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アジア読書日記
中国
わが敵「習近平」
著者:楊逸 (ヤン・イー) 
 2008年9月(ということは、私のシンガポール赴任直後で、リーマン・ショックの開始時期である)に外国人として初めての芥川賞を受賞した著者による2020年6月出版の「反中国論」である。芥川賞を受賞した「時が滲む朝」は、1989年の天安門事件を背景に、それに参加した反体制派の人々のその後の生態を描いた、たいへん刺激的な作品であったが、その後の彼女の作品には触れる機会がないままであった。しかし本作では、小説ではなく評論の形で、ちょうど新型コロナが中国武漢から発生した直後の状況を踏まえながら、中国の現状を論じている。そこで展開されている議論は、典型的な中国に対する批判で、新鮮味はないが、文化大革命で辛酸をなめた著者の個人的な体験も踏まえた、たいへん説得力のあるものになっている。

 新型コロナの感染拡大についての中国の責任から始まり、今回の感染拡大は、中国が開発したこの細菌兵器を使った、米国その他先進国への攻撃であったという。しかし、それが中国国内でも深刻な被害を拡大したことで、習近平政権は国内の情報統制を強化し、感染情報を操作すると共に、地域封鎖等の強硬策を取ることになった。こうした事態は全て習近平率いる中国共産党の一党独裁の結果であり、この体制が覆らない限り、中国の体質は変わらない、というのが著者の基本姿勢である。そして改めて、文化大革命時に著者とその家族が被った悲惨な体験を説明しながら、同じことが現在でも新疆ウイグルや香港で繰り返されているとするのである。

 こうした議論は、中国批判の典型的なものであるが、この本が興味深いのは、中国共産党内での権力闘争を、中国人としての著者が持つ情報源に基づき説明している部分である。江沢民派、胡錦涛派の抗争を利用した、習近平による権力掌握。そうした中で、2014年に米国に事実上の亡命を行った中国の大富豪、郭文貴という男の暴露情報についての説明は、私も初めて聞くものであり、たいへん刺激的である。失脚した中国情報機関のトップであった馬建という男の親友であった郭は、馬の持つ情報も託されたようであり、当時習近平のNo2であった王岐山等の腐敗の数々を暴露しているという。他方で、もちろん政権側も、便宜、金そして色を使い(「BGL―Blue/Gold/Yellow」作戦)、国内外の敵を懐柔することも行っている。新型コロナについてのWHOのテドロスの中国寄りの姿勢もその成果である。ファーウェイやアリババ等の情報を使い、国内監視体制を強めているというのも、良く聞かれる議論である。その結果として「現代中国は悪賢くないと生きていけない社会」になっているが、著者はそれでも中国人に対し、そして日本人や国際社会に対しても、こうした中国共産党の本質を見誤らず、敢然と対応していくことを願うのである。

 芥川賞受賞後の著者の活動については全く関心を払ってこなかったが、中国に見切りをつけて日本に帰化した著者が、自らの体験を踏まえてこうした主張を行っていることに対しては強い共感を覚えるものである。ただ他方で、間違いなく著者は中国当局の「要注意人物」リストに入ってきているだろう。中国反体制運動家の多くが、海外でも共産党の魔手の犠牲になっていることを考えると、今後著者の身辺にもそうした危険が及ばないことを切に願っている。

 以下、参考までに、著者の芥川賞受賞作についての、2008年時点の読後感を再録しておく。

 時が滲む朝                     著者:楊逸(ヤン・イー)
                           読了:2008年9月25日

 第139回芥川賞受賞作品。ここのところの芥川賞は平野敬一郎を除けば、はずればかりであったが、今回の作品はなかなかであった。もちろんそう思える理由の大部分は、作者が中国人で、しかも22歳の時に初めて来日し、それから日本語学校で学習した日本語で書いた小説であるということが大きいことは間違いない。そしてテーマに関しては、おそらく別に多くの「プロ」によるそれを扱った作品があるのであろうが、個人的には、「天安門事件」とそれに関わった青年たちのその後を追いかけた初めての作品であったことも、印象を強くしたのである。

 作品以前に、作者の経歴が、やはり印象的である。ハルピンの知識人家庭に生まれながら文化大革命で家族が北方の僻地に「下放」され、零下30度で、暖房も十分に取れない家に住み、荒地の開墾に従事する父と、食事ひとつにも苦労する母を眺めて育つ。小学校1年でハルピンに戻るが、生活は苦しく、また人民の敵というレッテルで差別扱いを受ける。ハルピンの大学時代に、ようやく日本への留学のビザが降り、1987年、22歳で来日。多くの中国人と同様に日中、歌舞伎町の日本語学校に通いながら、夜は徹夜でアルバイトに精を出す。1989年、民主化運動の高まりを知り、いったん中国に戻るが、滞在中に天安門事件の発生を知り日本に戻り、お茶の水大学に入学。入学前に、アルバイト先で知り合った日本人と結婚するが、卒業後、中国の新聞社に勤め文芸欄を担当している間に関係が冷え込み離婚。二人の子供を抱え生活に追われる中で日本語の小説を書き始め、最初の作品「ワンちゃん」で文学界新人賞を、そして今回芥川賞を受賞するに至る。まさに活字離れに苦しむ文壇の「救世主」のような経歴である。同時に中国人のしぶとさを絵に書いたような経歴である。

