孵化器」から誕生した「個性的な公益プロジェクト」の幾つかの例を具体的に説明しているが、詳細はここでは省略する。ただ、中国においても、こうした「公益領域の産業化」とそれを通じての「新しい民営運動」を通じて、「社会強化機能=社会の道徳観と価値観を高める」という意識が、徐々に市民社会に根を下ろしつつあることは重要である。また他方で、「上海グラスルーツ・コミュニティ」という農民工や外来嫁の支援NGOの成功と失敗の例を引きながら、著者が「行政との協働関係が強調され、業務委託が制度化されている日本と異なり、中国で行政とNGO側との対等な協働関係を保障する制度は全くないため、NGO側の独立性の保持と『草の根』の心意気が重要視される」と言う時、まだ中国では政府とNGOとの適切な距離を保つことが、必ずしも容易ではないことも改めて理解できるのである。

 最終章で、著者は、再度1990年代以降の、日本と中国のNGOの成長を比較している。双方とも欧米のNGO運動の影響と支援を受けながら展開されてきたが、中国のNGOと比較して、日本のそれは「それぞれの活動内容について詳細且つ精彩に語ることができても、活動分野全体、さらにはNPOという領域全体のビジョンを語る人は少ない」、逆に言えば、1998年にNGO法が成立して、NGOの社会的位置がそれなりに定着している日本と比較して、中国のNGOは、まだそれが確立していないことから、政府との緊張関係を保ちながら成長していくためには、より強い「ビジョン=イデオロギー」を主張せざるを得ないということなのだろう。日本の大学(駒沢大学)で市民社会論を担当している著者は、日本のNGOを巡る理論的な問題と運動の実態につき、それなりの研究をした上で、故国である中国のNGOを取材・分析している。それを通じて見えてくるのは、「党と政府が公共問題のイニシアティブのすべてを握ることを特徴とする」社会主義体制のもとにおいても、政府とは「異なる視点、異なる立場から公共問題に関わる『参加の仕組み』を創り上げようとするNGOなどの民間組織が、中国社会に現われたこと自体、社会主義体制の大きな変化を示唆している」ということである。そしてこうした運動を通じた市民社会の活性化が、更に「中国社会の多様化と活力」を促していくことを著者は期待している。「日本よりも中国のほうが、公共(「天下」)に自らの日常を結びつける発想に抵抗がない」として、こうした参加の文化を育むには、「日本では、いかに人々の目を公共に向けさせるかが問われ、中国では、いかに『天下』思想を活かしつつも、多様性を容認する参加の仕組みを作っていくのかが問われている」。これなどは、いかにも両国の文化を肌で理解した研究者による適切な指摘と言える。

 著者は2010年に「日中市民社会ネットワーク」という任意団体を立ち上げ、中国と日本のNGO、その中の個人を結びつける運動を実践しているようである。こうした活動を通じて、大状況では最悪と言われている日中関係の、草の根での改善を目指しているようである。もちろん、こうした活動が、大きな政治・経済関係の中で、短期間に影響力を発揮するのは極めて難しいのであろうが、少なくともこのように日本を熟知し、日本語でここまでの主張を本にできる中国人がいること自体、日本にとっても非常に貴重なことであると思える。こうした個人レベルでの相互理解の浸透は、両国関係の改善のためのプラス要因ではあっても、決してマイナス効果をもつものではない。中国は12億人超の人口と、誇大な国土を有する大国であり、そこで発生している多様な現象を幅広く認識し、全体観の中で捉えるのは容易ではない。更にここで報告されているNGOの世界は、日本以上に中国の一般メディアからは発信されることが少ない情報である。こうした紹介を契機に、中国語クラスへの参加などを通じて私自身が作ってきた個人的な大陸中国とのパイプも利用しながら、中国社会の別の一面を掘り下げてみるのも面白いと思えたのである。

読了:2012年12月9日