中国人民解放軍の内幕
著者:富坂 聰
この1964年生まれの在野のジャーナリストについては、名前は以前から耳にすることはあったが、著作を読むのは初めてである。北京大学への留学を生かした中国レポートで多くの著作があり、この人民解放軍(以下「解放軍」と略す)に焦点を当てた新書も、その詳細な分析を含めた力作で、2012年10月という10年前の出版の割には古さを余り感じない。むしろこの当時著者が指摘し、又は警告していた問題が、10年経過して益々リアルに感じられる状態になっているという気がする。そうした著者の論点を以下でまとめておく。
米国の対中戦略強化を目的とするアジアシフトから10年、ペロシを始めとする米国議員団等の頻繁な台湾訪問により、この地域の緊張が、その頃以上に高まっていることは言うまでもない。こうした中で、著者はまず、解放軍が空母を始めとする海軍力の強化に取り組んできた意味と実態を説明している。
これについて著者は、こうした海軍力の強化により「それを繰る現場が自信を深め、海上での行動がこれまで以上に大胆になることが予想される」が、実際の戦闘でそれが攻撃力の増強につながるかは疑問だと述べる。原潜が日本の近海に展開され、何時でも核ミサイルを撃ち込むことができる現状から脅威の最大値に変化は起きない。そして日本(あるいは台湾その他ASEAN諸国)と中国の距離を考えれば、あえて空母を増強してもあまり意味はない、という海上自衛隊幹部の見方も紹介されている。
それにも関わらず、中国は2000年以降、この海軍力の強化を明らかな方針として、「遠洋での艦隊運用(ブルー・ウォーター・ネイビー)」に予算を投入してきた。著者はケ小平の指示による1982年以降のこの動きを整理すると共に、中国最初の空母「遼寧」(ウクライナから購入した「ワリャーグ」を改造)の2012年9月就航までに起こった様々な曲折を説明している。その後、現在までに「山東」(2019年12月就航)、「福建」(2022年6月)と二隻の国産空母を投入、現在も2隻が建造中とされている。米国の空母に比較してまだ能力では大きく劣り、予算的にも大きな負担となるこうした動きについて、著者は、中国が「接近阻止・領域拒否戦略(米国の命名)」を進める上で、一定の効果があるとして、この時期以降活発になる所謂第一列島線内部での中国の動き、就中2010年9月に発生した尖閣諸島沖漁船衝突事件に際して中国側で回付されたという、対日強硬論を唱える「機密」内部文書等を紹介している。他方で、南シナ海に比較して、東シナ海の海洋資源は限られているということが分かってきたことが、日本近海でのこうした動きを抑える要因になっているとも言われる。ただ最近の台湾を巡る緊張は、こうした中国海軍の戦略変更とそれへの評価を改める必要を促しているように思われる。
次に著者は、「党の軍隊」である解放軍の、所謂「シビリアン・コントロール」の実態を分析している。ここのポイントは、軍に関わる政治組織の筆頭である「中国共産党中央軍事委員会(軍委)」で当然主席は、現在は習近平である。ただこの著作時点では、11人の委員のトップ2名(胡錦涛、習近平)が非制服組であったが、2017年以降は委員が7名に減らされ、非制服組は習近平一人になっている。この党と軍の関係は、毛沢東以来多くの変遷を経てきており、著者はそれを踏まえつつ、現在の指揮命令権の実態を以下の様に説明している。即ち、平常時は軍委弁公庁という、ある意味企画部的な組織が対応を仕切っているが、実際の戦時になると陸軍総参謀部に実権が移るという。そしてその総参謀部の権限はこの著作の時点まで、年々強化されてきた。まさに「解放軍=陸軍=総参謀部」という特徴を持っているという。
他方、「軍の暴走」を抑える仕組みは、どの時代もどの国でも試行錯誤が続いてきた。現在の中国で、これを担う組織が、軍委弁公庁と別に党に設けられた中国共産党中央弁公庁(中弁)と呼ばれる組織で、基本は軍幹部のスケジュール管理を中心とした「秘書的」業務であるというが、実際の職権は幅広く、機密情報に接する機会が多い他、自らの軍隊も持っているという(この組織が、1976年の、江青を始めとする「4人組」逮捕を主導したという)。温家宝等もこの組織のトップ(主任)を務める等、出世街道の一端を担うが、その後は、失脚した令計画もこの職に就いていたこともあるので、それは時の運ということでもあろう。現在の主任は丁薛祥(ていせつしょう)という、あまり聞いたことがないが、習近平の側近といわれる人物が就いている。このあたりは、もちろん習近平もぬかりのないところであろう。その他、軍委の直接の指揮下にある特殊部隊として「三軍に加え、ミサイルと核兵器を専門に扱う」「二砲」という部隊や、四川地震の出動で名を上げた「十五軍」等が紹介されているが、詳細は省く。
続いて、今や巨大な利権と化した軍系企業の実態、そしてサイバー空間や宇宙空間での戦いといった新たな競争への対応と、そこでの関連軍系企業の暗躍といった問題が指摘されるが、これもその後十年で益々、良きにつけ悪しきにつけ、更に進んできている課題である。
こうした解放軍の進化が、まさにこれからの台湾情勢やそれを契機とする日本との緊張の激化に際にどう表面化するかは、常に注意して見ておかなければならないだろう。著者が指摘している通り、中国軍の弱点は、半世紀前の朝鮮戦争以来、大国との実戦経験がないこと、特に最新鋭兵器を使用した実戦経験がないことであるが、他方で、従来から有する人海戦術や、近代戦の中でもサイバー戦等で有する優位は間違いなく脅威であろう。日本としては、米国の傘の下で、外交を通じてこの脅威が実際の軍事衝突に至る事態を避けるしかないことは言うまでもない。今後も続く中国の軍備拡大が、どこかの時点で地域平和の破綻をもたらすリスクは常に念頭に置いておかなくてはならないだろう。
読了:2022年9月3日