アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
アジア読書日記
中国
「歪んだ経済」で読み解く中国の謎
著者:石 平 
 年初に「習近平が仕掛ける新たな反日」(別掲)という、中国脅威論の立場からの習近平新体制の分析を読んだが、今回8月の4連休の初日に流し読んだこの新書も、より極端な立場からの中国脅威論=中国危機論である。1962年四川省で生まれ、1988年より日本で活動している著者の名前には今までいろいろなところで接していたものの、評論を読むのは初めてであるが、ここまでの反中論者であるというのは認識していなかった。こうした立場であれば、産経新聞が好んでこの著者のコラムを設けているというのも納得できるし、間違いなく母国への再入国は拒否されているであろう。著者の来日が天安門事件の前年であることを考えると、来日中にこの事件に接し、それを契機に日本に留まることを決意したということも想像され、その意味では、天安門事件で海外放逐された運動家等と同じように、海外に留まる中国体制批判派としては、なかなか面白い存在ではある。

 議論は非常に明快である。まず中国経済は、最近の金融引締めもあり、急速に悪化しているが、これは「対外輸出」と財政主導の「国内固定資産投資の拡大」により成長してきた従来の成長戦略から、内需主導での成長に向けた構造転換の試みの中でもたらされたものである。しかし、従来の戦略が決定的な所得格差を生み、「大半の国民は消費しようにも、お金がなく」「(少数の)金持ちは海外で消費したり、海外の不動産を買う」ために、国内消費の活性化は構造的に困難である。ある研究では「中国では全家庭の10%に過ぎない富裕層が、民間貯蓄の75%を持っている。残りの90%には25%しかない」とも言われている。

 中国は、国内低賃金に依存する労働集約的な輸出産業の育成と高速鉄道網に代表される資本投資(バラ撒き)で成長を遂げてきたが、後者はインフレと汚職を通じて、こうした所得格差をもたらし、他方でそれがもたらすインフレによる賃金上昇を通じて輸出産業の競争力を弱めると共に、それにより発生する大量の失業者からの所得格差を主因とする不満を強め、それが社会不安を高めていく。中国各地で発生している暴動の背景には、こうした構造要因があるとするのである。胡錦濤前政権は、こうしたリスクへの対応として、まず2010年秋から2012年春先までインフレ対策としての金融引き締めを実施したが、これが成長を下押しすることになったことから2012年夏から「カンフル剤」としての公共投資を再開した。しかし今度はそれが今年(2013年)に入からのインフレが再燃をもたらし、これが足元の習近平政権による再度の引締めに繋がるという「いたちごっこ」になっている。

 こうした状況で、著者は中国共産党政権の正統性自体が危機に晒されているとする。歴史的には、建国時、共産党政権は「みんな等しく大貧民」という「平等」イデオロギーに依拠していたが、毛沢東以降権力を握ったケ小平が経済成長主導に舵を切り、そこで全体としての経済水準は上昇したが、所得格差と利権に基づく汚職構造が拡大する。更に天安門事件で、「人民のための政権」という正統性が使えなくなったことから、もはや「経済成長にはブレーキを掛けられない」状況になった。そこではどうしても、インフレと所得格差問題によって生じる民衆の「社会的焦燥感」への対応が必須になる。著者によると、習近平新政権は出発したのは、このように、中国社会があたかも「革命前夜」であるかのような「騒然たる雰囲気」になっている状況の中である、として、その後も繰り返し、地方で頻発する暴動やネットに溢れる政府批判などに度々言及することになる。

 そうした環境下での習近平新政権の戦略の分析に移る。まず経済担当である新首相李克強の「新成長戦略」である「都市化政策」が、冒頭の記者会見から迷走を始めた例を引きながら、結局のところ、習近平新政権は、国内の不満をそらすため、「反日」カードを切りながら「軍国化」を進めるしかないというのが著者の結論である。その論理を簡単に見ておこう。

