米中対立 アメリカの戦略転換と分断される世界
著者:佐橋 亮
これを読了する前日(2月24日)、かねてから高まっていたウクライナに対するロシアの圧力が、「軍事侵攻」という形で、最悪の局面に突入した。外交によりロシアの侵攻を止めようという欧米諸国の対応は効果がなく、今後は欧米による経済制裁を中心とする圧力がどの程度の効果をもたらすかに焦点は移っている。しかしその程度では、少なくとも短期的にはロシアは痛痒を感じず、かねて予想されていたように、ウクライナの親西欧政権を力で倒し、親ロシアの傀儡政権を樹立するのではないか、というのが、現在のもっぱらの予想である。こうした力による主権国家の政権転覆のための軍事力行使は、冷戦終了後は初めての事件であると言われている。
しかし、冷戦終了前の現代史を見れば、それは、かつては頻繁に発生していた。他国にいる「自国民(又は自民族)保護」を名目にした干渉と最終的な併合は、例えばナチスによるチェコ・ズデーテン地方への侵略を想起させるし、そもそも冷戦時代には旧ソ連が「制限主権論」を理由に、1956年のハンガリーの反乱や1968年のチェコの民主化運動をソ連軍の軍事力で圧殺している。あるいは中国によるチベット併合なども、同種の事例と言えなくもない。ただ確かに冷戦終了後は、あからさまにそうした動きが起こることはなかった。その意味で、今回のロシアによるウクライナ侵攻は、「外国による力による主権国家への侵略」として、冷戦後の世界秩序に対する大きな挑戦且つ脅威であることは確かである。そして地理的には離れていることで、余り当事者意識のない日本ではあるが、これは近隣のもう一つの「権威主義国家」による同様の動きを誘発する恐れがある、という点で他人ごとではない。そうした事態の中で読了したこの2021年7月出版の本書は、まさにこの近隣の「権威主義国家」中国を巡る米国や西欧諸国の最近の対応についての大きな動きを改めて確認させてくれる。著者は、1978年生まれで、現在は東大東洋文化研究所の準教授である。
1971年のキッシンジャーによる中国秘密訪問から翌年のニクソン大統領の訪中、そして1979年の米中国交回復に至る流れは、冷戦下でソ連への牽制を目的とした米国の対中接近であったが、冷戦後のこの国の中国への対応は、低賃金の生産拠点と成長する市場としての中国への期待を核に、中国への経済的、科学技術的支援等が、「中国の政治改革、市場化改革、そして民主化を促すことで、国際規範を尊重し、世界平和に貢献する」中国を作るという「幻想」を基盤としていた。しかし、そうした楽観主義は、中国の予想以上の経済成長と国内的な統制強化(管理国家化)、そして強化された軍事力を後ろ盾にした東アジアでの覇権的行為とそれ以外の世界(特に途上国)に対する影響力を強める動きの中で、米国でもオバマ政権の後期から急速に薄れ、むしろ中国に対する脅威論が主流となっていく。この過程を、主として米国での多様な利害関係者の動きを中心に辿ったのがこの新書である。
著者は、1970年代の米国による中国「関与政策」の盛り上がりと、2000年代半ばからの転換を、夫々の時代での具体的な事象を織り交ぜ辿っている。ここではそうした詳細は割愛するが、前半は、上記の通り「低賃金の生産拠点と成長する市場としての中国への期待」が、政治体制の相違や人権問題よりも優先し、そのため、中国への支援が、その政治・経済体制の変化を導く、という期待として持続した(特に、2012年の、当時国家副主席であった習近平の訪米が、オバマを始めとする米国指導者に好印象を与え、彼の主席就任に大きな期待が高まったというのは印象的である)。しかし、特に2013年の東シナ海での防空識別圏の設定、国内での社会統制強化と軍拡、更には周辺国への覇権主義的外交姿勢等により、オバマ政権末期に向かって、この米国の中国に対する姿勢が急速に変容していくことになる。またこの米国の対中姿勢の変化が、台湾の取り扱いでも起こったというのも興味深い。即ち、2012年の台湾総統選では、国民党の馬英九政権による中国接近政策を受けた台湾海峡の緊張緩和をあからさまに支持し、民進党の蔡英文の「独立」姿勢に批判的であったオバマは、2016年の総統選では態度を豹変させ、蔡英文支持に回る。その背景には、オバマの認識が、「地域の安定を揺るがすものは柔軟性と自制を欠き、しかし台頭しつつある中国」と変容していったことがあった。そしてトランプ政権になり、米国の対中姿勢はいっきに硬化することになる。
