アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
アジア読書日記
中国
中国4.0
著者:エドワード・ルトワック 
(この新書は、2017年に読了し、評もその際に掲載している。今回それを失念し、改めてこれを調達し読了すると共に、評も再度記載してしまった。ただ5年前の受け止めとの比較を行うという屁理屈で、ここに改めて再録することにした。)

 米国のシンクタンクの顧問でもあり、国防アドバイザーとして、米国軍事関係で実際の助言などもしている「戦略研究者」による、2016年3月出版の中国論である。著者のインタビューを、編訳者である日本人がまとめた新書である。暇潰し的な感覚で調達したが、しかしその議論は結構刺激的で、日本の対応等についてのコメントも、それなりの説得力を持っていると感じたのである。

 まず表題の「中国4.0」であるが、著者によると、中国が経済的な躍進を梃に国際社会での存在感を高めた2000年以降、その戦略は三段階を経て現在に至っているという。それはまず、ケ小平の「韜光養晦(目立たずに力を蓄える)」論を踏まえた「平和的台頭」の時期である「中国1.0」で始まる。そこで自信を持った中国は、特にリーマンショックから欧米よりも一早く経済を回復させた2009年以降、南シナ海への「九段線」設定などの「対外強硬路線」に転換する。これが「中国2.0」である。しかし、それが太平洋を中心とした地域に「反中同盟」の動きをもたらすと、2014年以降、「抵抗のないところには攻撃に出て、抵抗があれば止める」という「選択的攻撃」戦略に転換する。これが「中国3.0」である。しかし、それが必ずしも成功していない状況で権力を握った習近平は、新たな「中国4.0」を模索している。それがどのようなものになるかは、まだ見えないが、少なくとも中国はそれまでの政策転換過程で、その脆弱さを明らかにしてきている、というのが著者の見立てである。

 その中国の脆弱性とは何か?一言で言ってしまえば、中国の政策が国内政治に根差し、国内向けに如何に政権の正統性を維持・拡大させるかという視点が優先されることから、国際情勢については、そうしたバイアスが誤認の要因になっている、という点である。特に著者が強調するのは「戦略の逆説的論理(パタドキシカル・ロジック)」という概念で、状況が緊張してくると、一方の戦略を受けて、他方もそれに応じた反応を行い、それによって状況は刻々と動いていく、というある意味当然の考え方である。しかし、その例として、「大国は小国に勝てない」という議論―大国が小国を攻撃しようとすると、その小国を支援する別の大国の干渉を受け易いーを読むと、これも単純であるが、言われてみると、現在の中国を巡る状況認識にうまく使えることになる。「大国」の定義自体は、やや曖昧ではあるが、確かに19世紀以降の歴史が物語っているのは、ある国家が台頭する時には、それに対抗する動きが当然発生し、特に、その「大国」が「小国」を攻撃する時には、それを支援する別の大国の介入を受ける、ということである。第二次大戦時のドイツや日本は、そうした新進国家が国際秩序のパワーバランスを崩したことで、連合国の連携、特に米国の参戦を促したのは明らかで、他方、ヴェトナム戦争では、「大国」米国が、ソ連や中国の支援を受けた「小国」ヴェトナムに敗戦することになった。やや古いが、日露戦争での日本のロシアに対する勝利も、「大国」ロシアを警戒する英国等による「小国」日本への支援が大きかったという。そして現在は、まさに台頭する「大国」中国が、アジア・太平洋地域での他の小国を支援する欧米「大国」の連携による対抗を招いている。そうした歴史と現状についての誤認が、現在の中国の脆弱性である、という著者の議論は理解し易い。

 また著者は、「国家の政策を誤らせるいわば集合的な感情の高まり」による「大国」の大きな判断ミスについても言及している。この例として挙げられているのは、日本の真珠湾攻撃や米国のイラク戦争等であるが、現在の中国も、「大国」の自信を持った中国国民の「感情の高まり」を政権が無視できなくなっているという。「米中G2論」は、中国の政権による国民への宣伝として使われているだけで、世界情勢の現状については誤認甚だしいという。また習近平の「独裁」が強まるにつれて、彼に正確な情報を伝える部下が存在しなくなっている、というのも現代中国の脆弱性であるとする。

 もちろんそれに対する反論も十分予想される。「中国1.0」から「2.0」へ、そして「3.0」への転換は、政権が国際的な反応を踏まえた対応を行ったということで、当然「4.0」についても、中国は現在の国際社会の動きを踏まえた対応を行うことになるだろうと思われる。しかし、確かにその際に、国民感情への配慮や情報の偏りが発生した場合に、習近平が誤った判断を下す可能性は常に存在するし、暗殺等で彼が突然居なくなることもあり得る。特に現在緊張が高まる台湾海峡問題や、香港、新疆ウイグル等を巡る人権問題への国際社会の批判に対する政策判断は、政権内部での権力闘争を含めた習近平(あるいはその後継者)の権力維持・強化といった国内向け対応との緊張の中で下されることになるが故に、その方向は依然予想がつかない。「大国」中国に対する欧米や豪州、インドなどを含めた包囲網が強まる今日この頃であるが、一旦武力行動が始めるとそれこそ引き返すことはできなくなる。その結果は、ナチスの欧州席巻の様に、最後は倒されるとしても、当初はたいへんな被害をもたらす可能性が高い。もちろんそうした事態を避けるための中国包囲網である訳だが、偶発事態は常に発生することを肝に銘じておかねばならないだろう。

 最後に、著者は、万一、中国による尖閣占領が行われた際の日本の対応についてコメントしている。米国との安保条約の適用範囲には、尖閣のような離島も含めるという解釈も聞かれるが、実際にこれが発生した際に米国が具体的に動くかどうかは未知である。従って、日本はそれが発生した場合には、米国の支援を待ったり、国際社会の支持を集めるといった余裕はないので、迅速な対抗行動を行えるような国内での体制整備―自衛隊と海上保安庁の連携を含めた対応を可能にする法的整備等々―を行うべきである、としている。確かに実務的には、非常事態が発生した際の迅速な動きが重要であることは言うまでもない。しかし、それを可能とする、例えば非常大権のような発想は、日本では難しい。著者の指摘はもっともではあるが、その実務的な対応については慎重にならざるを得ないのが実態であろう。

読了:2021年11月26日