アジア・ドイツ読書日誌と
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アジア読書日記
中国
中国のフォロンティア
著者:川島 真 
 今年(2022年)3月に同じ1968年生まれの東大大学院教授(国際関係史)である著者による「21世紀の「中華」」という単行本を読んだが、こちらの新書は、著者によるとそれと「姉妹編」になる著作であるということで、前著(2016年1月刊行)よりも若干遅れた2017年3月の出版である。前著では、日中外交関係を中心に、2012年から2016年にかけて、著者がいろいろなメディアに寄稿した評論を集めた単行本であったが、そこでは、中長期的に、地域大国として覇権的姿勢を強める中国にどのように対応していくか、という視点から、ここ数10年の日中関係を中心にレビューされていた。1972年の日中国交回復と日中共同友好条約締結に始まり、ケ小平の指導下での「経済関係において日本への依存を深める中(中略)、歴史を強調する」時期を経て、1989年の天安門事件を迎える。日本は、当初こそ西側先進国の対中国経済制裁に加わるものの、1990年代初頭にいち早く経済制裁解除に動き、中国に格別の配慮を行うことになる。1995年の中国の核実験、96年の台湾海峡危機等もあり、日本でも中国脅威論が強まり、21世紀に入る。この時期、日本では小泉政権、中国では胡錦涛政権が成立し、胡錦涛は「対日新思考」等を唱えることになるが、靖国参拝問題や日本の国連安全保障理事会の常任理事国入りを巡り2005年の大規模反日デモが発生する等、中国側の警戒感は強まるが、経済面では、引続き中国への主要投資国であった日本への配慮も示したことから、この時期の両国関係は「政冷経熱」と言われることになる。

 2009年の民主党鳩山政権は対中融和政策をとったものの、この政権は対米関係等で行き詰まり、結局野田政権時の尖閣国有化で対中関係が悪化、そしてこの著作で取り上げられる2012年以降の段階で、世界第二の経済大国となり、またリーマン・ショックからの一足早い経済回復で自信をつけた中国は、従来の「韜光養晦」外交から、覇権主義的外交に舵を切ることになるのである。この著作では、まさにこの政策転換が起こって以降の日中関係を中心とした、日本の外交政策についての課題が議論されていた。

 そこでのもう一つの大きな議論は、米国の対中姿勢であった。中国の覇権的性格が出始めたオバマ政権初期から、「アジア・ピボット」等、米国による軍事力のアジアシフトや日米同盟強化は言われているが、同時に米国側には、米中の協力関係を促す姿勢も見えたものの、トランプ政権になってからの2015年以降は、対中強硬路線に徐々にシフトしていくことになり、それが現在のバイデン政権でも持続・強化されている。そうした状況を踏まえ、著者は最後に「このような時期こそ、中国をただ批判し、敵対するのではなく、むしろコミットメントを強めて中国が平和的で、安定的な存在になるよう促すことが来停められる。」として、対日関係においても、「日本側も安保や領土では妥協せずに、かつ問題の拡大を防ぐ努力、可能な範囲での対話とルールづくりをしながら、他方で経済や非伝統的安全保障の領域では戦略的難点に基づく協力を惜しまない、という方向で行くべきであろう。」とまとめることになった。しかし、この中国のアジア地域での覇権主義的な動きは、新型コロナの拡大とそれに対する国内対応、更にはこの秋に予定される全人代での習近平主席3期目指名に向けての準備もあり、足元では動きも関心もやや薄れている。しかしコロナが収まった暁に、そうした動きが出てきた際には、今回のロシアによるウクライナ侵攻とそれに対する欧米日等の対応が、今後の中国の動きに影響を与えることが十分に予想される。地域秩序の現状変更を企てる動きは歴史の転換点で必ず発生する。そうした時代には、理想主義的な理念が全く現実政治の力を持たないことは十分に予想される。21世紀の「中華」を巡る問題は、この著作が刊行された2016年よりも益々複雑になっていることを痛感させられた、というのが、前著を読んだ際の私の感想であった。

 これに対し、この「姉妹編」は、やや趣が異なる。前著で議論されたような、欧米日本といった先進大国との外交という主戦場の陰で、ある意味目立たず繰り広げられていた中国外交の「ニッチ」的な動きと、それと共に政府だけの動きに留まらない「中華圏」としてのそうした地域への浸透を、2008年から2013年にかけて著者自身が現地に赴き目撃した姿から探っているのが本書である。そのため、まず著者が取り上げるのが、アフリカと中国との関係と、その例としてのマラウイによる中国との国交関係樹立と台湾との断交の読み解きである。そして続けてASEANとの関係を、ある博覧会への視察やミャンマー(そしてASEANには未加盟であるが東チモール)との関係に探り、最後に、大陸中国と台湾の最前線となってきた金門島の歴史と現在で締めくくることになる。

