香港デモ戦記
著者:小川 善照
2020年5月出版の、週刊ポスト記者(1969年生まれ)による、2014年の雨傘運動と、その後2019年末頃までの香港における民主派(但し、そこには自決派、本土派、帰英派等、少しずつ異なるグループが存在した)による市民運動のルポであるが、約1年前に香港国家安全維持法(国安法)が施行されて以降の状況を考えると、暗澹たる気持ちを抱きながら読み進めることになった。2014年の雨傘運動は、香港の行政長官普通選挙を求める市民運動であり、学生を中心とした反対運動が盛り上がり、79日間に渡り香港中心部の通りをバリケードで占拠したり、議会である立法院に乱入したりして、警察と衝突した。しかし、市民側は基本的に非暴力を貫き、警察が放つ催涙弾に対し、雨傘を広げて対抗したことからこの名前がつけられたが、結局行政長官は、選挙委員会があらかじめ候補者を選定した上で行われる「普通選挙」のまま行われ、運動は「敗北」することになった。そしてこの経験を踏まえ、2019年、逃亡犯条例改正を契機に改めて、2014年を上回る規模での「暴力と破壊の欧州が日常となり、命さえも失われる」激しい市民運動が繰り広げられることになる。この市民運動の結果、逃亡犯条例改正は廃案となるが、結果的には、その後の国安法で、こうした市民運動が徹底的に取り締まられることになり現在に至っていることは周知の通りである。
著者は、こうした市民運動の現場に足を運び、運動に関わる多くの人間にインタビューをしながら、彼らの想いや行動を綴っていく。彼らは、勇武派と呼ばれる「急進派」から、食事や怪我の手当てを行う一般人である後方支援者等々様々であり、親にも内緒で運動に参加している10代の若者も多い。また彼らの中には、日本のアニメを中心とした「オタク」文化のファンも多く、それは著者が別に取材している日本での関連の動きで、市民派に批判的な本土からの留学生の間でも共通の嗜好であるといったコメントも見られる。その意味では、日本の「オタク」文化は、いまやこうした政治活動にも影響を与えているということではあるが、これは私自身が全く関心のない世界であることから、読み流すことになった。
そして著者は最後に、「傷つきながら、自由を希求する香港の人々。彼らは決して諦めない。いつの日か、その手に自由と民主主義を勝ち取ると信じている」とこのルポを結ぶことになるが、その言葉は、現在虚しく響くことになる。
国安法の下で、市民運動家への逮捕・収監、そして異例の重罪判決が続いている。このルポで、著者が個人的にも接触し、その明るい性格と姿勢を報告しているアイドル、周庭(アグネス・チョウ)は無許可集会扇動で約7か月に渡り収監。2021年年6月に釈放されたが、その後の動静は伝えられていない。彼女と共に活動のリーダーに一人だった黄之鋒(ジョシュア・ウォン)も1年1か月の禁固刑という実刑判決を受けた。その他、2021年2月には立法会(議会)元議員ら47人が国安法違反で一斉に起訴。2020年9月に予定していた立法会選前に民主派が行った予備選で、政府予算案を否決して行政長官の辞任を迫ろうとしたのは、国家政権転覆の罪に当たるとの容疑である。民主派の重鎮で香港紙「リンゴ日報」創業者の黎智英(ジミー・ライ)氏や民主党元主席の胡志偉氏ら多くの民主派に対して実刑判決が言い渡され、「香港民主の父」とも呼ばれた穏健派の李柱銘(マーティン・リー)氏にまで有罪判決が出た。まさに、このルポが出版されて以降、急速に取締りが強化され、毎年6月に行われてきた天安門事件の犠牲者追悼集会を含め、4人以上の集会は、新型コロナ対策を理由に2020年以降は許可されない事態が続いている。そしてこの香港の民主化運動は、その後ロシアによるウクライナ侵攻に関心が移る中、ミャンマーでの弾圧と同様、メディアから消え失せてしまっている。香港の民主化運動は既に過去の遺物となりつつある。このルポは、それが消え失せる前の一瞬の輝きを綴った挽歌として虚しさだけを残しているのである。
読了:2022年4月24日