香港とは何か
著者:野嶋 剛
1968年生まれの元朝日新聞記者による2020年8月出版の香港論。朝日新聞記者時代に、シンガポール支局長や台北支局長を務めただけあって、香港のみならずこうした東アジア、東南アジア情勢には詳しく、台湾や中国に関わる類書を多く出版している。今回は、香港についてのまとまった初めての著作ということで、この地の危機にある民主主義の出版時点までの情勢を分かり易く伝えている。しかし、香港情勢は、その後の1年半で更に悪化の一途を辿り、この新書の最後に語られている香港人のアイデンティティを求める闘いへの希望的観測は、中国の厳しい弾圧を受けて、益々後退している。
2020年7月1日の国家安全法導入を受けて、産経新聞が「香港は死んだ」と報道したのに対し、著者は、「常に悲観論を覆してきた香港の底力を信じたい」と語る。しかし、実際には、この著作の刊行直後の2020年9月に予定されており、「民主派が、『国政』の立法会でどれだけ得票と議席を伸ばすか」が注目されていた立法議会選挙は、コロナ禍を理由に2021年12月まで延期。その間2021年3月に、当局は「愛国者」重視の選挙制度改定を行い、候補者を事前審査にかけることにより民主派の排除を行った。その結果、そもそも親中派に有利な選挙定数の割り当てもあり、90議席中の82議席を親中派が確保。反体制の「非建制派」は1名のみ(他の7名の政治的背景は不明)ということになった。もちろん、一般有権者が投票できる20の議席の投票率は過去最低となったことは言うまでもない。
それに先立ち、既に大量に逮捕されている民主派に対する弾圧も進み、例えば12月には、反体制メディアの大物(アップルデイリー主催者)ジミー・ライ他に対する、天安門事件の追悼集会参加を理由とした1年超の実刑判決が下されている。また選挙後には、香港大学内にあった天安門事件の慰霊碑が撤去され、また残り少ない民主派メディア「立場新聞」の幹部逮捕と出版停止、そして年明けには別の民主派メディアである「衆新聞」が営業停止に追い込まれる等の報道が相次いでいる。恐らくこれからも、既に逮捕されている民主派に対する判決なども相次ぎ、少なくとも、この地における「言論・集会の自由」は決定的に失われることは間違いない情勢である。これでも著者の言う「希望」が見えるのかは疑問である、というのが、この新書を読んでいての最大且つ率直な感想である。
その点を除くと、これは香港、特に2014年の「雨傘運動」に始まる最近の「香港人」を理解するための、歴史的・社会的背景についての分かり易い解説書になっている。そもそも大陸の中国人にとっては、そこでの混乱から逃れるための仮住まいであった香港が1980年代までに大きな経済成長を遂げ、大陸の中国人と異なる「親中間層」としての「香港人」意識が生まれる。しかし、故国に対する「愛国心」は健在で、それが1989年の天安門事件に対する大きな批判となったが、中国への返還で、その意識が大きな転機に晒されることになる。この返還に関わる中英交渉の始まった1985年から返還の1997年までに、当時の人口約600万人中の50万人以上が移民したというのが、その懸念を端的に示している。そして返還後も、残った人々にとっては中国の民主化は非現実的であるが、少なくとも香港の民主主義を守ろうとする「本土思想」(著者は、アグネス・チョウやエドワード・レオンを「本土派」と呼んでいる)が育ち、それが2019年6月の逃亡犯条例改正反対デモから11月末の香港区議会選挙での民主派の大勝利に至る大きな反政府運動のうねりをもたらす事になる(その過程で登場した多くの新語についての解説は面白い!)。しかし、それに大きな危機感を持った習近平の中国が徹底的な反攻に出ることになり、それ以降は、そうした民主派の期待さえも風前の灯であることが示されたということになる。
こうした最近の政治情勢とは別に、著者は、香港映画の歴史と香港と日本の関わり合いについて、夫々章を設けて解説している。香港映画史については、「アヘン戦争」、「日本軍の香港占領」、「戦後の香港」、「香港返還」、そして「雨傘運動」という歴史的テーマ別に紹介しているが、この中では特に2014年制作の「返還後のディストピア」を予言した「ミッドナイト・アフター」や2015年上映の「10年」といった作品が興味深い。著者は、「香港映画は死なず」と語っているが、これらの作品の監督や俳優が、現在冷や飯を食わされつつあるのも事実である。こうした作品は、今後観る機会を探してみたい。また日本との関係も、包括的な記載となっていて参考になる。19世紀末、香港で正体不明の伝染病が広がった時に、調査医師団として派遣され、それがペスト菌であることを発見し、その後のペスト根絶に貢献したのが北里柴三郎であったというのも、どこかで聞いていたかもしれないが、今回改めて認識することになった。1960年代から70年代にかけてナショナルの炊飯器が、また1970年代から80年代にかけて日本の百貨店が、この地で一世を風靡した、というのも「今は昔」ではあるが面白い逸話であった。また香港に関わる日本人による著作も多く紹介されており、参考になる。
そしてかつて台湾に駐在した著者は、香港情勢が台湾の政治に大きな影響を与えたことを報告している。これは2018年11月の統一地方選で大敗北を喫した蔡英文が、香港情勢の恩恵を受け、2020年1月の総統選で、史上最高得票で再選され、民進党も議会の過半数を制する勝利を収めることになったことで、「今日の香港は明日の台湾」という危機を示す言葉が台湾で流行語となったことにもそれが示されているという。著者は、香港から台湾に逃れてきた人々の取材も行っているが、少なくとも現在の香港に対する締め付けを見れば、台湾の人々が、中国の言う「一国二制度」による統一に大きな懸念を頂くのは当然であろう。
香港とシンガポールは、同じ英国の植民地下で、華人の経済拠点として発展してきたが、シンガポールがある意味、経済基地だけの機能であったのに対し、香港は大陸中国と社会構造が異なる「避難地」としても機能してきた。それが、ある意味混沌としているが、自由な活動は許容された香港の特徴を形成してきたのであり、それが香港の魅力でもあった。個人的にも、あまりに整然として面白みのないシンガポールから香港を訪れると、その雑然とした街の雰囲気にある種の刺激を見出したものだった。それから連想されるのは、もしかして中国が香港に画策しているのは、「香港のシンガポール化=政治的な自由主義を圧殺した管理社会化」なのではないか、と思えることがある。製造業に関しては、かつて大陸中国を含めたGDPの20%を超える価値を生み出していた香港は、今や3%程度の貢献をしているだけであるが、依然対中直接投資の窓口やオフショア人民元取引の中心地としての経済価値は有している。こうした香港の経済機能を維持しながら、政治的には政府批判を許さない体制にしようというのは十分考えられる政策である。しかし、米中対立が深まる中、米国を始めとする欧米諸国も、香港でのこうした中国政府の対応は注視している。その対立が、欧米諸国の経済制裁等により、香港の持つ中国にとっての付加価値を奪う可能性も十分あり得る。香港の政治的自由が今後狭められていくことは疑いないが、それが、歴史的に香港が享受してきた中国に向けた窓口としての機能にどのような影響を及ぼすかが、今後数年の重要な視点であるように思える。そして著者に対しては、また現在の動きが一段落したところで、今回の一連の動きを総括することを期待したい。
読了:2022年1月14日