日中国交正常化
著者:服部 龍三
1972年の田中角栄政権時代の日中国交正常化過程を、日本側は田中首相、大平外相、そして実務を担当した外務官僚を中心に、そして中国側は、周恩来の動きに焦点を当てて描いている。出版は2011年5月。著者は1963年生まれの日本外交や東アジア国際政治史が専門の学者であるが、公開された外交文書に加え、当該交渉に参加した多くの関係者にインタビューを行いながら、本書をまとめている。約半世紀も前の外交成果であるが、この過程を改めて確認するのは現代的な意味合いもある。それは、何よりも、この時の日中間で議論となり、また夫々が理解した合意の微妙な表現が、現在のこの地域での中国の覇権拡大と共に、改めて重要な意味を持ってきていると思われるからである。その意味で、この時の対中外交を、改めて今反芻してみる価値があると思えるのである。
1971年7月のニクソンによる突然の中国訪問以降、同年10月の中国の国連加盟と台湾の脱退等、中国を巡る国際環境は急速に変化していた。その中で、国内の対中国交回復を模索する政治家には、その時期が熟した、との見方が拡大する。そしてまさにニクソン・ショックのタイミングで首相に就任した田中角栄と、彼の盟友で外相として入閣した大平正芳は、政権発足早々、日中国交回復に邁進していくのである。
著者は、田中と大平の盟友関係や、自民党台湾派の抵抗を巧みに押さえつつ、外務官僚(チャイナ・スクールではなく、むしろ米国派)からの実務面での支援も受けながら、同年9月の日中国交回復に突き進んでいく様子を、上記のとおり様々な関係者とのインタビューも含め綴っていくが、ここでは田中と大平が、夫々の個性の違いからうまく連携が出来たこと、及び、この両名も、対中外交について、サンフランシスコ条約と日米安保の枠組みから決して踏み出すことがなかったことくらいを押さえておけば十分だろう。その上で、この交渉が半世紀を経た現在に及ぼしている課題を見ていくことにする。
この時、周恩来が主導する中国側が掲げた復交三原則、@中華人民共和国が中国唯一の合法政府であること、A台湾は中国の不可分な一部であること、B日華平和条約は不法であり破棄されるべきこと、である。この中国側の原則をどのようにクリアーしていったのか?
まず@については、日本側も受け入れることに異議はなく、最終的な共同声明にもそのまま盛り込まれる。
議論となったのは、Aで、「台湾は中国の不可分の一部」という中国の主張を「理解し尊重する」が、「台湾を中共の領土と認める立場にはない」という対応を行うことになる。その結果、最終交渉の過程で、「ポツダム宣言に基づく立場を堅持する」という表現を入れることで、「日本が台湾独立を支持しないこと」を明示し、「一つの中国」にコミットすることで決着する。但し、「統一を目的とする台湾への武力行使は認めず」「統一が平和裡でなければならない」ことを留保したという。これは日本側の解釈としては、「現状として台湾が中国の一部となっているとは見なされず、日米は安保条約の適用範囲内(第6条の極東条項に台湾が含まれる、という解釈)」というものであるが、中国側の国内説明は、日本が中国側の原則を受け入れた、ということになっており、「台湾問題が将来的に顕在化する可能性は残された」のである。
そしてBであるが、日華条約については、日中共同声明には盛り込まれず、別に大平の記者会見での談話で示されることになる。日本側は、この条約が「破棄」され、外交関係が「断絶」するのではなく、条約は実質的な効果を失い(失効し)、外交関係は消滅する、という説明を行うことになる。外交関係終了後も、台湾との民間ベースでの交流は従前どおり維持・発展させるという基本方針は周も容認することで決着する。著者は、「敗戦国からの一方的な条約廃棄は、極めて異例」としている。但し、日華条約は不法、とした中国側に対し、日本側は、この条約は合法であったという主張は曲げなかったと解釈されている。
他方、中国との交渉過程で、国交が消滅する台湾に対しては、蒋介石への親書を含め、細かい配慮が示されたことにも触れられている。これは当然の対応であるが、台湾側は、表面的な批判・非難にも関わらず、最終的に大きな報復も行わず、大人の対応を行ったことは、その後の日台関係を作ることになったと評価できる。
交渉過程では、冒頭の田中スピーチで、「中国国民に多大なご迷惑をおかけした」と述べたのに対し、周から「迷惑」という表現では軽すぎる、という怒りを招き、収拾に努めたといった話や、他方、田中が突然「尖閣列島」問題を持ち出したのに対し、周は「それは、今回は話したくない」と言い話題を変えたということにも触れられている。後者については、外交の常識では、領土問題は、実効支配している側から持ち出す話ではなく、この課題は、むしろ交渉を難しくするものであったが、周はそれを直感的に理解し、そうした対応をとり、「田中を救った」ということになる。そうした周の配慮は、賠償放棄といった中国側の譲歩にも示されていたが、これは折からの中ソ対立により、中国が、日米への接近を優先したことが要因であったとされている。その意味で、この交渉は、日本にとっては中国が直面していた国際環境の恩恵を受けたものであったと言えるが、逆にそれが激変している現在、尖閣問題を含め、国交回復時に課題となった議論が改めて争点になる危険も秘めていると言える。現在緊張が高まっていると言われる台湾海峡や尖閣で軍事的な動きが発生した場合、日本はどのような対応を取るべきか?また日米安保条約は、その際実際に発動されることになるのか?こうした課題につき歴史的な経緯の中で理解する一助となる著作であった。
読了:2021年10月13日