チャイナ・ナイン
著者:遠藤 誉
この著者については、2013年2月に、薄熙来と谷開来を巡る事件の真相を描いた「チャイナ・ジャッジ」を読んでいるが(別掲)、これは、まさにこの事件が、重慶での薄熙来の粛清の下手人であった王立軍が、こともあろうに成都にある米国領事館に逃げ込んだ(2012年2月)ことにより動き始めた直後の2012年3月の出版である。その直後の2月14日には、次期国家主席と目されていた習近平国家副主席が、米国を訪問して熱い歓迎を受けている。そしてその事件の顛末とその背景については、その「チャイナ・ジャッジ」で細かく触れられることになる。この著作は、恐らくその時点ではほとんど書き上げられていたのだろうが、中国を支配する「中国共産党中央委員会政治局常務委員会」の9名を巡る権力闘争と、その行く末を、その事件の衝撃がある中で、予測・分析した著作である。しかし、それから既に10年弱が経過し、その後の習近平への権力集中が進んである現状から振り返ると、著者の予測は大きく外れることになったと言わざるを得ない。また先に「チャイナ・ジャッジ」を読んでしまったことで、著者の「原点」を遡って確認するという意味合いが中心になってしまう。しかし、それにも関わらず、著者の説明と分析は、それなりに読者を引き込む力を持っている。それは「チャイナ・ジャッジ」の評でも触れたが、著者の生い立ちとその後の中国要人との接触の深さによるところが多い。
著者が、1941年、私の父と同じ長春で生まれた後、そこで初等教育を受けると共に日本の敗戦と中国共産党による「解放」を迎え、その後天津を経て1953年に日本に帰国したこと、そして帰国後は物理学者として筑波大等で教鞭を取りながらも、自己の原点である中国に関する政治・社会評論等の著書を数多く出版してきたということは既にコメントした。しかし、この著作の最後では、1953年の帰国に至るまでの、現地での著者の凄惨な体験がより赤裸々に語られており、その体験が、中国共産党の権力闘争を見る上での原点になっていることが良く理解できる。それを前提に、改めて著者の中国政治と権力闘争を見る視点と、その現在における意味合いを探ってみたい。
「チャイナ・ジャッジ」で、著者は、1992年のケ小平の「南巡講話」を巡るケ小平と江沢民(=薄一波)との権力闘争について触れているが、これは、ケ小平が、天安門で「民主派」排除という逆に触れた振り子を、「改革開放」に戻すために仕組んだ政治工作であったと考えていた。そしてケ小平は、天安門で自分の子飼いであった趙紫陽や胡耀邦らを切らされた結果、江沢民と結んだ薄一波ら党長老の支配を崩せないまま逝去したが、「改革開放」の道だけはケ小平の遺産として残ることになる。そしてその後、江沢民も、改革開放が、自らの上海閥の権力拡大に寄与することを知り、その路線で邁進していくが、そこには中国共産主義青年団(共青団=団派)と太子党という二つの有力な権力集団があり、これがある意味三つ巴となって、中国の政策決定を担う中央委員会政治局常務委員会の9人(「チャイナ・ナイン」)を巡る闘いが繰り広げられているということになる。
この権力闘争は、様々な形をとるが、著者は、「チャイナ・ナイン」とその中での主席や首相が選別される過程は、全人代といった共産党組織内での投票を経て決まるということで、中国は一般に言われているような「独裁」ではなく、あくまで「党内民主を持つ一党執政」であるという。そして権力闘争は、そうした組織での多数派工作という形で繰り広げられている、ということになる。
この時点での「チャイナ・ナイン」を見ると、序列No1の国家主席が胡錦涛。No3に首相の温家宝が、No6に太子党の習近平、No7に団派の李克強がいるが、著者の色分けによると、まだ江沢民の上海閥が多数を占めている感じである。それを2012年11月の党大会での転換を狙い、胡錦涛が最後の闘いを繰り広げている、というのが、この著作の通奏低音となっており、「チャイナ・ナイン」入りを目指し、江沢民派に接近しつつ大々的な「唱紅歌」運動を展開した薄熙来が、この直後に失脚したことは「チャイナ・ジャッジ」のとおりであるが、これも団派、胡錦涛の政略であったということになる。しかし、この時点での著者の予想通り、胡錦涛が押した李克強はやはり大きな人気がなく、他方、太子党であるが江沢民派の影響を受けているが、それほど「毒」がなく、外見も威信がある習近平が、次期主席として選択される。そして、そこで主席となった習近平が、ある時点から牙を剝きだし、その後の江沢民派を粛清(例えば、この時点で序列No9の周永康の逮捕等)し、また団派を骨抜きにして「個人独裁」色を強めていることは既知のとおりである。
因みに、2012年11月の党大会で、習近平首席、李克強首相という体制が固まり現在に至ることになるが、この時に常務委員会が9名から7名になったことは、ネット解説によると「決定の迅速化と習近平の権限強化が狙い」であったとされるが、当然背後では大きな闘いがあったものと思われる。ここで目を引くのは、2012年の18期に序列No7で常務委員会入りし、一期で退任した張高麗(江沢民派)は、昨年プロテニス選手の来彭帥(ほうすい、ペン・シューアイ)の性的暴行騒ぎで話題となった人物である。また2017年10月の党大会で常務委員会入りした序列No4の汪洋は、この著作の時点では、胡錦涛派の先兵として上海閥らと闘っている様子が報告されている(後述)が、彼はその闘いを生き延びたということなのであろう。こうした権力闘争の大きな課題となっている「文化体制改革」と「政治体制改革」について、著者は詳細な解説を行っている。
