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アジア読書日記
中国
ウイグル人に何が起きているのか
著者:福島 香織 
 著者は、元産経新聞の記者で、上海留学、記者としての香港、北京駐在を経て2009年に退社、その後フリーとなり中国に関する報告、評論を数々出版している。その著者が、ウイグル問題に焦点を当てた新書で、2019年6月の出版である。中国共産党によるウイグルでの対応は、現代最大のエスニック・クレンジング(民族浄化)の一つであり、これに対する良識ある世界の世論からの批判と、ウイグル人に対する支援・連帯を求めているが、たいへん読み易く、説得力のある議論を展開している。

 著者は2019年5月の、新疆ウイグル自治区のカシュガルという街の訪問から報告を始めている。約20年振りに訪れたこの街と周辺部は、かつてと異なり、漢民族が増え、街の至る所に交番や金属探知機、共産党の宣伝看板等が設置された「中国の街」となっていた。町は清潔で、ゴミも落ちていない。しかし、そこで暮らすウイグル族の人々はほとんど無表情であったという。このカシュガルの街はどこにあるのか、ネットで調べてみると自治区の西端、キルギスやタジキスタンとの国境に近いところに位置している。因みに、自治州自体は、北から始めて、モンゴル、ロシア、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、(僅かではあるが)アフガニスタン、パキスタン、インドと国境を接し、南はチベット自治区に繋がる。それだけ多民族が交錯する微妙な地域であることは明らかである。

 ウイグル民族に対する迫害。それを語るのに、著者は、2013年、山東省の工場地帯で環境汚染の調査で写真を撮影していた際に、ウイグル人テロリストと疑われ、4時間にわたり警察に拘束された自身の経験から始めている。最後は日本人ということで解放されるのであるが、敢えて日本人であることを最後まで言わず、成り行きを見届けた著者の度胸には恐れいる。しかし、中国当局は、それほどウイグル人に警戒しているということである。そしてそのような根拠不明の理由で収容所に拘束されているウイグル人は、国連等の推定で1百万から2百万人に上ると言われている。中国に暮らすウイグル人人口は10千万人と言われるので、その1−2割が拘束されているということになる。そしてその収容場所は、「再教育施設」という名の下での「強制収容所」である。

 この「強制収容所」は、2014年4月に、ウルムチ駅で発生した爆破テロ事件をきっかけに正式に政策として導入されたとのことであるが、この爆破事件は、習近平が国家主席となって初めての新疆ウイグル自治区視察でこの駅を訪れた直後のことであった。習近平に被害はなかったが、彼はそれを理由に強硬策を導入することになる。そしてまずはモスレム系もそれなりにいた共産党員に対するイスラム教の信仰禁止、ラマダンへの参加禁止、モスクでの礼拝禁止指令に始まり、その後、宗教関係者や一般ウイグル人に対する弾圧が強化されていったという。そしてそれを現場で実行したのが、「習近平の三大悪代官」と呼ばれる陳全国で、彼はその前にチベットで同様の過酷な支配を行い、習近平に評価され、それをこの地域でも行ったとされる。こうして地域の伝統、文化、習俗、歴史を全否定するような政策とそれへの違反を理由とした多くの人々の拘束が進む。日本を含め海外に滞在している留学生も、ウイグル人であるということだけで帰国命令(パスポートの無効化)が行われ、帰国した多くの人々がこの収容所に送られたという。ITや顔面認証による中国お得意の管理システムが、この地域ではその他地域以上に緊密に張り巡らされ、僅かでも「過激化」の懸念が察知されれば次々に拘束が行われることになる。またそれなりに共産党政権ともうまく付き合ってきたようなウイグル人知識人やジャーナリスト、小説家、文化人なども、ウイグル人であるというだけで「見せしめ的」に逮捕されているとして、著者は、米国のウイグル人権プロジェクト(NPO)がまとめた拘束された著名人のリストを掲載している。学校関係者では、ウイグル語の教科書を編纂し使用したということだけで「民族分離を煽った」として逮捕された例もある。また経済関係者では、明らかにウイグル人富裕層の資産没収を目的にしている例もあるという。著者はこの動きは「ウイグル版文化大革命」で、ウイグルの伝統、文化、習俗、歴史を抹殺するものであるとしている。他方当局は、こうした「パノプティコン」体制とも呼べる監視・管理体制で、この地域の治安が改善したという報告を公表しているということである。こうした体制が完了すると、「国際社会から見えるような暴力もなくなり」、完全に精神の拘束までが行われる世界が訪れると著者は警告している。

