なぜ中国は覇権の妄想をやめられないのか
著者:石 平
1962年中国生まれで、80年代民主化運動に関与した後、1988年に来日。神戸大学大学院で博士号を取得した後、2007年に日本国籍を取得した著者による典型的な「中国脅威論」。彼の名前はいろいろなところで目にしていたが、著作を読んだのは初めてである。2015年3月刊行の本書では、この国の長い歴史の中で変わらない「中華帝国」を目指す基本姿勢という主張を、明快な議論で提示しており、もちろん全面的にということではないが、妙に納得させられる。
著者の議論は単純である。秦の始皇帝に始まる中国の2000年は、「中華帝国」の歴史であり、そこでは「歴代皇帝が世界の唯一の主であり、その他の地域の万民と土地は自分の持ち物である」という妄想が支配していた。そして実際、長い歴史の中で、中華帝国は、朝鮮やベトナム、琉球王国などを属国に従え、「中国を宗主国とする秩序づくり」に成功、中国の歴代皇帝もそうした支配を行うことで「自らの正統性と偉大さを証明し、皇帝と王朝の支配的地位を固めてきた」。しかし、アヘン戦争に始まる19世紀末からの歴史は、その帝国が、初めは欧米列強により、そして続けて日本に蹂躙されることになる。
こうした現代の苦難を経て、戦後共産党により統一を回復し、地理的にはかつての帝国の領土を回復した中国の行動原理は、かつての帝国と全く変わっていない、というのが著者の議論であり、それが今や、習近平による「民族の偉大なる復興」というスローガンで公式に宣言されているということになる。その行動原理は、@秦やその後の漢、隋、唐、宋、明といった中華帝国で見られたとおり、周辺諸国に属国化を求める(「冊封体制」)。A武力によりそれを貫徹できない場合は、懐柔策を取り、例えば「朝貢」により、場合によっては、彼らから受け取る以上の経済的恩恵を与え面子を保つが、B国力や軍事力が整うと今度は再び侵略を始め属領の直接支配を試みる、というのが典型的なパターンである。
@ 例として著者が挙げるのが、漢王朝による南越と衛氏朝鮮の冊封であるが、
A この時強大な軍事力を持つ匈奴に対しては刃を向けられなかったことから、皇女を妃として差し出し、また絹や米などの貢物を送る等の「逆朝貢」を行ったという。
B しかし、漢王朝が成立し70年以上も経った武帝の時代に国力が整うと匈奴に対する大規模な征伐を始め、大きな打撃を与えると共に、南越や朝鮮の王朝も滅ぼし、直接支配をひいた。
こうした対応は、その後も、例えば隋・唐両王朝の高句麗や北方・西方の遊牧民対応でも示されることになる。他方、中国の王朝に概ね従順であった朝鮮に対し、ベトナムでは中国との緊張関係が続き、例えば唐王朝の国力が衰えるとそこでの独立運動が高まり、それがその後も繰り返されることになったという。また日本は、卑弥呼の時代といった大昔に中国王朝に朝貢し、その中華秩序に組み入れられたことはあったが、大和朝廷以降はこの秩序から離れた独自の道を歩むことになる。もちろん広い海の存在がこれを可能にしたのは言うまでもない。
この「中華秩序」が崩壊したのが、19世紀末からの西欧列強の進出であった。この19世紀末の歴史で面白いのは、フランスのベトナム進出に対し,清国が対仏戦争に乗り出し、それなりの成果を収めるが、結局ベトナムをフランスに際し出した、という「判断ミス」である。こうした事実は、私は認識していなかったが、ただここで清国が徹底的にベトナムへの影響力維持を主張していても、その後の歴史は然程大きく異なっていた訳ではないと思われる。そして著者によると、この「中華秩序」に「とどめの一撃を加えた」のが、日本による日清戦争で、これにより、(台湾に加え)朝鮮が「中華秩序」から離脱、その後の日本の中国本土進出の契機ともなっていく。そしてこの日本の大陸進出が、その後統一を取り戻した共産党政権にとっては、西欧列強の支配以上に、大きなトラウマになっているということになる。
第二次大戦後、再び中国統一に成功した共産党政権は、再びこの「中華帝国」を復権させる道を歩み始める。まず毛沢東時代の新疆ウイグルやチベットの併合と朝鮮戦争への参戦である。著者は、ウイグル等への領土拡大は兎も角、この朝鮮戦争への参戦は、国力が十分でない環境下、あえて犠牲を払ってでも朝鮮を「中華秩序」に止めたいという隋の皇帝と同じ発想で行われたとしている。そしてそれは、その後のベトナム戦争を含め、現在まで続く「中華秩序対パックス・アメリカーナinアジア」の闘いの始まりであったということになる。ただこの時代の米国との対立はあくまで、ソ連の指導下でのもので、中国がその主役に躍り出るのは1960年代の中ソ論争以降ということになる。そしてそれ以降も、「中華秩序」に入るべき北朝鮮やベトナムは、ソ連と中国のバランスを巧みに操ることになる。毛沢東時代は、彼らを力で勢力圏に止める国力(経済力と軍事力)を中国は持っていなかったのである。そしてその毛沢東の失敗を踏まえて「穏忍自重戦略(韜光養晦戦略)」を取ったのがケ小平であるが、それは、中国の歴代政権から学んだ上記のAの戦略ということになる。
ケ小平の「改革・開放」路線は成功し、今や中国は、世界の工場として経済力を蓄積し、上記のBの段階に至っている。そしてケ小平が、その際に新しい戦略として進めたのが、海軍力強化という「海の中華帝国」への大転換であったということになる。「第一列島線」、「第二列島線」や台湾海峡での勝手な「防空識別圏」の設定、そしてそこでの度重なる領海、領空侵犯は、胡錦涛時代に進められ、習近平政権となり、益々その意図を露骨に示している。
もちろん米国やアジアの同盟国は座視してそれを眺めていた訳ではなく、米国はオバマ時代から「中国封じ込め」に動いてきた。この本では触れられていないが、トランプ時代にも、その政策は転換した訳ではなく、現在のバイデン政権も、より一層中国を牽制する動きを強めていること、そして日本も、米国やアジアの関係国との連携に努めていることは言うまでもない。その意味では、ここで著者が提示した「中華秩序対パックス・アメリカーナinアジア」の対峙は、この本の出版時点以上に強まっていると言える。
もちろん、こうした単純な「中国脅威論」ではなく、経済的・文化的な交流促進も含めた民間交流等の推進をもって、この緊張関係を緩和しようという努力も行われているが、この著作ではそれに触れられることはない。恐らくそれが、この本で主張されている「中国脅威論」の唯一の弱点であろうが、リアル・ポリティックスの観点から見ると、そうした融和政策は「補完的なもの」に過ぎないという議論が大勢であろう。今年2月の冬季オリンピックから秋に予定される5年に一度の共産党大会にかけては、中国も動きを控えるだろうが、党大会で習近平が異例の3期目に入ることになれば、それを機に、台湾進攻を含め、一気に中国を巡る緊張が高まることは十分予想される。そうした懸念をより強く意識させる著者の議論である。
読了:2022年1月8日