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アジア読書日記
中国
日中対立―習近平の中国をよむ
著者:天児 慧 
 以前から時々名前は聞くことのあった中国学者であるが、まとまった著書を読むのはこの新書が初めてである。直近の日中対立を踏まえた中国分析であるが、一言で言うと非常に冷静で、特に感情的な議論をとことん排除しながら、出来る限り客観的に状況分析を行い、そこから現在の緊張した日中関係の打開策を提案すると共に、他方では緊張が更に高まり、両国による武力衝突が発生するというシナリオ分析も提示している。

 著者は、現在の「尖閣国有化」以降の日中関係の緊張は、1972年の両国の国交回復以来最悪の状況であると認識しているが、その最大の要因である中国の日本に対する強硬姿勢の理由は、@日中関係と対外戦略における「二つの突破」と、A国内問題での「共産党体制の維持・強化」にあるとする。「二つの突破」とは、「従来の日中の基本的関係の突破(=日本イニシアチブから中国イニシアチブへの転換)」と「アジア太平洋地域への安全保障・経済資源確保など勢力圏の拡大」であり、後者は現在の中国が直面する4つのジレンマ(@経済格差、蔓延する汚職、劣悪化する環境公害などの不平等社会のジレンマ、A国際協調路線と対外強硬路線のジレンマ、B中国特異論と普遍主義とのジレンマ、C多元社会・解放社会と一党独裁体制のジレンマ)を受け、体制防衛的な観点から「反日」カードを切っているという議論である。前者は、言うまでもなくGDPで日本を抜き、今や経済的にも日本を凌駕したという自信に基づき、アジアにおける自国の勢力圏を拡大しようという「大国主義」的発想であり、そして後者はそれにも関わらず国内で多くの問題を抱えている「途上国」であることから生じるジレンマへの対応であると理解できる。以降著者は、其々の点を詳細に論じていくが、ここでは面白かった議論だけを抽出しておく。

 まず上記の「4つのジレンマ」に対しては、以前から「強い国家―弱い社会」という議論があり、そこでは「台頭する社会」を中国当局が力で抑え込む、という対応を行ってきたが、それが「根本的で重大な変化の兆し」を見せているという。2012年11月の18回党大会に向けて「シンガポールで構築されたサービス型政府の経験」という論文が発表され、「@開放的で先進的で社会のエリートを不断に吸収していること、A党内に十分な競争と民衆の選挙があること、B基層党組織と民衆を緊密に結びつけるメカニズムが形成されていること」を称賛したというが、これはもちろん都市国家のシンガポールと異なる広大な支配地域を有する中国で簡単に模倣できるものではないが、少なくとも中国が何を目指しているかの指針にはなる。言うまでもなくこれは、形式上の民主主義を確立しながら実質的な一党独裁を維持し、政治社会の安定と経済成長・社会福祉を両立させたいという願望の現われである。しかし、そうしたシンガポール・モデル自体が今や転機に立たされているという認識がないのが、この議論の欠陥である。

 日中関係については、著者は1972年の国交回復以降現在まで4つの時期を経ていると整理している。まずは70年代の両国関係再開直後の黎明期、そしてケ小平の改革開放路線本格化を受けた80年代の経済交流の進展が見られた第二段階。第三段階は天安門事件の衝撃から始まりながら「中国の孤立化」を避ける努力が奏功した「国際社会の中の日中関係」時代、そしてそれが90年代後半からの第四段階に移行していくが、ここに至り中国の経済成長、軍事力強化を核にした中国の「大国意識」の高まりにより、それまでの関係が決定的に変化することになる。そこでは日中関係において、@規模の増大(経済関係の多面化と軍事力の増大)、A多様性の増大(対日―反日意識の多様化)、B複合性の増大(単純ではない米中関係等)という「三つの増大」が見られることになる。その結果、対中関係を考える際に、従来のように中国に対して単純な見方をすると誤る可能性が高くなっている。従って尖閣問題も、こうした認識の下で検討されるべきとするのである。

 これについては、2010年9月の尖閣諸島近海での「漁船衝突事件」が、それまでの両国間の良好な関係をいっきに転換させることになったが、その直前の2009年から2010年にかけて、中国では中国共産党の掲げる「中華民族の偉大な復興」という「ポジティブナショナリズム」が台頭し、積極的な外交行動の強化(南シナ海の「核心的利益」化)が行われた、というのが著者の認識である。更に、こうした反日が、「格差拡大、貧困の滞留、腐敗・汚職といった深刻化する社会矛盾・鬱積した社会的不満」のガス抜きの格好の手段となった、あるいは共産党指導部の内部で、東シナ海海底資源の共同開発等を巡る国際協調派と強硬派の権力闘争が行われたというのも、そのとおりであろう。2012年の「尖閣国有化」が引き起こした大規模な反日暴動は、まさにこうした変化を受けた共産党指導部の明確な意思表示であった。そして尖閣領有権についての冷静な歴史分析から、著者も中国の主張の根拠が弱いことを認識しつつも、相手が力を笠にきて強硬姿勢を強め、それが両国間のみならず、地域安全保障に重大な影響を及ぼす問題となっているという現実を踏まえた「大人の対応」を提唱している。そのための外交戦略は、@多層的な相互依存関係、多重的な利益共有構造の構築、A「挑発しない、挑発に乗らない」という実利思考、B日中政府間の「危機管理枠組み」の構築、Cメディアによる安易な反中・反日の抑制、といったものであるが、もちろん、これらは今までも模索され、まさにそれが機能しないために両国関係が悪化しているということであろう。しかしいずれにしろ日中両国の関係についての今後のシナリオの中で、「日本の孤立化」というのが最悪のシナリオであるという著者の見解に異を唱える者は少ないだろう。

 最後に、著者は、尖閣問題が両国間の武力衝突を引き起こすとすれば、どのようなシナリオが考えられるかという思考実験を行っている。やや週刊紙的であるが、しかしそれよりも緻密な議論を行っており、それなりに説得的であった。特に著者は、そのアクター分析の中で、「米国に優るとも劣らないアクター」としての台湾に言及している。「日本孤立化」が起こるとすると、米国と台湾の態度が最も大きな要因になるだろうというのが著者の見方であり、そのために「尖閣」での台湾を決定的に敵に回すのは得策ではない、とする。恐らく最近日本政府が、台湾との漁業交渉を妥結させたのはそうした思惑の結果であったし、著者もこの妥結は評価している。いずれにしろ一国の外交戦略は、その国の内政の延長にあり、且つ国際政治の場面では往々にして時の力関係が赤裸々に現われることがあることは言うまでもない。それを抑止する枠組みは、いろいろな位相で常に続けられなければならない。その前提となる冷静な相手の認識とそれに基づく理念を提示してくれる「大人の本」であると言える。

読了:2013年11月2日