ラストエンペラー 習近平
著者:エドワード・ルトワック
以前に「中国4.0」という新書を2回読み、2回評(別掲)まで記載してしまった米国の軍事評論家の2021年7月邦訳出版の新書である。前著と同様、編訳者の日本人が著者に行ったインタビューや彼の講演を整理して翻訳したものであることから、前著との重複が多いが、他方で新型コロナの感染拡大とそこでのスタンスを含めた直近の中国とそれに対する関係国の取るべき対応等を分かり易くまとめている。半面、今年になって勃発したロシアのウクライナ侵攻については言及されていないので、彼の議論からは、それに対する足元の中国の対応やそれに対する関係国が取るべき姿勢等については、考え方を変える必要があるのではないか、という思いも感じるものとなっている。
前著で著者が提示した現代中国の対外政策の発展段階、「1.0」の「韜光養晦(目立たずに力を蓄える)」論を踏まえた「平和的台頭」から、「2.0」の「九段線」設定等の「対外強硬路線」、「3.0」の「抵抗のないところには攻撃に出て、抵抗があれば止める」という「選択的攻撃」戦略を経て、習近平時代に入り、新たな「4.0」への転換過程にあるという見方が基本である。その「4.0」は、習近平が益々独裁者としての基盤を固める中、彼の個人的意向を反映した「戦狼外交」、即ち「全方位強硬路線」といった様相を呈しているが、著者によると、これは「強大になるほど、戦略的に弱くなる」という戦略の逆説(ストラテジック・パラドックス)にはまっており、「中国にとって最悪の選択である」と見るのである。以降著者は、そう考える理由を逐次示していくことになる。
確かにコロナ以降の中国の対外姿勢を見ていると、やや無節操な拡大・覇権外交を進めているように見える。2020年に入り、香港の言論統制を巡るスウェーデン国籍の書店経営者の逮捕・有罪を巡るスウエーデンとの対立(個人的にはこれは認識していなかった)、中印国境での中国側からの侵攻によるインドとの武力衝突、新型コロナ調査をきっかけとしたオーストラリアとの対立激化、南シナ海で相変わらず繰り返されるベトナム船舶への体当たり攻撃等々、そうした中国の動きは枚挙にいとまはない。その反応として、元々中国と対峙していた米国は、豪州やベトナムへの一層の支援強化を行っている他、インドへの武器提供とクアッド(日米豪印戦略対話)立上げといった対応を取っている。またかつては中国については、経済関係重視から接近していた欧州も、英国やフランス、ドイツが南シナ海に軍艦を派遣する等、対応が変化している。「中国が対外圧力を強めれば強めるほど、反中包囲網もまた強度を増していく」という著者の指摘はその通りであろう。ただ、足元中国が、ウクライナ問題で孤立するロシアを含めたBRICS諸国や太平洋の島国国家との連携強化にも奔走しており、むしろ欧米民主主義国家対途上国権威主義国家の対立を利用して、その存在感を維持・強化しようとしている点は、著者は全く指摘していない。
米国では、バイデン政権となり、中国との対立は、トランプ政権時代に比較しても維持・強化されているが、これが今や共和党・民主党という政権に関わらない「国家戦略レベル」の政策となっているという議論は、よく言われている通りである。それはテクノロジー分野での中国のルール違反に対する制裁から、安全保障面での台湾支援政策強化、人権・民主主義の強調(これには豪州や欧州諸国も加わる)、そして地球規模の環境問題(南シナ海での人工島建設でのサンゴ礁破壊批判)や新型コロナ対応等、広範囲に及んでいることもその通りである。そうした中で、著者は、彼の専門分野である軍事バランスの議論を展開しているが、ここでは昨今の中国の軍事力の拡大、特に海軍の増強にも関わらず、原潜、空母、戦闘機を含めた総合的な海軍力では、当面米国が圧倒的に優位であり、中国が直接的な軍事衝突を企てることはない、と見ている。海戦での中国の戦闘経験のなさに加え、陸戦でも人民解放軍の弱さは歴史的に証明されていると、個人的にはやや楽観的すぎるかな、という感じである。台湾上陸といった地域限定的な戦闘になった場合、日中戦争や朝鮮戦争で見せたような中国の得意とする人海戦術では依然中国が優位に立っているのではないかと思えるが、それはいずれにしろ現在では未知の世界である。
