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アジア読書日記
中国
AI監視社会 中国の恐怖
著者:宮崎 正弘 
 1946年生まれの、正体不明の著者による中国論であり、典型的な右翼・反中国の立場から、ひたすら中国に批判的な議論(その反面で、トランプについては、その極端な一国主義や保護主義を全面的に支持する議論)を繰り広げている。2018年11月と最近の出版であることから、使われている事実は最近の事例までをカバーしているが、個々の事実は、一般のメディア等からのものが多く、取り立てて目を引くものはない。ただそれらの解釈は、例えば米国民主党のペロシ等を「極左」と規定する等、右からの発想で徹底している。またテーマは中国批判、トランプ賞賛、日本の無策批判など、目まぐるしく変わり、とにかく思いつくままを、脈絡を無視して並び立てた感が強い。もちろん言いたいことがいくらでもあることは良く分かるが、もう少し議論を整理した方が良い、という印象である。ただそうは言っても、著者の右翼的議論の中にも、注意を払っておいた方が良い部分もあるので、ここではそこを中心に見ていくことにしよう。

 ここでの主要な論点は、@中国の脅威をどのように考えるか、そして習近平体制を中心としたそのこの国の今後の展望は、Aトランプによる中国強硬策の評価と展望、そしてBその中での日本の対応、ということになろう。

 まず最初の論点であるが、中国が、その豊富な外貨準備も利用しながら、急速に軍備等のハードウエアーを拡充させている他、AIを利用した管理国家化を進めていることは繰り返すまでもない。GAFAを始めとする欧米IT大企業は、欧米当局からの強化されつつある規制を受けるのに対し、中国は、アリババ等の民間企業を政府が囲い込みながら、国家主導でのAI装備を進めていることは誰もが知るところである。著者は、顔面認証データによる外国人も含めた管理体制や鳩に偽装したスパイバードによるチベット、南モンゴル、ウイグル自治区などでの監視強化などに触れながら、「中国は人類未踏のデジタル全体主義国家となった」と言う。また国内の管理体制強化のみならず、人民解放軍の支援を受けたハッカー集団によるサイバー攻撃や機密情報の窃盗など、国際的なデジタル犯罪への関与件数も、米国やロシア等と比べても多いこと等を指摘している。またこうした違法な攻撃・活動以外にも、米国シンクタンクや大学に多額の献金を行い、情報操作を含めたロビー活動も活発に行っているという。

 科学技術が、民生用に使われ、人々の生活向上に寄与する反面、軍事技術の発展により寄与してきたことは、今更言うまでもない。そしてそうした技術は、当然政治支配の技術ともなる。近代とは、こうした科学技術の持つ二面性を、如何にコントロールしていくかという時代であった、といっても過言ではない。科学技術の発展で先行した欧米日本などは、戦争の歴史からも学びながら、科学者の軍事協力を抑制する方向で対応してきたが、他方で、それでも止められない軍事技術の進化があることは否定できない。インターネットやドローンのように、むしろ軍事技術が先行し、それが民生に転用されたのは誰でも知っている事実である。そして今や、GAFAに象徴される巨大IT企業は、場合によっては政府を超える、情報という権力を握っていることから、それらをどのようにコントロールするかが焦眉の課題となっていることは繰り返す必要もない。しかし、それが、権力が集中し、且つ豊富な研究資金を有する中国で、更なる進化を遂げるとなると、それは世界にどのような影響を与えるのか?もちろん、国際関係が国家の物理的な力により左右されている限り、通常の軍事力に加え、先端科学で武装した国家が近隣に存在することは、日本のみならず、米国にとってもたいへんな脅威であることは間違いない。しかし、その流れを押しとどめることは簡単ではない。それを多少とも遅らせることができるとすると、それは2つの要因によるしかない。

 ひとつは、中国自体の体制が、権力が集中した一党独裁、あるいは個人独裁から、ある程度、社会的なチェック&バランスが機能する体制に変わることである。それは、先に提起した、習近平体制を中心としたそのこの国の今後の展望、という問題である。