著者は、トランプのそうした姿勢は、もっぱら中国との「貿易戦争」での勝利が、自らの評価を高めるという打算からであり、そこでは台湾や香港問題、あるいは人権問題といった要素は全く念頭になかったと見る。しかしそうした後者への問題意識は、むしろ議会の中で、共和党、民主党を問わず強まっていくことになる。その結果、中国の人権問題や社会統制・軍事力強化、そして国際秩序への挑戦への懸念が、米国の中国に対する軍事、経済、科学技術政策のそれぞれでの見直しに連なっていくのである。コロナ禍が、中国批判を更に加速させたことも言うまでもない。
しかし、こうした対中姿勢の硬化にも関わらず、巨大な中国市場への期待は引続き大きいことは忘れるべきではない。製造業では航空機、半導体、化学、医薬品が米中の「デカップリング」で大きな損失を被ると予想され、また何よりもウォール街(金融界)の中国市場への期待は引続き高い。確かに、例えば香港での民主主義圧殺が強まる中でも、その地にある金融機関が拠点を移したり、大きく縮小したという話は、当初予想された程は聞こえてこない。こうした中国でのビジネスに大きな利害関係を持つ業界からの圧力は依然無視することはできず、今後の米国の対中姿勢も、硬化一辺倒といった訳ではない。もちろん、中国がこの経済力を、国内的な引締めと国際関係の最大の切り札として使用していることも明らかである。
1970年代以降、この米中関係の進展が、特にアジア地域を中心に国際政治環境を安定させてきたことは間違いないが、近年のこの緊張が、逆にそれを不安定化させることになるのは必然である。そしてそれは米中関係だけではなく、欧州やオーストラリアといった先進国と中国との関係にも,反映されてきた。特にドイツは、中国との緊密な経済関係から、中国の人権問題などには沈黙してきたが、メルケル政権末期の2021年にインド太平洋ガイドラインを改定し、この地域に海軍艦船を派遣する体制を整えた他、先端技術の中国への流出にも警戒感を示し始めている。トランプ政権下で傷ついた欧米の関係も、バイデン政権で改善しつつあり、緑の党も連立に参加した社会民主党政権のもとで、「揺れながらも警戒感に軸足を変えつつある」こともあり、今後この傾向は強まると予想される。インド、韓国、東南アジア諸国は、それに比べると、まだ中国との距離感は近いと言えるが、「対中貿易の魅力という引力」は以前より弱まりつつある。そして台湾問題は、この米中対立の最も先鋭的な課題となっていることは言うまでもない。
そうした中での日本の対応への提言で、この著作が終わる。その結論は、「パワー(力)と価値観」をともに成り立たせるような柔軟な外交が必要であるということである。具体的には、「日本自らの手で安全を維持できる」「安全保障体制」を整備した上で、「守るべき技術や資産(不動産を含む)を特定し、日本に欠けている法基盤をアメリカなど先進国並みに整備する」「経済安全保障」も強化した上で、「中国政府に政策を見直したほうが有利と思わせるような状況を作る」外交努力を進めるべき、という。もちろん、それは言うは易いが、簡単に実行できるものではないし、ややこの著作を終わらせるために、当たり障りのない提言を行ったようにも見える。ただ、今後の中国の更なる成長と政策が不透明である中、誰も予想することのできない難しい課題であることは確かである。
そして再び冒頭に戻ることになるが、米中関係が変化し、米国の関心と軍事配備が東アジアに移行した隙をぬっての今回のロシアのウクライナ侵攻である。プーチンは、当然そうした米国の姿勢や、米国が国内的な分断に直面していることも念頭に置き、今回こうした暴挙にでたことは間違いないが、それはそれでプーチンにとっても大きなリスクである。そして中国も、そこでの米国の動きを注視していることは間違いなく、今後台湾などを巡る状況が益々緊張を増していることは間違いない(中国は、今回のロシアの侵攻については、積極的な支持はしないが、欧米のような制裁を含めた批判も控えている。国連のロシア批判決議は、常任理事国としては棄権した)。昨日(2月26日)また巡行ミサイルを発射した北朝鮮の動きも含め、ウクライナと同様の緊張が、いつアジアに飛び火し、日本を巻き込む混乱に移行してもおかしくない。その際に、今回のロシアの動きが続く場合は二正面の危機に直面する米国が、どこまで東アジアの事態に関与できるかも不透明である。この著作を読みながらウクライナのニュースを追いかけていると、コロナ禍で大きく変動した国際秩序は、今まさに新たな試練の時期を迎えていることを痛感させられたのであった。
読了:2022年2月25日