それに比較してやや面白いのは、台湾有事が発生した場合の日本の立場についての著者の議論である。台湾有事が発生し、沖縄の基地から米軍機が飛び立てば、日本は中立の立場にも関わらず自動的に戦闘に巻き込まれる。他方、「戦闘に巻き込まれたくないという姿勢を見せた瞬間に日米同盟は終わる」のである。従って、日本は必然的に沖縄の米軍基地の防衛に加え、海上自衛隊等の地殻の海域への派遣といった存在感を示す必要があるとする。その際参考になるのは、冷戦期のスウェーデンによるフィンランドに対する「非公式な軍事支援」で、これがロシアに対するフィンランドの抑止力を高めたとされている。ロシアのウクライナ侵攻を受けて、いまやこの両国がNATO加盟に動いていることで、これは最早「非公式」支援のレベルを越えつつあるが、日本にとって参考となる議論であろう。
習近平独裁が強化される中国での彼の地位を脅かす動きはないのか?国内的には彼の支配は盤石に見えるが、著者によれば、国際関係にそのヒントが見られるという。米国の対立政策自体は、習近平を脅かすものではないが、「中国が格下に見ているEU,日本、インド、オーストリア、あるいはベトナムやインドネシア」などの連合が、その契機になるとする。また2020年11月に中国政府がオーストラリアのメディアに突き付けた14項目の不満―中国によるインフラ、農業、畜産分野での投資制限から外国人の有害・秘密行動を違法とする外国干渉法から中国の新型コロナ対応調査、あるいは新疆・香港・台湾問題への干渉等々―がまさに習近平中国の弱点であるとして、これらの分野で中国から威圧されている周辺国が協力した対応を行うことが肝要としている。ただ、これらの対応が、習近平の独裁体制を揺るがし、彼が中国の「ラストエンペラー」となることは間違いないが、それがいつのことになるかは、現時点での予測は困難としている。
以降、著者の専門とする軍事戦略関係で、最新兵器の受容の歴史(機関銃や戦車、あるいは空軍といった戦力が司令部に受け入れられるまでに時間を要したといった歴史)や、ステルス技術や戦闘機搭乗員のヘルメット・ディスプレイ(どちらも基本技術はロシアで開発されたが、実用化したのは米国やイスラエルであった)といった最新技術開発の実際とその陳腐化の可能性、といった議論を展開しているが、これは省略する。
最後に、著者は改めて、地域強国が覇権を進めると、周辺の小国や地域外の大国がそれらを支援することで、地域大国の膨張を抑えるという「戦略のパラドックス」を繰り返し主張し、習近平の中国がまさにこの歴史を繰り返すことになるだろうと予想する。欧米はそうした勢力均衡の長い歴史を繰り返してきたが、そうした歴史的経験を有しない地域大国である中国は、周辺の「他者」を認識しない中華思想を益々強めている。それが、過去の歴史を含め、中国が、周辺諸国家との関係で、対等な他者を前提とする外交が出来ない理由であり、それがこの国の弱点であるとして。この新書を締めくくることになるのである。
それなりに分かり易い中国論であるが、繰り返すが、習近平の中国は、それほど「単細胞」ではない。ロシアによるウクライナ侵攻が、中国による台湾進攻についての様々な教訓を与えており、それを習近平が慎重に見ていることは間違いない。実際、今の中国はウクライナ侵攻について、あからさまなロシア支援を避けつつも、欧米の制裁等反ロシア政策には明確に反対し、状況の展開を慎重に眺めている。他方で、繰り返すが、BRICS諸国や太平洋島国諸国との同盟関係の維持・強化といった勢力圏確保に余念はない。それは中国が、戦後続けてきた途上国支援と同盟関係強化の動きを、足元益々意識的に進めていることを意味している。欧米日本やASEAN諸国が、経済的な中国との関係を断ち切ることができないという現実を踏まえながら、こうした中国の外交攻勢にどの様に対抗していくかは、著者程楽観的に見ることはできず、引続き予断を許さない。ただ、そのための戦略について、それなりのアイデアを提示している著作であることは確かである。
読了:2022年6月25日