「暗黒・中国」からの脱出
著者:顔 伯鈞
現代中国の暗部を描いた逃亡記である。著者は、胡錦濤等も校長を務めた中国共産党の最高学府・中央党校の修士課程で学んだ後、北京の人民政府の役人や大学教員を務めた後、著名な人権活動家が主催する「公盟」という社会改革団体に参加し、「社会的弱者の保護をはじめとした公民(中略)の権利保障を求め、中国の憲政の確立や体制民主化の緩やかな実現を目指す」「新公民運動」を進めていた。特に著者が関与したのは、「党官僚の財産公開」を求める街頭運動であった。しかし、習近平政権の発足前夜から、この程度の穏やかな民主化運動でも中国当局の弾圧を受けることになり、著者は官憲に追われる身となる。こうして2013年6月、著者は家族を残し逃亡の旅に出る。本書は、この最初の逃亡から逮捕・監禁を経て、再度の逃亡で最終的に2015年2月、バンコクに辿りつくまでの約1年半の壮絶な逃亡記である。
それにしても、張り巡らされた官憲の捜査の網を抜けながら、広大な中国の中を逃亡する著者の逃避行は、かつてE.スノーが描いた、毛沢東の「長征」を思い起こさせる。40年以上前に読んだその本では、重慶から延安までの、森羅幽谷の山中を抜ける人民解放軍の行軍が描かれていたが、特に渓谷の渡航で、張られたロープを伝わり対岸に移る紅軍兵士が、国民党狙撃手に次々と射殺されるが、それを乗り越え最終的に対岸に移っていった光景は、いまだに瞼に焼き付いている。異なるのは、それから80年以上の時が過ぎ、今やネット社会の発展により、中国の辺境部を含めどこでも交信や情報取得ができる反面、それがまた公権力の追及の手掛かりとなるため、ある時は原始的な状態となり逃亡を続けるという点だけである。人民解放軍が、行く先々で現地農民の支援を受け生き延びたのと同様、著者も、全国に散在する公民運動の支援者のネットワークを辿りながら逃避行を続けていく。特に興味深かったのは、中国―ミャンマーの国境付近で、依然ミャンマー政府軍と交戦状態にある軍閥との邂逅である。
ミャンマーのシャン州では、かつて文化大革命時代に下放で移り住んだ紅衛兵の残党が軍閥化し、地方政府を構成しているという。そして、公民運動のシンパが、この地域で軍閥の志願兵リクルートを手伝っているということで、この辺境まで彼を訪ねていくのである。ここで、著者は、シャン州コーカン軍閥の首領にまで面会するのであるが、この地域には他にも「ワ洲軍閥」やら「カチン軍閥」、「四区軍閥」など、紅衛兵の残党が率いる漢人を首領とする軍閥が割拠しているという。それはさながら古代の戦国時代を思わせると共に、ミャンマーの国家統一の大きな障害となっていることは言うまでもない。毛沢東思想に凝り固まった彼らが、党中央学校卒業生ということで著者を大歓迎する様子には苦笑を禁じ得ないのではあるが。
その後、著者は深圳から香港への密航も企てるが、かつては「中国大陸を離れた人々が最初に逃げ込む土地」であったこの地も、今や共産党のスパイが溢れ「亡命者の天国ではなくなっている」というコメントが、この地の変貌を端的に物語っている。本国と比較すれば、ネットの検閲や閲覧規制は存在しない、という状態もいつまで続くか疑問である。そして、チベットへの大旅行。「中国の民主化運動と、圧政にあえぐチベット人との連帯強化」というのが目的であるが、この辺りはやや衝動的な行動である。しかし、そうした安易な政治目的を別にすれば、旅行記としてはこの地域への旅の厳しさと、その反面での大自然の雄大さを満喫できるものである。この旅に同行した詩人の純粋な感慨を聞きたいものである。
大旅行を終えて1年振りに北京に戻った著者を待っていたのは、公盟の指導者たちの逮捕の知らせで、彼自身にも官憲の手が迫っている。息子との短い再会を果たした後、彼は逮捕されるが、それからは現代中国の拷問もどきの取り調べと、拘置所の雑居房での過酷な生活が語られる。しかし著者は結局起訴されることはなく、刑事拘留期間の30日で釈放される。その意味では、まだこの国での公民権運動の取締りも、ある程度の法的な限界が残っているということなのであろうか?
