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アジア読書日記
中国
中国ナショナリズム 民族と愛国の近現代史
著者:小野寺 史郎 
 1977年生まれの埼玉大学大学院准教授による、2017年6月出版の、中国近代のナショナリズムの動きを追いかけた新書である。中国は清末以来、西欧列強による圧力の中、西洋化による近代化と、ナショナリズムによる西欧列強の支配への抵抗という、ある種矛盾する国家建設を進めてきた。そこでは常に国際社会のルールが中国には不利に作られているという考え方があり、その権益を実力で保護するしかない、というリアリズムが、なかんずく経済的な自信を取り戻しつつある現在はより強く現れるようになった。しかし、そうしたリアリズムは「西欧近代の国際関係観そのもの」であり、ナショナリズムに依拠する国民国家の立場から西欧のあり方を批判するということのジレンマを内包しているという。著者はそこに、今や「マルクス主義」国家とは言えない「一国社会主義」建設を目指す中国の困難があると見る。そしてその矛盾を克服するために最大限利用されるのが、「愛国主義教育」に見られるナショナリズムであるが、しかし、それは時として暴走することもあることから、それを国家目的のために如何に統制していくかが、大きな課題であり続ける。本書は、そうした中国での「上からの公定ナショナリズム」と「下からの民衆ナショナリズム」夫々の時代毎の動きを踏まえながら、基本的には、清末以降の中国現代史、及び日本を含めた欧米先進国との外交史のおさらいとなっている。

 この過程を子細に追いかけることはしないが、まず序章でのポイントをまとめると、中国の伝統的な外交上の世界観である「朝貢・冊封体制」を、アヘン戦争を機会に「近代西欧式の条約体制」に切り替えざるを得ない状況になったことが挙げられる。そして日清戦争後、一層この「条約体制」に組み込まれた清で、上記のような上からと下からのナショナリズムが盛り上がっていくことになる。

 こうした動きは、先ずは康有為ら知識人による「上からの改革」として始まるが、当然ながら伝統的世界観に依拠する保守派からの反動を受けまずは挫折、列強による更なる侵略や、義和団事件という「下からのナショナリズム」の圧力を受け、清王朝は、西欧に学ぶ「文明の排外」型の対応に舵を切ることになる。そして粱啓超といった知識人によるナショナリズムを利用しながらの西欧型の近代化が進められる。ただこうした近代化の過程で、「中国」ネイションの地理的範囲やそこに含まれる「人種」の問題(漢、満・蒙・回・蔵の統合―五族共和―問題)が議論となり、辛亥革命後もそれが続く。そしてもっと言ってしまえば、それは結局現代に至るまでの中国の統合の大きな課題であり続けることになるのである。

 辛亥革命後の「上からの近代化」の中で、上記の国土の範囲や民族問題に加え、儒教に代表される伝統的な価値観や民衆感情との衝突が生じたことが指摘されているが、それは、この過程で改革を主導した知識人が、そうした民衆の情緒的なナショナリズムを排除し、「論理的な説得」でより国民の中の国家意識を強めようとしたためと指摘されている。国語の統一問題を含め、そうした「上からの文明化」に限界があるのは当然であった。

 第一次大戦の終了時に、日本が中国に対し「二十一ヵ条要求」を行ったことで、中国の「下からのナショナリズム」が、日本を「主要敵」とする転換点になったとされる。以降、「政府が国家建設のために上から推進する文明的・理性的な公定ナショナリズムと、国外からの圧力に対する反発から生じる、暴力や感情的な要素も含む民間主導のナショナリズム運動との齟齬が顕在化」することになるが、その主たる争点となったのが対日関係だったということになる。またこの時期以降、西欧中心の国際秩序や文明観に対する懐疑と伝統的な儒教等を「換骨奪胎」して新たな国民統合の理念を作る「文化ナショナリズム」運動も起こったが、これらは、その後社会主義運動の中でも取り入れられていくことになる。政治的には、この時期以降は、蒋介石率いる国民党が、北伐を含めた国家統一に向けての動きを強めていくことなるが、この過程で「国辱記念」や「先烈記念」、「民衆運動記念」、「帝国主義惨殺記念」、「軍閥惨殺記念」といった「過去の負の出来事に関わる」多くの記念日を制定し、民衆ナショナリズムを刺激し、デモや集会への参加を募るという、現在まで引き継がれているこの国の政治手法が確立していったというのも、興味深い指摘である。

 1931年の満州事変以降は、抗日戦争の中で、国民党主導の「政党国家体制」が強化され、孫文を国家統合のシンボルとして利用する動きがあったこと等が指摘されている。この「政党国家体制」は、ソ連とソ連共産党の関係をモデルとしたもので、国民党のみならず、その後毛沢東率いる共産党が政権を掌握した後も続くことになる。その意味で、現代中国のナショナリズムは、政党による「上からのナショナリズム」として強化されていくことになる。しかし、国民党のそれは、「民衆のエネルギーを抑制し、労働運動や過激な排外主義を抑圧しつつ、彼らを国家建設に動員しなければならないというジレンマを抱えていた。」その点では、共産党の方が、「愛国主義は国際主義と矛盾しない」と公然と唱えることで、そうした「下からのナショナリズム」をうまく取り込み、結果的に国民党に勝利したということになるのだろう。著者は、「それまでのあらゆる政権が基層社会まで権力を及ぼすことができなかったことを考えると、限定的とはいえそれを成し遂げた共産党政権は、中国の歴史全体から見ても画期的であった」としている。同時に、この体制は、「知識人や社会団体、民衆が、政府とは異なる見解を持つ独自のアクターとして活動する余地」を大きく狭めることになる。こうして中国は現在に至るまで、この「政党国家体制」により、「下からのナショナリズム」を適宜利用しながらも、基本的には「上からのナショナリズム」による国家意識を維持、培養してきたということになる。現代中国が抱えるナショナリズムの諸問題―日本との歴史認識問題、東シナ海・南シナ海の領土問題、チベットや新疆ウイグルでの人権・民主主義を巡る西側諸国との対立、そして当然ながら香港や台湾を巡る問題―の今後を見る上では、こうした中国の基本姿勢を念頭に置いて観ていく必要があろう。

 ナショナリズムは、国家統合を維持・強化する上で最も基本的且つ有効な要素である。しかし、それは民族、宗教、あるいは歴史や経済発展段階の違い等により容易に分裂する。EUのように、あえて理想主義的にナショナリズムを越える上位概念を打ち立てる試みもあるが、それが「ナショナリズム」からの反撃を受けることは、英国のEU離脱や、域内での地域主義の動きなどでも示されている。他方、中国の場合は、清朝以降の列強による侵略の中から生まれたナショナリズムを利用し、共産党政権でようやく一定の統合と地域大国としての立場を回復したが、それにも関わらず統合を揺さぶる上記の諸問題が依然として課題であり続けている。別に現在連日報道されているロシアによるウクライナ侵攻も、かつてのソ連共産党支配のもとで作られた「上からのナショナリズム」が崩壊した後の混乱であると見ることが出来る。そして民族や言語的には、こうしたナショナリズムが相対的に安定している日本でも、地域の緊張が高まると、第二次大戦時の様に、これが極端な形をとって現れることもないとは言えない。ナショナリズムという怪物は、現代の国民国家にとっては常に両刃の剣である。存在感を強める中国の隣人として、この中国ナショナリズムを不用意に刺激しないことは、今後の日中外交の基本であり続けることになるのだろう。

読了:2022年4月8日