 さてそれは別にして、作品に入っていこう。大学受験に臨む、秦都に近い東林鎮に住む二人の青年が主人公である。中国での受験制度を垣間見るイントロ。主人公の父親は、北京大学に入り、将来のエリートを夢見ながらも、知識人として下放され、肉体労働に従事するという、作者の家庭をモデルにした設定。そうした二人が、そろって秦都の秦漢大学に合格し、希望に満ちて中国文学科での大学生活を始める。米国留学を目指す先輩との関係や、他の旧友との文学読書会サークルの結成など、誰かの大学生活と似たような日々が語られる。初めて聞いたテレサ・テンの歌が、革命歌しか知らない彼らに怪しい誘惑をもたらす。

 民主化運動の盛り上がりが、彼らの生活を一変させる。人気教授である甘先生が集会のアジテーターとして登場し、その横に若い女学生が付き添っている。「愛国」のための民主主義運動という理想と、女学生への思慕が混じり合いながら、運動に関与していく二人は、甘先生や女学生の英露らと天安門に集結する。

 いったん自分たちの大学に戻った彼らに届いたのは、「装甲部隊が天安門広場に突入した」という知らせだった。自制を呼びかける甘先生。しかし不満が高まる二人は、偶々町で飲んでいる時に、隣り合わせた労働者と、運動の理想と、生活者の現実を巡り口論となり、喧嘩を起こし、その結果退学処分が下される。希望が潰えた二人。甘先生と共に、英露も、天安門で着ていたTシャツを二人に残し行方不明となる。物語は、それからの二人を追う。その一人浩遠は、結婚した妻の縁で日本に渡り、「中国民主同志会日本支部」に参加し、肉体労働の傍ら、民主化運動の集会に参加する。もう一人の志強は中国に残り、アルバイトの傍ら、デザインの勉強を始める。浩遠の日本への出発にあたって、志強から尾崎豊のテープが贈られる。

 浩遠の日本での民主化運動は、次第に愚痴の捌け口だけの場となり、そのメンバーの何人かは巧みにビジネスを見つけ儲けていく。彼は二人の子供が、日本人として成長していくのを複雑な気持ちで見守る。そんな中、民主化運動を通じて、天安門後消息が途切れていた甘先生がパリにいることが分かり、連絡が取れるようになる。中国語の編集員として生活は安定してきたものの、香港の中国返還反対や、北京五輪反対といった民主化運動のお題目は実効性を失っている。Tシャツのデザイナーとしてそこそこ成功した志強の来日。そして2001年には、甘先生が来日し、11年ぶりに再会する。成田の通関出口で出会った甘先生には子供を連れた西欧風の女性が付き添っていた。英露であった。フランス人と結婚し、パリに渡ったが、離婚し、偶々再開した甘先生と同棲し始めたというのである。先生と語り明かす浩遠。しかし、これから中国に戻り、小学校の教師の仕事を探すという、かつて憧れた恩師は、寂しそうに、彼が中国に残した息子からの手紙を浩遠に見せながら泣き崩れるのであった。彼の妻が息を引き取った直後に書かれたその絶縁の手紙には、家族を捨てた人間に国が愛せるのか、と書かれていたのである。先生と英露の乗った飛行機が成田を飛び立つのを眺めながら、彼は故郷を思うのであった。

 我々から見ると、新たな知識への渇望という同じ衝動を持ちながらも、その対象は余りに幼稚であると感じざるを得ない主人公たちの大学時代。しかし、情報統制が行なわれている社会では、それが実際の姿であったのだろう。しかし、彼らが希望をなくしたのは、運動が直接の原因ではなく、一般労働者との酒が入った席でのただの喧嘩のためであったというのは、話の展開としては余りに寂しすぎる。学生運動への共感や、その後の日本での生活も、我々から見ると、余りに成り行きまかせで、思想的にも未成熟さを感じざるをえない。

 しかし、そうした我々から見た主人公たちの幼稚さはあるものの、天安門事件をきっかけに世界各地に逃げた活動家たちのその後の苦労は想像できる。そして特に2000年代に入り、中国が急速な経済発展を遂げると、益々彼らの存立基盤がなくなっていったことは間違いない。こうした中で、ここに描かれているような個人レベルでのドラマも、多くの光があたることなく静かに繰り広げられていたのであろう。そうした世界を、新たに習得した日本語で表現した著者の熱意は、確かに評価されるに値する。久々に、この賞の受賞作品を読んで、目頭が熱くなる経験をしたのは、私自身が今、日本を離れたアジアの地で、一人で生活しているというだけの理由からではなかったと思う。

読了:2023年1月22日