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中国
米中戦争 「台湾危機」驚愕のシナリオ
著者:宮家 邦彦 
 元外交官(1953年生まれ)で、現在キャノングローバル戦略研究主幹等としてテレビなどにも頻繁に登場している著者による、米中戦争の可能性をシナリオ分析の手法で検討し、米中戦争の抑止を模索した、2021年10月出版の新書である。ロシアによるウクライナ侵攻が始まる前に書かれていることから、この戦争が中国の政策決定に及ぼしている影響については考察の対象とはなっていないが、現在この問題を考える際には、進行中のこのウクライナ・ロシア戦争が中国や米国等の意志決定に与える影響は考えざるを得ない。そこで、ここでは著者のシナリオ分析を簡単にレビューしながら、ウクライナ戦争が与える影響についても考えることにしたい。

 まず、メディアで頻繁に目にする著者であるが、彼の外交官としての経歴はあまり目にしたことはなかった。本文中で自身の戦争体験が触れられているが、そこで、まだ若い頃の1980年、アラビア語研修でクウェートに滞在(その時イラクのフセインが、対イラン全面攻撃を開始した)したこと、そしてその後1982年から在イラク日本大使館や、2003年からのバクダッド陥落後の、そこに設置された連合国の占領機関への勤務等、中東の勤務が多いことを知った。その後もイラク大使館や中国大使館で公使も務めており、外交官としては亜流を歩いてきたようであるが、その分危機の経験は豊富である。

 そんな著者による米中戦争のシナリオ分析であるが、基本的な構造は、中国と米国、そして台湾の危機対応を4つの類型に分け、その組合せで、発生しうる状況を分析するものである。その4つの類型は以下の通りである。

(中国)
@ 台湾への全面侵攻・占領
A 金門・媽祖への侵攻・占領
B 南シナ海離島への侵攻
C 対台湾への軍事的威嚇
(米国)
@ 全面的な台湾防衛
A 可能な範囲での台湾防衛
B 条件付き対中妥協
C 対中衝突の回避
(台湾)
@ 台湾独立を志向
A 現状維持に努力
B 日米支援なく妥協
C 中国側に全面譲歩

 この類型をマトリックスとして組み合わせながら、夫々のケースのリスクや戦争の抑制可能性を検討することになるのであるが、割いている説明の多さに比較して、結論は、著者も認めているとおり常識的なものである。当然ながら、中国の対応については、@―Bまでで緊急度の差はあるが、侵攻する場合のリスクは高い。それに対し、米国側は、@―Aはガチンコ対応であることから、中国がそれに@−Bで対応する場合は、戦争の可能性が高まる。他方、台湾側の対応としては、@はどんな場合でも中国の過剰反応を引き出すこと、またB―Cは余程のことがない限りは起こり得ないであろうことから、結局Aを取らざるを得ない。そうであれば、結局現状維持を前提に、その均衡を破るその他の組合せが発生した際にどうするか、というのが根本的な課題ということになる。それ以上にはこのマトリックス分析が示唆するものはない。

 著者は、別に「脅威=能力(手段×機会)×意図(目的×動機)」という発想から、夫々の関係者の、その他の定性的な要因についての解説や、戦闘の形態からの「グレーゾーン事態」と「ハイブリッド戦争」の可能性、そしてその具体的手法・戦法としての情報戦やサイバー戦、ドローン戦等々について触れているが、その辺りは戦争が発生する場合、当然念頭に置かざる得ない項目であることから、ここでの検討は省略する。

 こうした分析は、しかし、今回のロシアによるウクライナ侵攻とその後の戦況の展開を見ると、もう少し違う見方ができるような気がする。上記の著者の議論を参照しつつ、ロシアによる今回の侵攻について考えてみたい。

 まず、「脅威=能力(手段×機会)×意図(目的×動機)」という見方であるが、今回のロシアの侵攻は、能力や意図といった要因は、指導者(プーチン)の判断次第で、簡単に戦争開始に至ることを示すことになった。また興味深かったのは、今回の侵攻については、事前に米国側からその可能性が国際社会に明らかにされたにも関わらず、それを抑止することができなかったことである。もちろん、その背景には、プーチンが、戦争への勝利や、その判断についての国民の支持、あるいは米国を始めとした国際社会のウクライナ支援について楽観的な展望を持ったことがある。しかし、実際には、ロシアによる戦争の勝利は簡単ではなく、また国際社会のウクライナ支援も予想以上に強かった。他方、国内の国民の支持については、報道統制等により、現在に至るまではそれなりに成功してきていると思われる。そう考えると、戦争開始の判断や、その後の具体的な戦略・戦術は、全く状況次第であると言わざるを得ない。また今後、何時、どのような形でこの戦争が終結するかは、現状全く見えていない。

 こうした見方を、中国の台湾侵攻に当てはめてみると、まずは、戦争開始事態は、「能力と意図」についてどんなに憶測をしても、起こる時は起こる、と言えそうである。ただ、「能力」については、どんなに中国側の戦力が台湾+米国(+支援国)を地域的には上回っているとしても、台湾は、ウクライナとロシアの様に陸続きではないことから、台湾本土への上陸は、中国側にとってはより大きな困難が予想される。それを前提として戦争開始の判断を行うには、中国指導部もそれなりの覚悟が必要であることは間違いない。

 中国側の侵攻範囲については、ロシアが、まず2014年にクリミアを併合した後、8年を経て今回ウクライナ本土を攻撃したのが参考になるが、クリミアと金門・媽祖、あるいは南シナ海の離島とは、そこでの民族構成や戦略的な地理的重要性が全く異なる。中国が、台湾や米国の反応を無視して人口過疎な離島に侵攻するか、そしてそれにより実際に台湾あるいは米軍がどのような対応を行うかは不透明で、恐らくそうしたリスクを冒すという判断は現状での中国にはないであろう。

 また米国を始めとする台湾支援国の「支援」であるが、ウクライナ侵攻のケースでは、米軍を始めとするNATO軍は、ロシアとの直接戦争を避けるために、ウクライナへの支援は武器の提供や戦闘訓練に留め、後は経済制裁といった非戦争的手段に留めている。これは恐らくは台湾のケースも同じなのだろう。ただ中国と台湾の圧倒的な戦力差を考えると、本当に台湾本土上陸を含めた全面戦争が始まる場合にどうなるかは予想がつかない。少なくとも米国側は、そうした直接介入もあり得るということを示唆することで、中国側を抑止するという対応を取るしかないのであろう。

 いうまでもなく、先般のペロシ議長、そしてその後の米国議会関係者の台湾訪問を受け、中国側は、足元抗議のための大規模な軍事演習を続けている。米中間の緊張は、著者がこの新書を出版した時期よりも高まっているのは間違いない。しかし、中国が、ロシアのウクライナ侵攻とそれに対する欧米の支援状況を詳細に眺め分析していることは間違いない。この秋の共産党大会を習近平が乗り切った後に、台湾問題でどのような対応を示すか、そしてそれに対し米国、あるいは日本がどう対応するか?著者のシナリオ分析はそれなりの分析の基盤は提供するが、実際の展開は、こうした分析を越えたものになるだろうと想定される。それをどう抑止するか。これから数年がそれこそ正念場であることは間違いない。

読了:2022年8月15日