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アジア読書日記
中国
21世紀の「中華」
著者:川島 真 
 1968年生まれの東大大学院教授(国際関係史)による、2016年11月出版で、日中外交関係を中心に、2012年から2016年にかけて、著者がいろいろなメディアに寄稿した評論を集めた単行本である。短い時事評論が多いことから、現時点で読むと、やや関心が弱まっている課題が多いが、それはもちろんその後の新型コロナと足元のウクライナ問題によるところが多い。それを捨象した上で、中長期的に、地域大国として覇権的姿勢を強める中国にどのように対応していくか、という視点から見ていく必要があろう。その点で、ここでは第三章の「長期的論点」と題された、ここ数10年の日中関係を総括した論文を中心に見ていくことにする。

 1972年の日中国交回復と日中共同友好条約締結以降の日中関係は、「経済」と「歴史」のバランスの中で展開されてきた、というのが著者の視点である。これ以降のしばらくの時期は、ケ小平の指導下、中国は、「経済関係において日本への依存を深める中(中略)、歴史を強調する」時期が続くが、それでも両者はバランスがとれ、「日中双方の国民感情は比較的良好」であった。それが危機に直面するのは、1989年の天安門事件以降であるが、日本は、当初こそ西側先進国の対中国経済制裁に加わるものの、1990年代初頭にいち早く経済制裁解除に動き、中国に格別の配慮を行うことになる。ただ冷戦終了後、「政権の正統性の危機に直面」していた中国は、江沢民政権の下で、愛国主義教育を強化する等、必ずしも「日本の姿勢に好意的に反応すること」はできず、その後の経済成長により日本への経済依存度が低下したこともあり、次第に「歴史」の要素が強まることになる。1995年の中国の核実験、96年の台湾海峡危機等もあり、日本でも中国脅威論が強まったのもこの時期の特徴である。

 21世紀に入り、日本では小泉政権、中国では胡錦涛政権が成立し、胡錦涛は「対日新思考」等を唱えることになるが、靖国参拝問題や日本の国連安全保障理事会の常任理事国入りを巡り2005年の大規模反日デモが発生する等、中国側の警戒感は強まることになる。他方、経済面では、引続き中国への主要投資国であった日本への配慮も示したことから、この時期の両国関係は「政冷経熱」と言われることになる。

 2009年の民主党鳩山政権は対中融和政策をとったものの、この政権は対米関係等で行き詰まり、結局野田政権時の尖閣国有化で対中関係が悪化することになる。そしてこの著作で取り上げられる2012年以降の段階で、世界第二の経済大国となり、またリーマン・ショックからの一足早い経済回復で自信をつけた中国は、従来の「韜光養晦」外交から、覇権主義的外交に舵を切ることになるのである。この著作で議論されているのは、まさにこの政策転換が起こって以降の日中関係を中心とした、日本の外交政策についての課題である。

 日本の対中外交を考える上で外せないのが、米国の対中姿勢である。中国の覇権的性格が出始めたオバマ政権初期から、「アジア・ピボット」等、米国による軍事力のアジアシフトや日米同盟強化は言われているが、同時に米国側には、米中の協力関係を促す姿勢も見えている。当然ながら、財政面での余裕がなくなり、「世界の警察官」からの後退を明らかにしている米国も、この地域の不安定化・緊張は望んでいない。その意味で、対中国でも硬軟織り交ぜた姿勢を示しており、日本もそれを理解した対応を行う必要がある、というのが著者の基本的姿勢である。こうした曖昧な姿勢は、ややもすると「玉虫色」という批判を招くことになるのが難しいところであるが、現実の外交政策は、そのバランスの上で取られているのは事実であろう。そしてそのバランスが、対中強硬路線に徐々にシフトしていったのが、2015年以降である。

 この時期になると、著者は、中国によるAIIB設立が、「一対一路」と共に取り上げることが多くなる。中国側では、薄熙来や周永康の粛清により習近平への権力集中が進み、彼の意向がより対外政策にも反映される傾向が強まっていく。南シナ海の岩礁、暗礁での埋め立て、軍事施設の建設等の中国の動きの背後には、習近平が「米国も強硬策はとらない」という判断があったというのが著者の理解である。これに対し米国はイージス艦を派遣し、「航行の自由」作戦を展開したが、これは領海に関する国際法の適用を確認することはできても、飛行場や軍事施設の建設を止めることはできない。著者は、中国側の開発が環境問題も引き起こしていることから、直接の当事者を越えた国際世論を盛り上げていくこと等を提案しているが、決定的な解決策は見当たらない。因みに、こうした覇権主義的な動きを止める実効性のある方法があるか、という点は、今回のロシアによるウクライナ侵攻で、より鮮明に突き付けられている課題である。こうした観点から、ロシアへの欧米種国の動きを中国がより注意深く見ていることは間違いない。