 2008年から2013年という時期は、上記のとおり中国が、リーマン・ショックからの一足早い経済回復で自信をつけ、従来の「韜光養晦」外交から、覇権主義的外交に舵を切った時期である。そうした中で、いわゆる「核心的利益」を強く主張する陰で、それ以外の「ニッチ的な周辺フロンティア地域」への浸透も企てるようになっていた。その一例がアフリカ諸国である。この地域へは、中国はまずアンゴラ、ナイジェリア、南スーダンのような産油国、そしてエチオピアや南アフリカ、ザンビアといった地域大国に焦点を当て、欧米とは異なる、経済合理性や人権などを条件としないチャイナマネーを提供することで関係を強化してきた。その結果、例えば著者が訪れたザンビアには、首都ルサカ近辺を始めとして、政府援助による「箱もの」に加え、中国人の経営する農園などに長期滞在する中国人コミュニティーが出現することになる。またその逆に、中国の広州等には、ナイジェリア、マリ、ギニア、カメルーンといった国からの人々を中心としたアフリカ人コミュニティーが出来ているという。

 こうした中国とアフリカ諸国との人的交流の増加は、確かに胡錦涛政権の末期に政府により奨励された側面はあったものの、それ以上に民間の人々による経済機会を求める流れの一環である。国内で食い詰めた中国人が「華僑」として海外に生活の場を求めるというのは古くからあった現象で、既に20世紀の後半には、南アフリカで水産資源等を漁りつくす中国漁民への警戒感なども耳にしたことがある。逆に、アフリカ人のアジアへの進出についても、例えば日本の歌舞伎町や六本木で、ナイジェリア人マフィアの存在感が強まっているといった報道が行われたこともある。ただ最近の中国の場合は、政府による「ニッチ諸国」との関係強化支援―そこではアフリカを紹介する雑誌「非洲」等も一定の役割を果たしているーを受け、よりその流れが強まっているということであろう。ただ、著者が報告しているように、双方の国で、こうした外国人コミュニティーが引き起こしている現地住民との軋轢も頻繁に発生している、というのも、ある意味どこの国でも見られる現象と言えるのだろう。

 中国のアフリカ進出の例として続いて紹介されるマラウイとの国交回復は、中国の台湾政策との関係も絡むことになる。中南米や太平洋諸国における、中国による、台湾との外交関係の切り崩し工作は、アフリカでも行われているが、その一例がこの2007年末のマラウイとの国交樹立とマラウイの台湾との国交断絶であった。これが国連での票固めと台湾に対する圧力を目的としたものであることは言うまでもないが、この例では、直前まで台湾との良好な関係を維持していたマラウイが何故突然「寝返った」のか、という経緯を追いかけることになる。もちろん、大きな要因は、台湾による経済支援が不十分であったところに中国が付け込んだということであるが、この転換後、中国からの経済援助も簡単に進まず、マラウイ側が不満を持ったことも報告されている。面白い例としては、中国が約束した医療支援が、中国側の医師の英語能力不足で遅れたといったものもある。そして中国からの安価な製品が現地諸産業と衝突する可能性や中国商人の不正摘発といった報告もあり、中国からの援助でマラウイの経済状況が大きく変化したという兆候も見られない。しかし、全体として見れば、中国の民主や人権といった「条件の付かない」援助は、欧米に対する牽制という意味でも現地政府にとって利用価値があったことは確かで、それが台湾側からの懸命な断交阻止努力にも関わらず、中国との国交樹立に向かうことになった大きな要因であった。

 著者の次の実地調査は、中国とASEAN諸国との関係に関わるもので、一つはこの時期毎年ベトナム国境に近い中国の南寧という街で開催されていた中国・ASEAN博覧会の調査報告。二つ目は中国とミャンマーの国境地域での「中国の進出」の実態調査、そして3つ目はASEAN未加盟ではあるが、域内新興国である東チモールでの中国の動向である。

 一つ目の南寧での中国・ASEAN博覧会は、2004年から始まったもので、両地域の「とりわけ陸路におけるつながりの象徴」として注目されたというが、著者の印象では、ASEAN側のブースは「食材、宝飾品、木工細工などといった”伝統的”な貿易品」中心の「中国人のための小売店」といった程度のもの、中国側は電子機器、建築材料等のブースもあるが、これらは基本的に中国系企業のための展示場という感じであったという。そして「全体としては中国側の展示物が大半」で「”観客”の大半も中国人」ということで、どちらかというと中国側の思い込みが強い割に、ASEAN側の関心は弱いという印象であった(因みにシンガポールのブースはほとんど閑散としていたという)。ただネットで検索してみると、この博覧会は最近では2021年9月頃に第18回が開催されており、そこでは「148の経済貿易イベントと博覧会の枠組みにおける26のハイレベルフォーラムが開催され、産業チェーンや生産能力、税関、衛生など多くの分野をカバーした。ASEAN以外の国々は「一帯一路」国際展示エリアに出展。特別協力パートナーのパキスタンをはじめ、日本や韓国、オーストラリア、ニュージーランド、フランス、イタリアなど30カ国の120社が参加した。」ということである。現在でも規模や参加国を増やしながら、それなりに盛況に開催されているようである。