 ウイグル人の悲願は「東トルキスタン」を取り戻すことだ、として著者は、この地域の複雑な歴史を振り返っている。あえて近代についてだけ見ると、まず清朝がこの地域を征服するが、清朝の衰退により地域の独立運動が盛り上がる。しかし第二次大戦末期の1944年、ヤルタ会談時に、ソ連と中国(蒋介石)との秘密条約で、ソ連の外モンゴルや満州での権益と引き換えに、この地域が中国の勢力圏として決められた、ということである。またその後は、中国共産党の支配に入るが、中ソ論争と文化大革命の勃発で、この地域もソ連の介入を受け、それに対抗する形で「反右派闘争」が行われ、それを名目にしたウイグル系幹部の大粛清等も行われたという。1980年代、胡耀邦が指導者となると、一時的に融和政策が取られたが、彼の失脚で、結局従来の抑圧体制に戻ることになる。1989年の天安門事件、1991年のソ連崩壊に伴う中央アジア諸国の独立といった動きの中で、この地域でも「独立運動」が発生するが、それらは「テロ事件」として鎮圧される。当局により、大きな反政府運動が「3大テロ事件」として報告されている。一つは、1990年のバリン郷事件、二つ目は1997年のグルジャ事件、3つ目が2009年の7・5事件であるが、著者によれば、それらは元々平和的なデモが当局の過剰規制により「過激化」したものであったり、原因もウイグル固有のものというよりも、漢族を含めた中央政府に対する一般的な不満であったりしたという(また7・5事件には、胡錦涛と江沢民の権力闘争も影を落としていたとされる)。しかし、それらは全て当局から見ると「ウイグル・テロリズム」とされるのである。このあたりは、何時の時代も、場所を問わず、独裁権力の常とう手段である。そして習近平時代になると、前述のウルムチ駅での爆発事件もあり、当局による弾圧は一段と強化されて現在に至ることになる。

 著者は最後に、このウイグル問題が国際政治に与える影響や、日本の外交への提言等をまとめている。国際政治面では、2001年の9.11同時多発テロ以降、米国主導の国際社会は、イスラム過激派をテロリストとする流れができてしまい、中国に、こうしたウイグルでの動きをその一環として弾圧する口実を与えてしまったことが指摘されている。それに加え、中国内部の動きは、報道が制約されていることで、こうした事件につきメディア側も客観的な検証ができないという問題がある。

 他方、トランプ政権になり、中国との対立が鮮明になる中、米国ではこのウイグル問題を中国に対する「カード」として使う動きも出てきている。それは中国からは、米国がウイグル問題に介入している、という批判も呼び起こすことになるが、少なくとも、米国側で、イスラムの運動は、何が何でも「テロリスト」であるという見方は変化してきていることを意味している。そしてそれは、その後バイデン政権になっても大きな変化はない。

 中国が進める「一帯一路」計画で、新疆ウイグルは地政学的に重要な位置を占める。中国は、近隣のパキスタンやカザフスタン等のイスラム系諸国に経済援助を提供することで、これらの国がウイグル問題に口を出さないように手を打っている。それは逆に言えば、中国にとって、この地域の安定は重要な課題であるということで、米国がこれに揺さぶりをかけるというのは、米中対立の中での鍵になり得る。それを念頭に、著者は、ウイグル支援の一環として、日本からも、この地域の平和運動を進めるウイグル人指導者へのノーベル賞授与を働きかけるといった動きができるのではないか、と提案している。先日暗殺された安倍晋三が、トランプをノーベル平和賞候補に推奨したという話が未確認の噂として取り上げられているが、それができるのであれば、むしろウイグル平和活動家を推奨することで、「来る国際秩序の再編成ゲームにおいても、米中新冷戦構造の狭間にあっても、日本は自分の立ち位置を確立して、堂々たる国家として渡り合っていける気がする」とこの新書を締めくくるのである。ただ安倍の暗殺後、国際政治の場でこうした動きを主導できる日本人政治家がいるかどうかは、今となっては全く分からない。

 中国の専門家である著者には、今回このウイグル問題に特化した著作で初めて触れることになったが、その行動力と情報力、そしてそれを分かり易くまとめる力量には感服させられた。これ以外の中国本も、機会があれば読んでみたいという気にさせられる。

 他方、このウイグル問題ということについては、やはりこの著作後の新型コロナ感染拡大と中国当局による「ゼロ・コロナ」名目での都市封鎖、そしてロシアのウクライナ侵攻で、メディアの扱いが極端に少なくなっていることは否めない。それはチベット問題についても同様であるが、他方で、ウクライナ問題を含め、中国は、この秋に予定される共産党大会での習近平主席3期目を確実にするため、現在は目立つ行動を抑えるという戦略の結果でもあると思われる。とすれば、習近平の3期目が決まれば再び中国は、こうした問題で動きを見せてくることは十分考えられる。その頃に、新型コロナとウクライナ情勢がどうなっているかは全く予測できないが、恐らくそれ以降に新しい展開が起こり得る気がする。その時、この地域を巡る中国国内や国際世論に動きが出てくるか、注意して見ていきたい。

 因みに、この評を書き終えたたった今、ネットを見ていたところ、「中国国営新華社通信は15日、習近平主席が12〜13日に新疆ウイグル自治区ウルムチ市を視察したと伝えた。習氏の同自治区訪問は、8年ぶり。前回は視察中に付近で爆発テロが起き、その後のウイグル族ら少数民族に対する管理強化につながった。米国などが人権侵害を指摘する中、自ら訪問して統治の「安定」をアピールする狙いがある。」という記事が掲載されていた。早くも動き始めたか、という印象であるが、この報道を受けての国際社会の反応が気になるところである。

読了:2022年7月13日