再度、運動を再開した著者に、再び捜査の手が伸び、また逃亡の旅が始まる。特にこの時期は香港での雨傘運動への連帯を表明した活動家への圧力が強まっており、数週間で100人以上が拘束されていたという。著者たちは、バンコクで開催される予定の亡命中国人の民主化組織の会議への参加を目指している。しかし、昆明からの航空機での出国に失敗し、著者は再び拘束される。ところが昆明での拘束はスキだらけで、彼は拘束場所から逃げ出し、そしていったん北京に戻るが、状況の更なる悪化を目にして、妻子とも会うこともできず、最終的にタイへの亡命を決意するのである。
密航支援者の手を借りての、ミャンマー、ラオスを経てのタイ入国。かつて私も訪れたことのあるこのゴールデン・トライアングル地域では、今まさにこうした亡命者の密航が行われているのである。ラオス領(「金三角経済特区」!)に建設された中国資本による「国中国」の異名を持つカジノを中心とした都市国家を横目に見ながらの、メコン川を登る旅である。そしてメイサイ、チェンマイを経て、バスに作られた「棺桶」に入ってのバンコクへの移動。何故、タイ国内で検問があり、見つかると逮捕されるのかはさだかではないが、密航者が多い地域であるが故に、タイ国内でも特別の検問が行われているのだろうか?そして到着直後のバンコクで、安田という日本人のフリーライターと出会い、彼の編訳でこの冒険記が日本で出版されることになるのである。しかし、著者は「近年、中国は国外への逃亡者すらも逮捕や拉致の対象に含めている」として、2015年7月の、タイ政府による亡命ウイグル族109人の中国への強制送還(これは翌月に発生したエラワン廟爆弾テロの誘因だったとも言われている)や香港で中国批判の書物を扱っていたスウェーデン国籍の華人の拉致、更には国連難民高等弁務官事務所による難民認定を受けていた中国人反体制派知識人の逮捕、強制送還に言及する。中国共産党は、「金権外交」により、タイを含めた東南アジア諸国にその影響力を行使している。著者自身にもこの危険が及ぶ可能性に言及し、それにも拘わらず中国民主化のための活動をあきらめないことを宣言して、著者はこの書を締めくくるのである。
折も折、これを読了した9月末は、中国が主催するアジアインフラ投資銀行(AIIB)の第二次加盟メンバー申請の締切日で、当社から参加の57か国に加え、新たに20か国前後が加盟申請を行うと言われている。また翌10月1日は、中国の建国記念日である国慶節である他、中国の人民元が、国際通貨基金(IMF)が設定している特別引出権(SDR)の構成通貨に加わり、その「国際通貨」としての存在を世界に喧伝することになった。しかし、こうした国際社会に対する国家としての存在感の高揚の陰で、国内の人権状況は日増しに厳しさを増している。通常の民主主義国では普通に認められている穏やかな街頭運動でさえ、当局の追及を受け、更に法手続きを無視した拘束や拷問まがいの取り調べが行われているのである。
もちろん、シンガポールでも、外面的には所定の法手続きは取られているとはいえ、実態的には社会運動は相当程度制約されていることや、最近のフィリピンで大統領に就任したデュアルテが、麻薬密売人や患者を、法手続きを無視して殺害していることなど、これに類した政府による市民社会への弾圧は至る所で行われている。しかし、中国当局のこうした動きは、それなりの知識階層による穏健な「体制内変革」を求める動きでさえ、厳しい抑圧の対象となるという点で、まさに現代中国の国内的な緊張を如実に示している。かつては天安門事件があった。最近では香港の「雨傘運動」に対する中国当局の対応もこうした流れの一環と言える。こうした社会運動とそれに対する対応が、中央指導部の権力闘争の恰好の材料になっていることも確かである。今や経済大国となり、それを梃に国際的な存在感を高めようという「中国の夢」を実現するには、まだまだ厳しい茨の道が待っていることは間違いない。
読了:2016年9月30日