 こうした中国の覇権主義的な動きへの対応につき、著者は最後に以下の様にまとめている。「このような時期こそ、中国をただ批判し、敵対するのではなく、むしろコミットメントを強めて中国が平和的で、安定的な存在になるよう促すことが来停められる。」そして対日関係においても、中国は安保や領土問題では厳しく、経済ではどちらかといえば柔らかく接してくると思われることから、「日本側も安保や領土では妥協せずに、かつ問題の拡大を防ぐ努力、可能な範囲での対話とルールづくりをしながら、他方で経済や非伝統的安全保障の領域では戦略的難点に基づく協力を惜しまない、という方向で行くべきであろう。」もちろんこれは言うは易く実行するのは極めて難しい提言である。

 この著作でのテーマは、ここのところ幾つか読んできた米中日対立に関する著作と重複している。その中では、特に先日読んだ2021年7月出版の佐橋亮の「米中対立」が最も新しい時点での分析と言うことになる。ここでは、1970年代以降、米中関係の進展が、特にアジア地域を中心に国際政治環境を安定させてきたが、近年の中国の覇権主義的な動きを受けた米国の政策転換が、逆にそれを不安定化させることが指摘されていた。そしてそれは米中関係だけではなく、欧州やオーストラリアといった先進国と中国との関係にも,反映されてきた。特にドイツは、中国との緊密な経済関係から、中国の人権問題などには沈黙してきたが、メルケル政権末期の2021年にインド太平洋ガイドラインを改定し、この地域に海軍艦船を派遣する体制を整えた他、先端技術の中国への流出にも警戒感を示し始めている。トランプ政権下で傷ついた欧米の関係も、バイデン政権で改善しつつあり、緑の党も連立に参加した社会民主党政権のもとで、「揺れながらも警戒感に軸足を変えつつある」こともあり、今後この傾向は強まると予想される。インド、韓国、東南アジア諸国は、それに比べると、まだ中国との距離感は近いと言えるが、「対中貿易の魅力という引力」は以前より弱まりつつある。そして台湾問題は、この米中対立の最も先鋭的な課題となっていることは言うまでもない。 

 そこでも指摘したが、米中関係が変化し、米国の関心と軍事配備が東アジアに移行した隙をぬっての今回のロシアのウクライナ侵攻である。プーチンは、当然そうした米国の姿勢や、米国が国内的な分断に直面していることも念頭に置き、今回こうした暴挙にでたことは間違いないが、それはそれでプーチンにとっても大きなリスクである。そして中国も、そこでの米国の動きを注視していることは間違いなく、今後台湾などを巡る状況が益々緊張を増していることは間違いない(中国は、今回のロシアの侵攻については、積極的な支持はしないが、欧米のような制裁を含めた批判も控えている。国連のロシア批判決議は、常任理事国としては棄権した)。またここのところ度々巡行ミサイルを発射している北朝鮮の動きも含め、ウクライナと同様の緊張が、いつアジアに飛び火し、日本を巻き込む混乱に移行してもおかしくない。その際に、今回のロシアの動きが続く場合は二正面の危機に直面する米国が、どこまで東アジアの事態に関与できるかも不透明である。改めてこの著作を読みながらウクライナのニュースを追いかけていると、コロナ禍で大きく変動した国際秩序は、今まさに新たな試練の時期を迎えていることを痛感させられたのであった。そして、そこでも日本の対応への提言として、「パワー(力)と価値観」をともに成り立たせるような柔軟な外交が必要であるとされていた。具体的には、「日本自らの手で安全を維持できる」「安全保障体制」を整備した上で、「守るべき技術や資産(不動産を含む)を特定し、日本に欠けている法基盤をアメリカなど先進国並みに整備する」「経済安全保障」も強化した上で、「中国政府に政策を見直したほうが有利と思わせるような状況を作る」外交努力を進めるべき、という。今回の著作での提言もそれとほとんど同じものであるが、これもこの著作を終わらせるために、当たり障りのない提言を行ったという点で、この問題に対する具体的な施策が簡単ではないことを示している。

 繰り返しになるが、この中国のアジア地域での覇権主義的な動きは、新型コロナの拡大とそれに対する国内対応で足元は動きも関心も薄れている。そしてコロナが収まった暁に、そうした動きが出てきた際には、今回のロシアによるウクライナ侵攻とそれに対する欧米日等の対応が、今後の中国の動きに影響を与えることが十分に予想される。地域秩序の現状変更を企てる動きは歴史の転換点で必ず発生する。そうした時代には、理想主義的な理念が全く現実政治の力を持たないことは十分に予想される。21世紀の「中華」を巡る問題は、この著作が刊行された2016年よりも益々複雑になっていることを痛感させられたのである。

読了:2022年3月22日