習近平の密約
著者:加藤隆則/竹内誠一郎
図書館で見つけた、2010年代の初めに中国に駐在した読売新聞記者による中国レポートである。出版は、2013年4月ということで、習近平が、党総書記及び党中央軍事委員会主席に就任(2011年11月)した約1年半後。胡錦濤/温家宝から政権を引きついた習近平が、まだ安定した支配基盤を持たない状況下で、如何なる課題に直面し、どのような政治運営を行うかという予測を中心に議論している。習近平の就任自体は、この時期、所謂太子党と青共団グループの「妥協の産物」として、癖のない彼を選んだというのが一般的評価であり、著者もそうした立場から、今後の動きを予想している。しかし、それから7年以上が経ち、彼はより「独裁」的な立場を強めており、その意味ではやや隔世の感もあるが、少なくともこの時期での中国の政治社会の分析としては、非常に優れた報告になっている。「密約」という題を選んだのは、中国社会では、指導者間の権力抗争で政策が決まる中、習近平はしかるべき権力グループとの、公式には表明されない「密約」に基づきそれを進めていかざるを得ない、という中国政治の特徴を、著者なりに表現したものと考えられる。
2011から12年にかけて中国社会を騒がせた薄熙来事件と、それを受けた2011年11月の第18回党大会での習以下、7人(従来より2名減)の政治局常務委員の選定過程から報告を始める。結論的には、この過程は、江沢民、胡錦濤、そして習の間での駆引きと密約として処理され、薄熙来が党大会で公に議論・評価されることがなかったのも、それが理由であった。それは、長老グループ、共青団、太子党、そして政治的左右(毛沢東路線とケ小平路線)の間でのバランスに配慮した中国型政策運営の典型例であった。習の指導者就任も、まさにその典型例であり、またその他の政権幹部の評価も、権力グループ其々の意向が巧みに調整されている。胡錦濤の庇護者であった令計画について、息子の自動車事故を契機とした彼や彼の関係者の処分も、そうした権力者間の駆引きが反映していることも言うまでもない。このあたりは、かつてのソ連での権力抗争を分析する際によく言われた「クレムリノロジー」を連想させる。
続いて詳説されている薄熙来事件は、既に過去の話となっているので省略し、次の報告である「息を吹き返す毛沢東崇拝」を見ていこう。著者は、地方を取材して、改革・開放路線による経済成長の中で、貧富の格差や腐敗の横行に対する批判から、毛沢東思想への共感が広がっていることを報告している。それは中国社会では当然あり得る現象であるが、他方で、地方の女性を中心にキリスト教信者も急増している、というのは、やや意外な指摘であった。言うまでもなく、社会不安が拡大する時には、人は伝統の中に息ついている「宗教」に助けを求める。中国では、「毛」思想が、その逃避場所として最も安全な場であり、薄熙来が利用しようとしたのもその感情であるが、それ以外に、一般的には弾圧されてきたキリスト教も広がっているというのである。ただ、キリスト教の拡大については、著者はそれ以上に突っ込んだ取材や分析をやっていないのが残念である。
続いて習近平の経歴や人物像等が紹介されているが、この辺りも良く知られた情報であり特記すべきコメントはない。「敵を作ることに過敏な政治家」であると共に、「毛沢東式の中央集権によって、ケ小平の提唱した経済発展を進めようとしている」という著者の言う彼の「本音」も、結局彼が「バランス型の指導者」であることを物語っているに過ぎない。また彼が事あるごとに口に出す、「中華民族復興の夢」というのも、「伝統回帰の色彩が色濃くにじみ出ている」というのも、典型的な保守政治家としての姿を示しているだけのことである。もちろん、こうした「中道路線」は、著者が指摘しているとおり、党内の左右両派双方からの批判に晒される危険は内包している。第18回党大会で、薄熙来事件の総括を行わず、曖昧にしたことで、右派からは「歴史決議(1981年)の精神を踏みにじるもの」との批判があり、また他方では「密約によって封じられた左派信仰というパンドラの箱を開けてしまう」リスクもあるとされる。取りあえず、現在までは、習近平はそれなりにうまく立ち回ってきているように思われるが、新型コロナの環境下、逆にこうした矛盾にあえて関心が向かっていないが、これが落着いた状況で、あるいは足元激化している米国との経済対立が、再び路線対立を顕在化させるかもしれない。指導部の密約が、どこまで維持されるか、そして習近平が、客観的な内外環境の中で、あえてその密約を越える動きをするときに、党内派閥間の緊張が高まる可能性は常に秘めていると考えるべきだろう。著者が次章で取り上げている「天安門事件に関する密約(=タブー)」は引続き習にも引き継がれている。2013年に話題となった地方有力週刊誌「南方週末」の検閲問題といった、ここで紹介されている情報統制も、現状では弱まるどころか益々強化されているが、これも左右対立を惹起する将来の爆弾であることも間違いない。著者が報告している中国型「民主主義」についての各種実験(地方選挙での独立候補問題等)も、面白いが、既にこの時点で「独立候補」に対する数々の悪質な干渉もあり、その後、この動きが進んだという話は聞かない。これも党内権力者のある種の密約となり、習の手を縛っている(あるいは習自身がそれを許容していない)のだろう。「民主化運動は世論誘導の道具に過ぎない」という亡命反体制派の指摘は、毛沢東以来のこの国の「大民主」政策の限界を示していることは間違いない。その他、チベット政策を含めた民族問題や日本との外交関係についても、現在までのところ、ここで著者が報告している状態から根本的な変化はない。
こうした2013年時点での著者の分析を踏まえて、現在の中国及び習近平の政策運営を見てみると、彼は、自らが指導者として指名されて以来、長老や党内派閥との「密約」を慎重に維持しながら、自らの権力基盤を固めるという方向を進めてきているように思われる。一見彼の権力基盤が強化されているような印象もあるが、実際には、香港問題の更なる締付けも、この「密約」を受けた攻勢であるし、台湾問題や尖閣問題も、この「密約」がある限り、妥協はあり得ない。それを行った瞬間、自らの地位が危うくなることを知っているのはまさに彼自身であることは間違いない。その意味で、引続き中国の政策運営は、ここで取り上げられている各政治勢力の微妙なバランスの上で進められていくと考えられる。例えば、一回重病説も流れた江沢民が死んだ場合に、長老グループの力が弱まるのか?あるいはフェイクニュースかもしれないが、米国との対立の中で、中国指導者の米国内資産凍結が強化されている問題を巡る習近平と李克強(及び青共団)との対立といった問題が、次にどのような形で顕在化することになるのか?まさに中国の政治は、引続き、外部の観察者からは、個別問題が表面化したところでしか、その実際の姿が分からないという状況が続くのだろう。日本を含め、関係諸国は、そうした僅かな端緒を逃さず、的確な対応を行う必要があることを改めて認識させられる報告であった。
読了:2020年11月25日