チャイナ・ジャッジ
著者:遠藤 誉
薄熙来と谷開来を主人公とする中国における権力闘争の歴史を描きながら、英国人暗殺事件の真相を探ろうという作品である。しかし、そうした本筋はともかく、読み進めている内に、今回初めて名前を知ることになったこの著者の生い立ちから、その後の経歴にまず強い関心を抱くことになった。
1941年、私の父と同じ長春で生まれた著者は、そこで初等教育を受けると共に日本の敗戦と中国共産党による「解放」を迎え、その後天津を経て1953年に日本に帰国する。そして帰国後は物理学者として筑波大等で教鞭を取りながらも、自己の原点である中国に関する政治・社会評論等の著書を数多く出版してきたという。特に自分の中国からの引き上げ体験を基にした自伝的小説「卡子(チャーズ) 出口なき大地」は、山崎豊子の「大地の子」に盗用されたとして著者自身が訴訟まで起こしたが、これは結果的には敗訴したそうである。そして今回の本では、薄熙来と谷開来を巡る数々の事件にアプローチする個人的な原点として、まさに長春が人民解放軍に解放された時の指導者であった、薄熙来の父親である薄一波に対する著者のある種の原体験があったことまで示唆されるのである。そうした著者の経歴から、この本では至る所に著者の個人的な思い入れが披露されている。そして編集者も、あえて意図的にそれを著者に促したようであるが、それがこの本を、一般の中国論とは趣を異にするものにしている。それを念頭におきながら中身を見てみよう。
2012年2月、重慶市の公安局長で副市長であった王立軍が成都にある米国大使館に逃げ込んだ事件に始まる、薄熙来とその妻、谷開来を巡る一連の事件は、中国で度々発生する権力闘争のドラマの中でも、群を抜いてマスメディアの格好のネタになった。重慶市長として暴力団潰し(打黒。実際は富豪からの資産収奪)や、毛沢東主義への回帰を促す「唱紅運動」等で権力を欲しいままに行使していた薄熙来の失脚と、「中国のジャクリーヌ」とも呼ばれたことのあるその妻谷開来の英国人殺人容疑による逮捕は、特に後者の殺人事件を巡る逮捕から裁判までに現われた公式報道が、いかにも不自然且つ意図的で、その背後にある真実を覆い隠しているという疑惑を抱かせることになる。著者は、薄熙来と谷開来の経歴を辿りながら、これが単に一過的な事件ではなく、中国指導部の激しい権力闘争の結果であると推測していくのである。
1947年生まれの薄熙来が、1966年5月、毛沢東の文化大革命が始まった時に、率先して北京で先鋭的な紅衛兵グループに参加し、自分の父であり、当時共産党幹部であった父親の薄一波を告発したのみならず、公衆の面前で殴る蹴るの暴行を加え、肋骨を3本折るような怪我を負わせたという。しかも投獄された薄一波は、息子を非難するどころか、「自分の息子は見所がある」と称賛し、その後復権すると、薄熙来を権力の座に就かせるためにあらゆる手段を講じていく。他方、薄熙来も、その後投獄されるが、生来のそうした「傍若無人の横暴さと殺人を何とも思わない残忍さ」をもって、復権後また権力の階段を駆け上がっていくのである。著者は、薄熙来が、父親の不倫婚で生まれた息子であり、それが自身の谷開来との不倫婚と重なり、また薄一波が、自分の復権に奔走した胡耀邦を失脚させ、それが天安門事件の遠因になったのと同様、薄熙来もその上昇過程で多くの恩義ある人間を裏切ってきたことが、今回の一連の事件に重なるという。こうした薄一波と薄熙来の人間性に対する著者の不信は、その後も度々登場することになる。