 二つ目のミャンマーとの関係については、著者は、かつて援蒋ルートと呼ばれた両国の国境地域を視察しながら、現状を調査している。この時期、丁度ミャンマーが軍事政権時代に中国一辺倒であった外交を、民主化にともなって欧米寄りに修正したことで、大きな曲がり角を迎えていた。それを象徴したのが、中国が全面的に支援・建設を進めていたミッソン・ダムの建設中断であったことは知られている通りである。この中断は、地元住民の反対運動に加え、少数民族であるカチン独立軍と国軍との戦闘が激化していたことも影響していたと見る。そしてその結果として国境地帯での治安悪化やそれに伴う貿易の停滞が起こっているといわれていた。ただ著者が実査した限りでは、この当時はそうした動きにも関わらず、国境での両国の貿易はそれなりに行われていたという感触を伝えている。また「インド洋に面したシットウェー港を起点とし、昆明経由で中国南部に展開するパイプライン」の建設も進んでおり、著者もその資材と思われる円柱を積んだトラックも目撃している。このパイプラインは、ネット情報によると、天然ガスについては2013年に、石油については2017年に完成したとされている。中国にとっては重要なエネルギー供給インフラであるが、2020年のクーデター後は、このインフラは国軍の資産と見做され、民主派からの破壊工作なども行われているようである。クーデター後再び中国(そしてロシア)寄りに舵を切った軍事政権が直面する難しい課題の一つであると思われる。またこの地域は第二次大戦中、援蒋ルートを破壊しようとする日本軍と、蒋介石軍の激戦地であったが、当時の中国側の戦争遺跡が、「日本軍玉砕」の記念碑として観光資源となっているというのも、面白い報告であった。

 三つ目の東チモールと中国との関係は、まず中国の支援による首都ディリでの大統領府や外務省ビルといった「箱もの」で目につくことになる。言うまでもなく、この地域では依然としてオーストラリアやインドネシア、そして宗主国であったポルトガルの影響力が強いが、その中でASEAN地域の「ニッチ」としてのこの国に、中国も影響力を強めているようである。面白いのは、1999年のマカオの中国への返還後、このマカオが有していたポルトガル語圏とのネットワークを使い(「マカオ・フォーラム」)、東チモールのようなポルトガル語圏への浸透を行っているということ。ただ、伝統的に存在するこの地域の華僑たちも、特段中国の進出を支援するという感じでもなく、むしろ新たに中国から移ってきた新華僑には冷淡であるというのも、海外の中国社会が抱える問題であろう。日本も東チモールには様々な援助を供与しており、また知り合いの国連関係機関の職員が、独立直後のこの国に派遣・滞在していたように、日本側の支援もそれなりに続いている。こうした「ニッチ諸国」に対する西側諸国と中国のつばぜり合いは、静かにではあるが続いていくことになるのだろう。

 著者は最後に、馬祖島と共に、台湾領で、最も大陸寄りに位置する金門島の歴史をひも解いている。厦門の直ぐ横にある金門島が台湾領であり、1950年代の台湾危機の際には、大陸側から多くの砲弾が降り注いだ軍事最前線であったというのも良く分かるが、この島が最近では中国と台湾の交流の窓口となり、観光資源の開発も進められているという。ただ民主化後、台湾が本省人中心の政治姿勢を強めている中、この地域は台湾の中でも「周縁化」しており、そのアイデンティティと存立基盤の確立が急務になっているという。しかし私にとっては、昨今の中台の緊張が高まる中で、馬祖島を含め、この大陸近くに位置する台湾領の運命がどうなるかの方が興味深い。

 ということで、前作で中国の大きな外交の歴史を整理した著者は、この新書では、中国の「周辺部」への浸透を、自ら足を運び調査・分析することになった。後者は、ある意味、メディアで取り上げられる機会が少ないだけに、気が付いた時には、中国の影響力が圧倒的になっているという懸念もある世界である。しかし、他方で、ミャンマーのケースが示すように、その関係は当事国の国内情勢次第で大きく変わる可能性もあり、また東チモールのケースの様に、欧米日本と中国等を天秤にかけ、競わせるという相手国の姿勢も当然予想される。その意味で、やはり「周縁部」は、「周縁部」としての立場を利用しながら、大国との関係を利用する訳で、中国もそうした相手側の姿勢を念頭に対応せざるを得ないだろう。こうした地域への今後の中国の浸透を注意深く見る必要はあるが、それを過大評価する必要もないという感じを抱かせる著作であった。

読了:2022年7月29日