ノモンハン 責任なき戦い
著者:田中 雄一
ノモンハンの戦いは、大戦末期のインパール作戦と共に、アジアにおける日本軍の無謀な戦争として歴史に残っている。このノモンハンは、何故膨大な損害を出しながら、その後の日本軍の作戦に教訓を残せなかったのかを、NHKの番組(2018年8月放映)制作のため取材したディレクター(1979年生まれ)が新書にまとめたもので、2019年8月の出版である。
そもそもノモンハンは、中国とモンゴルの国境地帯に広がる広大な草原地帯で、当時の満州国とソ連の間で国境線が曖昧であったことから、1939年、ここでの戦闘が発生し、日本側がおよそ2万人、ソ連側が2万5000人の死傷者を出した。単純に死傷者数だけで見ると日本が優位にあったように思えるが、実際には「歩兵中心の軽装備で戦いに臨んだ日本に対し、ソ連は最新鋭の戦車や装甲車など近代兵器を大量に投入し、日本を圧倒」。その結果、「日本軍は自らが主張する国境線を守れないままに後退、作戦目的を達成することができなかった」という。更に、この「国軍未曾有の不祥事」は軍部によりひた隠しにあれ、細心の注意を払ってこの「敗北」の事実が国民の目に触れないようにされたという。そしてこうした初期の国軍の対応が、その後の大戦全体を通じて貫かれ、その結果アジアではインパールという同様の悲劇をもたらし、そして大戦自体も悲劇的な終焉を迎えることになったのである。結果論ではあるが、まさに日本軍の司令部を含めた「無責任体制」の象徴であると共に、そこで被害者となるのは末端の兵士たちである、ということを象徴する事例として、著者は、膨大なこの戦闘の記録を読み解き、そこで生き残った兵士たちへの取材を進めることになる。
この戦闘での主要登場人物は、まずは関東軍。幹部は、満州事変を主導した石原莞爾や稲垣征四郎であるが、実際の作戦を率いたのは服部卓四郎(当時38歳)や辻政信(当時36歳)といった、強硬派の若手エリート将校達であった。特に、私の関心は、その後シンガポールに移り、インパール作戦にも関わり、そして戦後は3年に渡る逃避行の末帰国し、衆議院議員を務めたが、最後はベトナム戦争下のラオスで失踪した辻の役割である。他方、ソ連はスターリンやジューコフである。
この時期、関東軍を含めて日本軍全体の指揮をとっていたのは東京の参謀本部であり、彼らは、日中戦争に戦力を集中させ、この地域で侵攻することはないと判断したソ連を刺激することは極力避けるよう、関東軍には指示していた。それにも関わらず、辻らの前線が、それまでにも小規模な衝突が発生していたこの地域のソ連軍に対し、決定的な打撃を与える必要を主張し、独走していったということになる(半藤一利は、その著書「ノモンハンの夏」で、辻を「絶対悪」と呼んでいる!)。他方、スターリンも、東でのドイツの脅威が高まる中、当方での日本との本格的戦闘は回避したいと考えていたが、水面下で進んでいたナチス・ドイツとの不可侵条約交渉も踏まえ、必要あればそれなりの戦力を当方に投入させる余裕が生まれていた。そしてこの年、この戦線での指揮を引継いだジューコフの依頼を受け、当時の先端兵器をこの地域に送り込んでいたのである。この情勢を読み誤り、十分な戦力を欠いたまま本格的な戦闘に突入した辻らの判断が、この戦争での決定的な勝敗を決める要因となったのである。
こうして1939年7月、第二次ノモンハン事件での戦闘が開始されるが、それはまさに「悲劇の幕開け」となる。40度を超える酷暑の中での歩兵を中心とした日本軍の戦力は、ソ連側の戦車を核にした先進部隊に徹底的に叩きのめされることになる。そしてソ連の攻勢が強まる中、西ではソ連とナチスの不可侵条約締結が発表され、その3日後、ドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が開始される。またその直後にソ連側からノモンハンでの停戦交渉の申し入れがあり、妥結。しかし、その数日後、ソ連も西方でポーランドへの侵攻を開始するのである。まさに日本は膨大な犠牲を強いられた上、ソ連の欧州戦略のために、見事に手玉に取られたということになる。
全ての戦争がそうであるが、この戦争の実態も悲惨な限りであり、山のような死者に加え、「無断撤退」したり、ソ連の捕虜になり、その後捕虜交換で解放された前線士官に対する自殺強要、そして彼らやその家族に対する戦後も続いた差別など、はっきり言って、読むだけで不愉快、不快である。それに対し、服部や辻らの前線参謀は、一旦責任を取らせられる形で退役させられるが、彼らは1年も経たず参謀本部へ復帰し、その後の大戦で同じ失敗を繰り返すことになるのである。
司馬遼太郎や村上春樹等も取材したり、イメージ喚起に使ったりしており、また前述の半藤の著作を含め、今までにも多くの報告がなされているこの戦争の意味合いは、ここで再認識させられることになった。またそこでの辻の役割や、それにも関わらず彼が参謀本部で出世し、その後の大戦で多くの災禍をもたらしたにもかかわらず、戦後は議員として復活した、という「日本的風土」の問題等、この戦争を巡る論点は多岐に渡る。先日、やはりNHKスペシャルで放映されていた、しかし私の期待と異なり、むしろこの戦闘での敗戦後の、当時のビルマでの敗戦処理(敗残兵を残しての参謀たちの逃亡等)主体の紹介であったインパール自体についても、機会があればその詳細を観ておきたいと感じたのであった。
読了:2022年9月11日