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アジア読書日記
中国
「反日」中国の文明史
著者:平野 聡 
 1970年生まれの東大大学院法学政治学研究科准教授による中国文明論で、2014年7月の出版。この著者の本を読むのは初めてであるが、チベット問題に関する博士論文と著作でサントリー学芸賞等も受賞しており、あまりメディアには出てこないが、中国近代史では、それなりの実績があるようである。この新書では、そうした近代史に留まらず有史以来の中国の「国」についての発想と行動原理を整理する中から、それが現在の「中国の栄光の復権」への期待と「反日」の源泉となっていることを示そうとしている。

 中国の発想と行動原理についてのポイントは、3000年の歴史を経て生み出されてきた「中央の王国が四方の周辺を礼節で取り込む『天下』の光景」が、19世紀末以降の欧米及び日本の圧力で「中国自身が主体的に創造し夢想する」ことができなくなったこと、そしてその負い目に対する反動が、近年の経済発展で表面化してきたことである。そして19世紀末以降の屈辱は、結局中国がいわゆる近代国家としての統合に失敗したことにあり、それを体現していたとされる清朝の国境線を、内容を変えて保持しようと懸命になっていることが、いわゆる「核心的利益」へのこだわりとなっていると見るのである。

 ここで興味深いのは、まず中国文明が生まれ拡大していく過程が、漢字を使うより「優れた」中国文明が、より「劣った」漢字を使わない人々を「教化」していった歴史であるという「ゆるぎなき信頼と確信」にあり、それは「文化相対主義、あるいは異なる国・文化同士の相互尊重による多様な共存」という近代の国際関係の考え方とは対極にある発想である、という指摘である。そこには常に「礼」を持つ中華文明とそれを持たない「夷狄」との区分があり、実際には中国の王朝は様々に変遷していったものの、「朝貢関係」で示される中央と周辺部のこの上下関係だけは維持されて「中華帝国」の歴史を構成してきたという思い込みがある。それが、共産党が支配するようになった現代中国にもそのまま生き続けていると考えるのである。

 しかし、現在様々な局面で議論になっているチベットや新疆・ウイグル地区は、モンゴルも含め、古代から「中華帝国」に組み入れられた訳ではなく、むしろ清朝の時代に、このシステムに組み入れられたものである。例えばチベットやモンゴルは、清が仏教を保護する役割を果たしている限りにおいて、またトルコ系ムスリム主体の新疆・ウイグル地域は、対立していたジュンガルを駆逐するのに清が貢献し、イスラーム信仰の継続を認める限りにおいて、清の皇帝の「天下」を認めることになったという。それでも彼らは「中国の一部」という意識はなく、清とそれらの地域との関係は、あくまで「満州人皇帝自身がそれぞれの顔(儒学的天才、仏教王、イスラームの保護者)を適宜使い分けることによって成り立っていた。」その意味で清は、それまでの中国の王朝と比較して「多面的な帝国」であったし、それはこれが漢民族ではない、満州族の王朝であったことがその一因であったのだろう。しかし、清が崩壊し、皇帝のこの性格が失われた時にも、その後の「中華帝国」は、そこで初めて意識された欧米的な国境線と主権の範囲を、この清の「支配地域」としたことで、両者の意識に食い違いが発生することになる。

 また面白いのは、この時代の中国知識人が、「近代的」国境線・主権とその国家間の対等な外交関係の原理を、いち早く確立していた日本から学んだという主張である。著者によれば、日清戦争は、「国際関係は対等であるべきか、それとも上下関係であるべきか」を巡る「文明的な一大衝突」であり、清の敗北は、「絶対的な聖人君主の『正しい』政治には、救いがたいほころびがある」ことを示した。そして、その改革運動を担ったのが、粱啓超や陳独秀ら、日本に亡命・滞在、あるいは留学して、そこで日本の近代国家化について学んだ人々であった。しかし、かれらの運動は、日本の強硬な対中外交方針や、袁世凱のボス政治等で進まず、ロシア革命後沸き上がった社会主義運動に継承されることになる。そうした過程で、少なくとも「外部からの脅威をはね返し、体制の動揺・混乱をより大きな枠組みで受け止め、文明の崩壊を防ぐための枠組み」としての「国民」の形成が最大の課題となる。そこで「国民」として想定されたのが、清朝が築き上げた枠組みでの「漢・満・蒙・回・蔵」による「五族共和」であったが、それは「融通無碍な社会(=中国は国ではなく、巨大な文明)」としては成立し得たが、「近代国家」としての国民意識(=政治に参加し国家を担おうとする「国民意識」)を形成できるものではなかった。それが共産党支配の現代に至る、これらの一部の地域での中央政権(特に漢字の使用を含めた漢民族文化の強要)に対する抵抗と、それに対する中央政権からの弾圧という悪循環を引き起こすことになっていると著者は考えるのである(因みに、外モンゴルが独立し、チベットが独立できなかったのは、夫々の決定的な時点での、中国とソ連、インドとの国際関係の結果であることは、言うまでもない)。著者によれば、その新たな主権の範囲は「中国共産党や毛沢東がもたらしたものではなく」、「近代中国という国家が、『他者の夢』、とりわけ『日本的近代国家の夢』を見てしまった結果、100年以上にわたって続いている」ものなのである。それに加えて、現在の共産党政権を含め、「価値を独占するエリート集団による独裁」については、まったく手がついていないのが、現代中国である。そしてそのここ20年ほどの変貌は、「毛沢東と計画経済の失敗に見切りをつけ、グローバリズムの時代にうまく乗ることによって、国内総生産レベルで中国を世界最貧国から米国に次ぐ超大国に『大躍進』させることに成功」し、且つ「世界に冠たる古くて長い文明でありながら、なぜ列強、とりわけ日本にやられたのか」という屈辱を癒した上で、「中華民族の偉大な復興という夢」を、国民統合の鍵にしようとしている。他方で国内での格差問題や上記の民族紛争といった問題、あるいは中国が国際社会から政党に評価されていないという不満・不安が、「核心的利益(とされた領土)」の確保や日米安保条約体制をはじめとした中国包囲網の突破といった「過激なナショナリズム」を生み出していると見る。最後に触れられている尖閣諸島を巡る日中対立も、特に日本がそうした近代国家を作ることに一早く成功し、中国がそれを学んだものの、その過程で、その日本が、本来は地域の中心国家=文明である中国を侵略したという歪んだ心理が反映している。この問題は、そうした観点も踏まえて理解し対応を検討しなければならないとする。

 著者の記述は、豊富な素材を使った結構マニアックなものであるが、議論の大筋は、上記の通り、ある意味常識的である。やはり地域の中での日本の特殊な歴史的・地政学的位置が、中国にとっては通時的にも共時的にも「目障り」な存在であり続けていることが、ここからは読み取れる。中国の自信の回復は、まずは彼らが「核心的利益」とするチベット、新疆・ウイグル、そして香港、台湾に向けられることになるが、この問題の後には当然日本との関係を再構築することになるであろう。その時、中国で3000年に渡り蓄積された不変の原理が如何なる形をとって日本に向けられるかは、考えるまでもない。それは、近い未来のことではないにしても、どこかで確実に起こり得る、そうした懸念を抱かざるを得ない中国論である。

読了:2021年5月26日