習近平暗殺計画
著者:加藤 隆則
同じ著者(+共著者1名)の中国レポートは、一昨年の秋に読んでいる。これは、習近平が、党総書記及び党中央軍事委員会主席に就任(2011年11月)した約1年半後の2013年4月出版で、胡錦濤/温家宝から政権を引きついた習近平が、まだ安定した支配基盤を持たない状況下で、如何なる課題に直面し、どのような政治運営を行うかという予測を中心に議論している新書であった。その著者による、2016年2月出版の単行本である。
この2冊の著作の間、著者は、約27年勤務した読売新聞を退社し、市井の中国専門ジャーナリストとして生きていく決断を行った。著者が退職を決断したのは、前著でも報告されていた2012年の薄熙来失脚に始まる政権幹部の抗争が、「習近平暗殺計画」の存在を確信させるという著者の「スクープ」が、新聞社本部の意向で紙面掲載が出来ず、その後、彼の人事異動等でいろいろな圧力があったことが理由であった。そしてこの本では、前半が、そのボツになったが、その後2015年8月の「文芸春秋」に掲載された彼の論考と、それに関連する議論、そして後半ではその「スクープ」への読売本社の対応と彼の退職に至る過程を綴りながら、ジャーナリストとしての取材姿勢と、新聞の社会的任務についての自身の信念を熱く語ることになる。その意味で、前半は、通常の中国分析として読めるが、後半は読売経営陣への批判を含めた人生哲学的な趣が強まることになり、なかなか重たい議論になっている。
「文芸春秋」掲載論考を含めた「習近平暗殺計画」は、薄熙来に加え、当時党中央政治局常務委員で公安や警察を一手に握っていた周永康と、党中央弁公庁主任(総書記の秘書役的地位)の令計劃が、薄熙来事件発覚以前の2009年から政治連盟を結び、「すでに第17回党大会(2007年)で内定していた習近平同志の政権継承を阻止して、第18回大会後に薄熙来政権を誕生させ、令計劃を党中央政治局常務委員入りさせるクーデターを企画していた」、そしてその過程で、彼らの主導による二度にわたる習近平暗殺が企てられた、というものである。そして、その後薄熙来の妻による英国人暗殺事件や令計劃の息子のフェラーリ事故死等が発覚した際に、周永康が捜査妨害を行ったことで、結果的にこの3人と彼らと関連する勢力が一掃されることになったが、その本当の目的は、この「習近平暗殺計画」の首謀者たちの排除であったと見るのである。この粛清では、「政治局常務委員は法に問われない」、という従来の慣行が破られ、またその後、常務委員の数は9名から7名と、2002年以前の体制に戻されることになるが、その背景には、彼らが「非組織政治活動」を行ったという評価があった。この「非組織的政治活動」という過去になかった表現は、「反党的な政治クーデター」を意味しているとされるのである。その意味では、彼らの行動は、毛沢東時代の林彪事件、あるいは毛沢東の死後に発生した四人組事件に匹敵するものであった、というのが著者の見方である。またこの首謀者の内、薄熙来と周永康は、江沢民が登用した人物、令計劃は胡錦涛が登用した人物ということで、彼らを失脚させることで、習近平は江沢民、胡錦涛の影響力の排除も成し遂げることになった。江沢民や胡錦涛が、直接の責任を取らされなかったのは、恐らく、この一連の事件が政権に決定的な打撃を与えることを避けるための、二人と習近平との間の密約があったということになる。この辺りは、確かに「物証」がある訳ではないが、なかなか刺激的な「推測」である。
ただこの「スクープ」は、前述の通り読売本部ではボツ扱いとなり、著者はその後、「スクープ」禁止や緊急帰国といった命令を受けることになり、本部に対する不満を強めていく。そしてそれが、現場の激しい「スクープ合戦」の中で記者が鍛えられ、またそれにより新聞の社会的使命が果たされるという著者の信念に反するということで、本部批判を強め、そして最終的に退職に至る過程が綴られていくことになる。これはまさに彼の人生哲学で、たいへん感動的(そしてその意味で感情的)であると同時に、読売と言う大新聞の中で繰り広げられた一記者の処遇を巡る内部抗争を覗き見すると言う好奇心も満たすことになるのである。
だがそうした後半の議論は、私自身にとっては、多分に「他人の喧嘩の覗き見」に過ぎない。まずは、前半の議論により政権の安定度(と独裁度)を強めた習近平が、その傾向を益々強めていることが最大の問題である。著者は、習近平が、総書記就任前から何度も日本を訪れ、それなりに知日家となっているので、それをうまく利用することが肝要と論じているが、恐らく現在の彼は、そうした個人的な好み等は、政策決定に際しては配慮せず、それこそ「中華帝国の栄光」を希求する姿勢を強めている。足元、ロシアによるウクライナ侵略で、中国の姿勢が問われているということはあるが、これが一段落した際には、また中国によるアジア全域での現状を変える覇権主義的な動きが強まり、また新疆・ウイグルや香港を巡る人権問題も改めて課題になることは十分予想される。そうした中で、ロシア・ウクライナ問題で、再びその実行力を問われている米国や欧州諸国、そして日本による、中国への対応も、改めて問われることは間違いない。その時、著者は、どのような提言を行うのだろうか?大新聞を離れて自由になった著者の最新の見解を聞きたいものである。
読了:2022年3月10日