沈みゆくアメリカ覇権
著者:中林 美恵子
(この著作は米国論であるが、米国の対中姿勢も大きな論点となっていることから、ここに掲載することにする。)
これまた、メディアに登場する機会の多い、米国についての政治学者による、2020年10月出版の新書。2017年1月就任のトランプ政権4年間を経て、2020年末の大統領選挙を控えた時期の出版ということで、そのトランプ政権の評価と次の大統領選挙の予想を中心に、米国の内政・外交の現状と今後を展望している。その大統領選挙については、その後民主党が政権を奪回しバイデン大統領が就任、そして現在はこの秋の中間選挙まで進んでいるので、既に結果が分かった上で読むことになるが、それは別にして、米国内政・外国の最近の大きな流れについては、現在もそれほど大きく変わっている訳ではない。1992年から10年、日本人として初めて米国連邦議会・上院予算員会共和党スタッフとして勤務した経験と、その際に築いた米国内での人間関係を通じた情報を駆使しながら、そうした米国の流れを分析・解説している。
既に、オバマ民主党政権時代から、「世界の警察官」を止めることを宣言していた米国は、トランプ共和党政権で、そうした流れを更に加速することになる。トランプが、現在も相変わらず叫んでいる「ⅯAGA(Make America Great Again)」は、米国孤立主義への回帰であり、「世界の警察官」として多額の予算を使用する中で傷んだ米国そのものの国力を、国内優先の政策を重視することで取り戻そうという宣言であった。このトランプの政策は成功したのか?
著者は、トランプ個人のスタンドプレイ的行動には眉をひそめながらも、法人税減税の実現等を通じた国内経済優先の政策や、それを遂行するために、同盟国との協調にヒビを入れながらも、関係国に対し個別交渉を通じて各種譲歩を迫り、その結果として失業率や株価の回復をもたらした結果をそれなりに評価している。他方、政策の基盤にあるイデオロギーや価値観については、民主党の基盤である各種マイナリティや若者ではなく、白人中間階層を対象にした保守的姿勢をより極端に推し進め、その結果として、既に民主党政権下で現れていた国内の分断を更に推し進めることになったことは言うまでもない。また「知性よりも感情を露にする」トランプの振舞いは、一方で彼に対する熱狂的な支持者を増やすことになったが、同時に前回選挙で彼の大きな支持基盤となったキリスト教福音派(ペンス元副大統領は、その敬虔な信者である)のトランプ離れや、共和党内でも有力議員による批判的な姿勢を強め、それが今回のトランプによる2024年大統領選挙再出馬宣言に対する冷ややかな党内の反応の源泉となったことも、現在から見た彼の政権の負の遺産である。
この新書出版時点で目前に迫っていた2020年秋の大統領選挙は、バイデンの民主党が、僅差でトランプの共和党に勝利して政権を奪還した訳だが、その選挙については、トランプが「不正」を理由に敗北を認めず、彼の支持者が連邦議会に暴力的に侵入するという前代未聞の事態を引き起こしたことは言うまでもない。著者は、その時点でも僅差で競り合っていたこの選挙の行方についていろいろ推論しているが、これは今となってはあまり見ていく必要はない。ただ著者が指摘しているように、1970年代以降の米国大統領選挙で、現職が一期4年のみで敗れたケースは、カーターとブッシュ(父)のみで、彼らを破ったのは「現職大統領に挑戦し、現状変更を訴える立場」であるワシントンの「アウトサイダー」であったのに対し、今回は、僅差での勝利とは言え、バイデンという筋金入りの「インサイダー」であったというのは珍しい。もちろん新型コロナ対策の軽視という要因もあったとは言え、やはりトランプ個人の資質に対する多くの関係者の不満があったことは間違いないだろう。ただ、この著作の時点では仮定に留まっていたバイデン民主党の国内向けの諸政策―気候変動対策、人権問題に関わる警察・司法改革、オバマケアに象徴される医療保障改革、移民対策等々―は財源問題もあり、国内の分断を強めることになろう、という著者の指摘があるが、その後のバイデン政権の下でこれらへの具体的対応で余り進展が見られないのは、まさにこうした国内での論争が主因であると思われる。