他方、谷開来は、5人姉妹の末っ子として生まれたが、やはり親が共産党幹部であったことから、親や上の姉たちが下放され、一人で北京の家に残され苦労をしたようであるが、それでもその小さな子供の頃から正確な肉切りや琵琶の演奏などで才能を発揮。北京大学入学後も文学的な才能を開花させるなどし、卒業後は弁護士となる。これは改革開放後に最初に現われた弁護士の第一期グループであったという。こうして北京大学時代に薄熙来と谷開来は付き合い始めるが、この時に薄熙来には既に妻と子供がいた。しかも、その妻と谷開来は縁戚関係にあった。泥沼の離婚協議は、最終的に、双方の親の利用価値を判断した薄一波の介入で最終的に決着。その後、薄熙来は前妻との子供を投獄するまでしたという。彼は、現在は釈放され、名前を変えてマスコミを避けているそうである。
薄熙来は、学業終了後、短期間の北京での勤務の後、遼寧省の金県という片田舎を皮切りに、この省で20年を過ごすことになるが、著者は、これは別れた前妻の親である李雪峰がまだ権力を持っていたので、その怒りを避けるためのものであったと推測している。何故ならば、その前妻の父親が2004年に97歳で死ぬと共に、薄熙来も北京に戻ってきたからである。不倫関係の処理といい、その後の経歴と言い、それが時の権力関係を反映しているというのは、如何にも「宮廷政治」的である。こうした「宮廷政治」的伝統が、いまだに中国共産党の中でも生きているというのは興味深い。
こうして長い遼寧省時代に形成された薄熙来の性格や政治手法が説明されていく。一方ではそこでの「薄熙来排斥」ムードと闘うために、そうした自分の敵を徹底的に抹殺しながら、他方で権力獲得へ役立つような部下や勢力については暴力団(「虎豹」と呼ばれる「黒老大」)であろうと接近し、優遇する。あるいは、スキャンダルを握った部下を脅し、自分に忠誠を誓わせる。こうして、最終的に自分の側につく人々が善で、自分にたて付く人々は全て悪として抹殺する、という彼の政治手法となるのである。更に、時の権力者、趙紫陽の気を引くため、彼の好きなゴルフ場や彼の名前を冠したホテルを建て、そこを視察させるといったゴマ擦り作戦。開発過程では暴力団を利用し、彼らからたんまりとキックバックをせしめる。中国の成長が、地方同士の競争を煽り進んできたという一般論の背後にある歪んだ成長構造の象徴のような話しである。こうして1988年、薄熙来は大連市党委宣伝部長に昇格する。丁度その頃、党指導部内では、天安門事件への伏線となる、胡耀邦降ろしが始まっていた。そこでは、かつて彼の尽力で復権した薄一波が、手のひらを返したように胡耀邦降ろしを主導。他方で習近平の父親習仲勲は、ケ小平と対峙して胡耀邦を守るべく論陣を張ったという。天安門自体は、ケ小平を抱き込んだ旧守派の勝利に終わるが、習仲勲は、それに先立つ1987年、党幹部の若返りを促すため多くの老幹部を道連れに引退。他方、天安門で失脚した趙紫陽をあてにしていた薄熙来は、今度は慌てて反趙紫陽に舵を切ることになる。
著者は、更に1992年のケ小平の「南巡講話」を巡るケ小平と江沢民(=薄一波)との権力闘争についても触れているが、これは、ケ小平が、天安門で逆に触れた振り子を、「改革開放」に戻すために仕組んだ政治工作であったと考えているのが面白い。しかし、結局のところケ小平は、天安門で自分の子飼いであった趙紫陽や胡耀邦らを切らされた結果、江沢民と結んだ薄一波ら党長老の支配を崩せないまま逝去したとされている。しかし「改革開放」の道だけはケ小平の遺産として残り、大連市長になっていた薄熙来は、闇勢力と結託した開発手法で、その流れに懸命に乗っていくのである。そしてそこで大連に外資を呼び込む上で力を発揮したのが英語に堪能で美人の谷開来と彼女の弁護士事務所であり、外資による開発を進めると共に、コンサル料と賄賂でたっぷりと稼ぐというビジネス・モデルを確立するのである。もちろんもめ事は、薄熙来の政治力を使って処理していく。この時期の「北の香港」としての大連市が著しい成長を示したことは著者も認めているが、他方でこの時期、地域の国営企業を大量に香港の資本家に売却するなど、大連の党委書記を無視するような行動も多く、指導部の批判を受けたこともあったという。またこの頃結託した国内資本家で、今回の薄熙来の失脚と共に逮捕された者もいるという。そして、こうした流れの中で、彼ら夫婦と今回の主人公の一人であるニール・ヘイウッドとの関係もできていくことになる。