 著者は、上記の「(中国)デジタル監視制度のアキレス腱」として、@1000万人を超えるモスレムへの管理強化がもたらす不満の大きさ、A特にアフガン国境を中心にした長い国境線が、不満が拡大した際の弱点となる、B外国における中国人を狙ったテロに象徴される、国としての中国への反感の拡大をあげている。しかし決定的な中国の「アキレス腱」は、やはりその経済にあるのは間違いないだろう。著者も指摘しているように、「一帯一路(BRI)」が、中国の過剰生産設備とそれによる構造不況の輸出であったことは誰もが認識しているが、これが債務支援国から徐々に距離を置かれることにより、国内不良債権問題と過剰生産設備のバブルがはじける瀬戸際にあることは確かだろう。こうした経済低迷を「不都合な経済ニュースは報道してはならない」として情報統制により糊塗することは、いくらデジタル独裁国家であっても容易ではない。そうした経済低迷と民衆の不満が、党上層部での議論と権力闘争に波及する可能性は決して小さくない。そしてそれが、まさに第二の大きい論点である、トランプによる中国強硬策の評価と展望という議論に繋がっていく。

 著者は、「中国封じ込め戦略は静かに発動され、やっと端緒に就いたばかり」とし、「トランプの側近のなかに、中国に融和的な人物は不在となった」と指摘する。確かに、この新書の刊行後、所謂「米中経済摩擦」はますます激しくなり、双方での関税上乗せ合戦から、ファーウエイ製品等の米国市場からの締め出しとカナダでの副社長逮捕へと連なっていった。著者が報告している、米国連邦議会上院の民主党大物議員、ダイアン・フェルドシュタイン(著者に言わせると、「土井たか子と辻元清美を足したような極左」だそうだ)の秘書だった中国系アメリカ人が、FBIからスパイ疑惑を突きつけられ、議員秘書は解雇されたものの、その後も反日活動を行う組織で活動している、というのは初めて聞く話であったが、こと左様に、中国による米国でのロビー活動にも圧力がかかっているのは確かなようだ。そしてこの中国に対する貿易戦争は、ピーター・ナヴァロという通商製造業政策局長が主張する、中国の経済覇権を促した以下の要因を意識した対応になっているという。それは、@米国からの知財盗取、A関税障壁による中国への進出企業の統制、B出鱈目な補助金と減免税による自国企業の保護という不公正、Cチャイナファンドの世界企業買収、である。

 現在、3月始めを期限に行われている(但し、トランプは、期限の延長も有り得る、と公言している)米中貿易協議も、まさにこれらの点が議論の焦点になっているのは間違いない。こうしたトランプの対中強硬姿勢につき、著者は、@中国での生産体制の見直し、A中国中心のサプライチェーンの見直し、Bこの戦争は長期化する、として、日本などの安易な「商業主義的」な親中姿勢を批判している。

 確かに、中国の持つ巨大消費市場、という魅力が、生産拠点としての中国進出の理由となってきたが、所詮共産主義独裁国家で、そこで蓄積した資金と技術で、新たな世界覇権に乗り出してくるというのはごく自然の流れである。それに対し、ちょうど米国が、90年代に日本のバブル潰しを行ったように、「出る杭を叩く」のも、国際戦略上、十分理由がある。ただ、日本のバブル潰しと比較すると、米国を始めとする先進諸国の中国のサプライチェーンへの関与は、はるかに大きくなっていることから、特に米国の製造業や消費者にとっては相当難しい政策であることは間違いない。そして、現在明らかになってきているように、中国の景気後退が、米国以上に、日本や東南アジア諸国に深刻な影響をもたらすことも確実である(日本での、日本電産、永守会長の決算記者会見でのコメント等に加え、2/21付の当地の新聞でも、東南アジア諸国の対中輸出が軒並み大幅減となっていることが報道されている)。こうした短期的な世界経済への悪影響も考慮しながらも、なお対中強硬姿勢を貫くトランプの政策をどう評価するか、そしてそれが今後どのような影響を世界経済にもたらすかは、立場の差によって大きく意見の差がでることは間違いない。私自身は、まずトランプの保護主義姿勢は、米国消費者の生活を悪化させることで、次の大統領選での再選を難しくしていると考えるが、他方で、適度な中国叩きを行うことは必要であるとも考える。このあたりは、結局バランス問題で、どこまで対中強攻策を貫くべきかは、米国の立場からも、日本の立場からも、非常に微妙である。