他方で、外交面では、バイデンによる先進国関係の修復と、中国に対する強硬姿勢は、それなりに実現してきていると言える。後者は、オバマ政権後期に始まり、トランプ政権を経て、今や特に議会で民主党、共和党を問わない共通認識になっていることは著者の指摘を受けるまでもない。米中貿易摩擦に始まり、コロナ問題を経て、中国の覇権主義的動きや習近平独裁強化を受けた安全保障問題に至るまで、中国に対する警戒感増大とそのための「包囲網」強化は、ウクライナ問題でのロシアへの対応も加え、前者の先進国関係の改善をも促すことになっている。トランプ時代は、対中国関係はより経済的利益を求める傾向があったことも確かであるが、それは今や安全保障全般に関わる問題として捉えられる状態になっている。そして「日米関係はアメリカの対中政策抜きには語れない」という著者の指摘もその通りである。但し、バイデン政権は、日本やドイツ等に対し、トランプのように露骨に米軍駐留経費問題を指摘することもなく、他方、中国に対しては先般の一連のASEANでの会議で見せたように、習近平とも久々の対談を行う等、緊張の高まる台湾問題への対応では平行線を辿りながらも、少なくとも偶発的な事態が発生することには細心の注意を払っているように見える。その意味では、日米関係は、少なくとも最近では最も安定していると言えそうであるが、日本もそれに配慮し、防衛費積み上げ等によるそれなりの自助努力を見せなければいけないのだろう。そして著者が最後に指摘している通り、「アメリカが最も重要な同盟国である限り、かつての唯一の覇権国を沈ませすぎることがないよう、日本も努力していかなければならない」のは確かである。
著者は、去る11月21日付の日経新聞に、今回の中間選挙を受けた最新の米国情勢についての解説を載せている。この選挙では、当初の予想を覆し、上院では民主党が多数派を維持、大敗が予想されていた下院では共和党が多数派を奪還したものの、その差は僅かに留まることになった。中間選挙は、政権与党に不利という傾向であったが、結果はバイデン民主党が健闘したという評価になっている。ただ著者によると、中間選挙で下院の多数派が交代するというのは実はそれほど多くなく、1858年まで遡っても18回にとどまり、戦後に限っては8回だけであったという。この結果について、著者は、「僅差であれ、共和党が下院多数派を占めることになったのは大きな権限シフト」としながらも、「議席差が非常に小さいことと大統領府や上院が民主党に占められるという逆境」は過去にあまり例のない状況だとする。その結果、米国の政権運営は、以前にもまして両党間でのギリギリの交渉が予想されると見ている。
その際のポイントは、まず多数派である下院共和党の議長就任が有力視されているマッカーシー院内総務の指導力である。現在の共和党内の主流は、依然減税と緊縮財政を主張するトランプ派を含めた保守強硬派であることから、12月中旬に期限を迎える予算のつなぎや2023年7月に期限を迎える債務上限問題、あるいはバイデンの息子の海外ビジネスを巡る疑惑、混乱したアフガン撤退の経緯調査、不法移民急増問題、トランプ邸家宅捜査の是非、更には新型コロナでの中国・武漢の発生説調査といった問題で、マッカーシーが党内の保守強硬派をどうまとめられるかが焦点になるという。そしてマッカーシー自身は、ウクライナ支援について「白紙の小切手を書くことは不本意だ」と、党内保守派に配慮した慎重な姿勢を取っているのに対し、共和党上院トップのマコネル院内総務は、今年(2022年)5月にキーウを訪問し、ゼレンスキー大統領と面談、「この戦争が米国の安全保障と戦略的利益の未来に影響する」と述べる等、共和党内でも感触は分かれているという。バイデンは中間選挙後直ちにマッカーシーに電話を入れ、今後の協力を要請したというが、勢力均衡する議会を中心に、「党派を超えた新しい協力スタイルを創り出せるか」が、「(今後の)世界にも影響を及ぼす可能性がある」と結んでいる。ただ、対中国については、文芸春秋9月号で、駐日大使エマニュエルも述べている通り、米国による中国不信は根強く、党派を超えた米国の姿勢になっていることは確かであり、この中間選挙の結果を受けても大きく揺るぐことはないと思われる。
ということで、この新書は、頻繁にメディアに登場している著者の基本的視点を示した著作になっている。著者が、今までの経験と人脈を生かし、米国の動向についてはそれなりの見識を有していることを確認することができたのであった。
読了:2022年11月23日