これがこの本の主題であるが、著者は、谷開来がヘイウッドと知り合ったのが、その後の彼女の公判で認定されたような2005年ではなく、1990年代の半ばであったと想定している。これはまさに薄熙来と谷開来が大連で荒稼ぎをしていた時期であることを印象付けるためである。そして、そこで鍵となるのが「裸官」という概念である。これは、中国の高級官僚が、国内で蓄積した富を「洗銭(シーチェン)」するために自分の子供を欧米に留学させ「拠点」を作り、母親がそれに同行し、いざという時の高跳びの準備をしておく。その結果、夫は「中国大陸に子供なし、妻なし、貯蓄なし」の「裸」で「官界」にいることになるということからできた造語である。そして、薄熙来と谷開来のケースでは、まさにヘイウッドと後述するパウウェル卿が、子供である薄瓜瓜のオックスフォード留学のフィクサーとして登場するのである。
著者は、その後の大連における薄熙来の出世のための必死のアピールと、それにも関わらず彼の昇進が遅かったことを、幾つかの逸話を交えながら繰り返し書いている(1999年の江沢民の大連視察での食中毒事件や率先した法輪功弾圧、「瀋陽閥」との戦い、「東北の虎」王立軍との出会い等)が、それは省略し、ここからはこのヘイウッドとパウウェル卿との関係を中心に見ていこう。
2000年代初頭、薄瓜瓜が留学した英国(因みに、瓜瓜はまずシンガポールで英語を勉強したという!)で、ヘイウッドが谷開来と同棲していたという噂がある。彼女は、ヘイウッドのみならず、今回カンボジアから中国に呼ばれ事情聴取されているフランス人建築家のドゥビレーとも愛人関係にあったのではないかとも言われており、今回の事件が、中国の政治指導者の一人の失脚事件と言うだけでなく、彼らの不正蓄財の実態から、個人レベルの不倫関係というまさに様々な側面を持ったものであることが示唆される。
2004年2月、遼寧省長となっていた薄熙来は、北京に戻り商務部長に就任する。その前年、前妻の父親で政敵の李雪峰が逝去したことで、薄一波が晴れて中央に呼び戻したのである。この時代、薄熙来は猛烈な勢いで働き、また国際舞台への頻繁な登場も果たすが、同時に商務省幹部を自分の息のかかった人間に入れ替えるとか、欧米滞在時のスタンドプレーなどで、既に国家主席になっていた胡錦濤の警戒の対象になると共に、彼の後継者であった江沢民さえも、2007年1月、薄一波が99歳で死ぬと、彼も薄熙来から距離を置くようになる。胡錦濤は、彼の腹心李克強を薄熙来が去った後の遼寧省党委書記に送り込み、遼寧省時代の薄熙来の疑惑に関する証拠を集めさせたという。薄熙来は中共中央政治局委員となるが、そのまま重慶市書記に追いやられ、2007年の第17回党大会では、次期指導者候補である「中国共産党中央委員会政治局常務委員会委員(チャイナ・ナイン)」から漏れ、怒りを爆発させることになる。因みに、この時、チャイナ・ナインに入りこんだのが、今回新指導者となる習近平と李克強である。そして薄熙来は、重慶から大々的な「唱紅運動」と「打黒運動」を仕掛け、毛沢東主義の旗の下に、旧守派の支持を頼りにした最後の権力闘争を仕掛けるのである。しかし、ここで最後の決定的な脇役の一人が登場する。サッチャー首相の個人秘書官で、退任後は英中貿易協会会長なども歴任していたパウウェル卿である。