 それでは、こうした状況での日本の立ち位置はどうか?まず著者は、近代欧米の合従連衡の歴史を示しながら、国際関係が冷徹なリアリズムで刻々変化していることを指摘しているが、これは当たり前の議論である。その中で、著者は、今回のトランプが仕掛けた対中貿易戦争は、米国が中国に対し、明確に敵視政策に転換したことを示しているとして、日本の親中国外交に対し、認識が甘いと苦言を呈している。特に、中国がサイバー攻撃を含めた先端的な攻撃力を増強している時に、日本の野党は、重箱を突くような政権批判を行っているのは危機感を欠いている。更に、日本では次世代通信機器や半導体開発で優位性を失い、社会のデジタル化で大きく遅れをとっているのも問題と力説している。

 著者の饒舌は、やや脈絡なく、中国の脅威のみならず、ロシアのそれに言及したり、返す刀で、日本の「平和ボケ」や「スマホ依存での緊急時の無策」を批判する等々続いているが、そのあたりは受け流して、本質的な部分についてコメントをしておこう。

 地域の脅威としての中国に対するトランプの「敵視政策」は、確かに日本の安全保障にとっても有益な部分があることは否定しない。しかし、外交というのは、常に、表面の対応とは別に、裏でそれと相反する動きも同時に行われているのが通常である。日本にとっても、もちろんトランプの政策に便乗し、中国叩きに加わることも可能ではあるが、それに全面的に加担するのは、万一トランプの再選が阻止され、米国の方針が転換する際のリスクともなり得る。それも考慮したパイプを中国との間で維持しなければならないのは当然である。そしてそれが如何に「商業主義的」であろうとも、東南アジアと同様、日本経済も中国経済に深く関与してしまっていることも否定できない事実である。中国経済、ひいては中国政治が不安定化する場合に備え、中国以外に経済基盤を持つ動き(China+1)は以前から言われ、かつ動いているが、やはり巨大な市場としての中国を完全に撤退することはできない。

 昨今、かつてあれほど商業的に中国に入れ込んでいたドイツが、中国による知財強制移転のリスクを強く感じ、中国との距離を取ろうとしているとの報道もなされているが、これも完全に中国市場から撤退するという話ではない。そのように、現実の政治・経済関係は、表面の大きな流れとは別の動きがあることは忘れてはならない。その意味で、著者の「右」からの指摘は、もちろん留意しなければならない部分もあるが、直ちにそれに全面的にコミットするべきではない。安部首相が、トランプをノーベル平和賞候補に推薦した、という噂が、現在開かれている国会での議論にもなっているが、トランプによる、米ロ間中距離核戦力(INF)全廃条約や、COP21パリ協定からの脱退など、極端な一国主義、保護主義への傾倒は、常に批判的に見ていかなければならないだろうし、また中国に関しても(あるいは来週第二回目の首脳会談が行われる米朝関係も)、いつ何時、米国が、日本の頭を飛び越えた合意・妥協を行うかもしれない。そうした可能性を常に留意しながら、今後の日本の政策を決定していかなければならないことは言うまでもない。その意味で、著者のとりとめのない議論は、読み物としては面白いが、対中、対米関係を含め、今後の日本の国際戦略に実務的且つ生産的な示唆を与えてくれるものではない。

読了:2019年2月16日