まず「文化体制改革」は、改革開放による格差拡大の歪が、「向前看」から「前銭看」という拝金主義を高め、また「二奶(妾)」や「性の商品化」という風俗傾向を生んで、大学のキャンパスで、そうした相手の募集広告までが行われている、という現象を報告している。また改革開放後、麻薬中毒患者数も増加の一途をたどっており、「バーチャル空間で麻薬を吸うといったサイト」まで登場しているという。反体制的言説を阻止するネット公安は、そうした反社会的なサイトも取り締まることになる。5億人を超える中国でのネット人口は政府にとって当然脅威で、2011年の恩州で鉄道事故でも、車両を埋めようとしたことに対する抗議が溢れたという。ただ、これは鉄道部門を牛耳っている江沢民派に対する胡錦涛派の闘いの一環としてネット報道が許容されたという側面もあるというのは面白い。
「政治体制改革」も改革開放の大きな旗印であるが、中身はどろどろした権力闘争であるのは明らかである。著者は、現体制では、温家宝が、「民主主義」改革の推進を唱える背後で、胡錦涛が党の規律違反に対する警告を発する等、アクセルとブレーキを踏み分ける役割分担を分け合っているが、それは意図的なものである、という見方をしている。
この関係で、著者は、2011年9月、広東省の農村で発生した農民の土地収用と地方政府の腐敗に抗議する運動が勝利した事例を紹介している。この事件で、最終的に農民の抗議を全面的に受け入れ問題を収めたのが、広東省の責任者であった汪洋(団派)であるが、他方で地方の公安を牛耳っていたのは周永康率いる江沢民派であった。そして著者は、この事件は、胡錦涛ら団派が、「政治体制改革」という旗印の下、中国社会主義を危険に晒さないギリギリのところまで「民主主義」的動きを擁護して、周永康率いる公安に対する攻撃を仕掛けたのではないか、という見方を提示している。胡錦涛政権末期、彼が当初より唱えている「先富」から「共富」への移行、「和諧社会」と「科学発展観」を強く主張しているのも、こうした団派による上海閥(江沢民派)の時期政権への影響力を弱める動きだという。そしてその文脈では、やはり江沢民の恩寵を受けて台頭してきた薄熙来の失脚も、その流れに沿っているということになる。そうした「周りを包囲して攻め落とせ」という戦略は、江沢民が、彼が政権を引継ぐ時期に牽制を奮っていた北京閥の力を削ぐために使ったとされるが、それを江沢民に伝授したのが、薄熙来の父親である薄一波であった、というのは歴史の皮肉である。しかし、こうした策を弄し、10年後を見ながら、2022年の常務委員会を団派で固めようとした胡錦涛であったが、実際に今、その時期を迎えて、胡錦涛の意図は、習近平の前にほとんど潰されることになった。著者は、この時点で、2022年時点での総書記候補として、故春華、周強、孫政才の3人(いずれも団派)を挙げているが、その3人とも常務委員に昇格はできず、現時点では政権幹部からは消え去っている、というのも、この世界の予測不可能なことを示している。
最後の章で、著者は、中国の対日、対外政策を解説しているが、これも10年経った現時点から見ると、「中国の平和的拡大」とそのための米欧日を含む世界各国との経済関係強化という見方は、今や過去の話になったと見ることが出来る。南・東シナ海や台湾海峡を巡る緊張や、中国の海軍・空軍力の急拡大を念頭におけば、今や中国がこの地域で米国の意向に従うだけということはとても考えられないし、米国そして欧州も中国のそうした動きに警戒感を一層強めていることは言うまでもない。他方、内政面では、習近平への権力集中が進み、今年秋に予定される党大会での一般的な予想は、改革開放以来の慣行を覆す、習近平の主席3期目の決定である。現在行われている北京冬季オリンピックも、「習近平の、習近平による、習近平のための五輪」と揶揄される始末である。著者の、派閥分析で言えば、現在の常務委員7人の内、少なくとも李克強と汪洋の二人は団派、習近平以外のその他3人は不明であるが、少なくとも現在はこの派閥バランスが習近平に強い影響力をもっているとは思えない。その意味では、現在の中国の政策は、この著作の時とは異なる政治力学が支配しているように思える。もちろん習近平が何か失策を起こした場合は、団派の二人やそれ以外が結束することもあるのだろうが、現在はそうした気配は全く感じることが出来ない。その現状を著者はどのように見ているのだろうか?
ネットを見ると、著者の最近の著作としては、2020年の「ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元」や、2021年の「習近平 父を破滅させたケ小平への復讐 裏切りと陰謀の中国共産党100年秘史」が紹介されており、相変わらず旺盛な執筆活動を行っていることが分かる。内容は、恐らくこの「チャイナ・ナイン」や「チャイナ・ジャッジ」の派閥闘争ではない、現状に即した米中関係の分析や、習近平自身の行動を、個人の動機から解説した作品の様に思われる。また著者が代表を務めている中国問題グローバル研究所のサイトを眺めると、今回の冬季五輪に関わる中国の狙いなどに加え、「中国が崩壊するとすれば『戦争』、だから台湾武力攻撃はしない」、あるいは「習近平三期目は異例ではないーーケ小平神話から脱却せよ」といったコメントが目につく。前者のコメントは、「そうかな?」という疑問も残るが、少なくとも80歳を越えてもまだ旺盛な著者の活力には全く敬服する。恐らく著者は、私の読んだ2冊の発想ではない、時代に合わせた分析・コメント力を失っていないのだろう。機会があれば、こうした最近の著作も読んでみたいものである。
読了:2022年2月5日