薄熙来は、彼が主催した「千人紅歌団」公演などにパウウェル卿を招待する等、国際宣伝と権威付けに利用していたが、パウウェル卿は、英国情報部と密接な関係がある人物である。その彼は薄熙来の息子瓜瓜の英国における後見人でもあった。この人脈はヘイウッドを介して形成されたものであるが、そのヘイウッド自身もMI6に関係していたという噂もある。こうした英国諜報部と薄熙来の関係は、胡錦濤らにとっては薄熙来に対する格好の攻撃材料である。こうして、2012年2月の王立軍の米国大使館逃亡事件、3月、その責任を取らされる形での薄熙来の重慶市書記解任、そして4月、ヘイウッド殺害容疑での谷開来逮捕(実際の殺害は2011年11月)という「チャイナ・ジャッジ」が下されていく。それ以降は、マスメディアを中心に、数々の裏話や推測が乱れ飛ぶ事態になったことは言うまでもない。
既に谷開来のヘイウッド殺人事件については、「ヘイウッドから開発案件を巡り多額の報酬を要求され、息子の安全も脅かされた谷開来による個人的動機による犯罪」ということで決着し、次は薄熙来自身の裁判に関心が移っているが、一般的な見方は、彼は殺人事件とは一切関係させず、単純に汚職や不正行為を中心に告発されるだろうということである。しかし、素人の私が見ても、ヘイウッド殺人事件が、単なる金を要求されたことでの個人犯罪であるとは思えず、薄熙来の政治的行動と重なっていることは明らかである。そしてそれが、著者の最後の議論になる。
詳細は省略して、著者の推測する結論だけ記載しておこう。著者の見方は、既に薄熙来との関係が悪化していた王立軍が、谷開来に対し、夫の出世を妨げているのは「英国スパイ」ヘイウッドとの関係だと耳打ちし、それを受けた谷開来が、「夫と子供のため」にヘイウッドを消した、というものである。当初、アルコール中毒死と報じられ、ヘイウッドの死体を直ちに焼却することに彼の中国人妻が同意したのも、谷開来が、ヘイウッドの家族にスパイ容疑を表面化させないように説得したからではないかと考えれば辻褄が合う。しかし、王立軍は、直ちにこの殺人事件を薄熙来への攻撃材料として利用し、結果的に米国大使館に逃亡する。そして胡錦濤ら指導部は、これを理由に最終的な薄熙来放逐に成功するのである。しかし、表面的には、この殺人事件は矮小化されなければならないし、また薄熙来の裁判も、まだまだ勢力を有する国内の毛沢東信奉者たちを刺激しないようなものにしなければならない。それが、著者が長きにわたって体験し、観察してきた中国流の処理であるというのである。
おそらく、この著者の推測が全てを説明する訳ではないし、その背後には、中国指導部しか分からない多くの秘密が隠されていることは間違いない。中国指導部は、それらを吟味し政権にとって最良の判断を行うことになるのだろう。しかし、著者の推測は、「当たらずといえども遠からざる」ものであろうことは想像される。即ち、この一連の事件は、中国宮廷政治内部での権力闘争の一つの典型的な事例であり、決して薄熙来や谷開来の性格や個人的な動機だけに基づくものではないということである。それ故に、ここで跡付けられている薄熙来の経歴と今回の事件を契機とした失脚劇をどのように処理するかは、習近平のもとでの新しい指導部にとって最初の試練になることは間違いない。いわば、この事件は、文化大革命後の江青ら4人組逮捕に匹敵する政治的失脚劇であり、ヘイウッド殺人は、ある意味そのために仕組まれ、そしてしかるべく処理されなければならないのである。こう考えると、著者の事件の真相に関する推理の真偽はともかくとして、この本はそうした中国宮廷政治の隠された一面を浮かび上がらせると共に、中国から引き揚げ、その後70歳を越える現在まで様々な形で中国と関わり観察を続けてきた著者の執念を感じさせるものであった。
読了:2013年2月3日