 まずこの危機を乗り越えるための「政治改革」の動きとして、胡錦濤と同じ共産主義青年団の次世代ホープ汪洋の、「共産党の一党独裁をなくすのではなくて、経済領域にたいする党や政府の介入や干渉を制限する」という主張を紹介している。しかし、この汪洋は結局最高指導部のメンバーである政治局常務委員になれなかったことから、著者は依然江沢民ら旧指導部の影響力が残っており、「江沢民と胡錦濤の妥協」としての習近平新政権は、この分野で大きな変革を行うことはできないと見る。そして国内の不満の高まりに対して政治改革ができないとすると、これをそらすためには最早「軍国化」の道しか残されていないと見るのである。著者によれば、2013年2月の「レーダー照射事件」は、軍の暴走などではなく、習近平率いる共産党による明確な意志に基づく行動であり、それは習近平の度重なる軍関係の視察とそこでの「民族の偉大なる復興」といったナショナリスティックな発言、更には人民解放軍総参謀部から軍に対する「戦争準備」指示等でも明らかであるとしている。尖閣諸島への干渉は、まさに国内に向けてこの姿勢を示す格好の素材であることから、これは簡単に終わらせる訳にはいかない。「日本に対しては正真正銘の敵視政策に傾いていく」ことになる。

 著者は、習近平が一般に言われているように「八方美人の人畜無害」な指導者などではなく、「13億人の中で一番腹の黒い、そして頭のいい人間だ」として、自分が政権を取得し、維持するために必要なことを冷静に考えている、という。著者によれば、習近平は、太子党(革命第一世代=創業者グループの子弟。江沢民派)と共産主義青年団(共青団派=雇われ社長グループ。胡錦濤派)が依然権力闘争を続けている中で、自らの指導力を確保するために着々と手を打っているという。まず2012年11月の習近平が指名された党大会で、政治局常務委員会の多数派は江沢民派が確保。しかしそこで習近平は「人民解放軍を取りこんで軍内における自分の権力基盤の強化に全力を挙げる一方、昔からの敵である『共青団派』との連携を模索」する。そしてその結果、共青団派は李克強の総理就任などの政府人事で勝利すると共に、次世代の政治局常務委員会での多数派を確保した。しかし本来はバリバリの太子党である習近平は、最後は解放軍の支持を背景に、この共青団派を自らの支配下に置こうとしているという訳である。「習近平の率いる太子党は解放軍を、江沢民派は党の中枢を、そして『共青団派』は政府部門をそれぞれの拠点として三つ巴の戦いを展開していくであろう」という「新三国志」時代を迎えている。こうしてこの「新三国志」において習近平は、自らの指導力を確保するために、決定的に解放軍に依存せざるを得ない。これが習近平の「軍国化」を必至と見る著者の論拠である。

 著者は、最後にこうした習近平の「軍国化」に対する日本の対応についてコメントしている。それは一言で言えば、米国との安全保障上の関係を強化しながら、尖閣問題などで毅然とした態度を貫くべし、ということ。何故なら、中国の度重なる脅しにもかかわらず、米国の後ろ盾のある日本と戦火を交える力はまだ中国にはなく、むしろ現在の中国の内政上の問題(「革命前夜」の中国!)を考えると、それは中国にとって余りにリスクの高い賭けであるからである。そして現在の安倍政権が進めている「中国包囲」外交を、現在の中国に対する日本の対応として称賛してこの新書を締めくくるのである。

 繰り返しになるが、こうした主張を見てくると、この著者が産経新聞で定期的な中国観測のコラムを持っているというのがよく理解できる。中国の国内危機の深刻さをことさら強調し、その上で対日圧力は「張り子の虎」であるとして米国との同盟強化と領土問題等での一切の妥協を排した対応という著者の主張は、日本国内のナショナリズムを満足させ、現在の政権与党の外交政策を全面的に支持することになる。確かに、こうしたタカ派的議論が往々にそうであるように、ある意味論理は非常に明快であり、一見説得力がある。

 しかし、やはりこの議論が欠いているのは、中国の対日敵視をことさら主張することは、日本の中国敵視も強めることから、それが他の必要な両国の協議においても常に決定的な制約要因となるということである。尖閣問題は、ただの小さな島を巡るプライド争いとなりつつあるが、それが、東郷和彦が主張しているような「歴史問題」に転化してしまうリスク(別掲参照)は常に存在する。他方、対中国問題でのハト派(進藤榮一)が主張するように、例えば尖閣の歴史問題を認める譲歩を行い、将来的な中国との連携を模索した方が中長期的な利益になる、というところまで譲歩する必要はない。結局のところ、中国との関係は、単なるタカ派的敵視政策やハト派的融和政策ではない、柔軟かつ巧妙な対応策が求められているのである。

読了:2013年8月8日