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アジア読書日記
中国
中国の行動原理
著者:益尾 知佐子 
 1974年生まれで、エズラ・フォーゲルの下で助手を務めた経歴も持つ中国研究者による、2019年11月出版の新書。丁度、新型コロナ感染拡大の直前であることから、その問題や、それ以降のロシアによるウクライナ侵攻とそれを受けての中国の対応、そして何よりも米中関係の急速な悪化等には触れられていないが、歴史的な考察も踏まえた中国の外交手法についてのそれなりの考え方を理解することが出来る。

 著者の基本的立場は「内政理論」であり、「国内におけるレジーム・セキュリティ(体制の保全)への考慮こそが、中国の対外政策の主たる決定要因だ」と考える。ただ隣国日本が中国への対応で戸惑う「中国がある特定の決定を下したとき、中国でなぜそれが大きなうねりとなり、政府から距離のある人々までがなぜ主体的・積極的に参入していくのか」という視点から、中国共産党の統治体制という固有要因を加えた分析を行うことになる。

 冒頭、著者は、現代中国の世界観に、@中華帝国として2000年近く続いてきた「階層的、重層的な世界秩序」が、近代に至り列強の圧力で解体された「喪失感=被害者意識=陰謀論」、そしてA国力が回復してきた現在、「道徳的な優位性や、文化の力で世界からリスペクトされたいという願望が強い」という点を指摘する。そうした意識が、「近隣国の主体性に対する感度の低さ」と相まって、新たな覇権主義的な動きとなっているというのである。まあ、この辺りはその通りであろう。

 中国の社会組織や社会秩序の特徴を説明するために、E.トッドの家族共同体の分析(「第三惑星」1983年。この彼の「デビュー作」は、私は全く知らなかった。)を参照しながら、中国の社会構造が、中国共産党を頂点とする「外婚制共同体家族」の下での「家父長制のバイオリズム」に基づいているとする。いわば家族構造における父権の強さという観点から、共産党一党支配や、その傘下の組織による「権威の集中=ボス支配」構造を説明している。そこでは「ボスと部下たちは基本的に一対一の権威関係で結ばれる」が「部下たちの関係はほぼフラットで、互いに独立し、協力することもない」、それどころかむしろ「潜在的な競争関係」にある。独立した部下の組織間での連携はまれであり、その結果「中国型の組織では、ボトムアップの解決が期待できない」ということになる。それは中国の国家中枢の組織で言えば、党、軍、国の3つが、党の指導の下で動くことにあるが、夫々にボスがおり、その部下たちは自分のボスだけを見ながら動き、相互の連携がない、ということである。ただこれは戦前の日本でも当てはまるし、現代の日本でも時々発生している事態であることから、程度問題であると共に、社会や経済構造で変わっていくものであり、あまり説得力がある議論ではない。

 この「序論」を受けて、本来の中国外交の分析に入ることになるが、それは歴史的には大きな振れを繰り返してきたというのが著者の基本的立場で、その要因が上記の「家父長的な指導者・組織原理」であったと考えるのである。毛沢東の独裁時代はまさに彼の個人的意向で方針が大きく変わることになる「混乱の時代(朝鮮戦争、中ソ論争、文化大革命等々)」。そしてケ小平から江沢民に至る中で、外交面ではこうした毛沢東の「極左外交」は修正され、改革開放と市場経済導入が喧伝される(政経分離という「キメラ」モデル)中、外交面ではそれなりの「平和」攻勢が前面に出る時期に入るが、指導者の方針を部下が忖度して実行するという基本構造は変わらない(1978年、ケ小平がシンガポールを訪問した際に、リー・クアンユーから「中国の兄弟党支援がいかに東南アジアに惨禍をもたらしているかを告げられ、すぐにでもやめるべき」という忠告を受けていた、というのは興味深い逸話である。)。そしてそうした指導力が胡錦涛時代に緩んだことの反省から、現在習近平が、新たな権威者としての立場を強化しようとしている、というのが、中国の国内構造が反映した中国外交の大きな流れということになる。

 こうした「指導者の意向を忖度する部下の間での競争」が、外交面で成功したケースとして広西チワン族自治区が、「ASEAN―中国自由貿易圏(ACFTA)」の旗振り役を務め、その結果「中国―ASEAN博覧会」誘致と、この地域への国内外の投資増加をもたらした経緯が一章を割かれて説明されている。確かにこの地域は余り馴染みがなく、首都南寧という名前も私は全く聞いたことがなかった。しかし、この朱鎔基が主導して進められたと言われるACFTAは、「中国が構築した初めての自由貿易圏」で、当時中国が意識的に進めていた「国際社会の中で責任ある大国になる」という「国際協調姿勢」とも合致し、党中央からも積極的な支援を受けたという。更に、州政府自身もそれなりにリスクを取り、鉄道整備や会議・リゾート施設の建設など自力でのインフラ整備も進め、その結果、ASEANとの関係では競争関係にある昆明を差し置いて「ASEANとの経済関係の窓口」としての地位を勝ち取ったということである。党中央から見れば、それはある意味彼らの地方政策の成功事例ということにもなる。ただ私のシンガポール滞在時に、この「中国―ASEAN博覧会」が大きな話題となった記憶がないので、ASEAN側がこれをどれだけ重視しているかについてはまた少し違う見方もできるのではないだろうか。

 続いて、近年中国の外交問題の中で特に脚光を浴びている海洋進出問題が取り上げられているが、これは「国家海洋局」が、党指導部の意向を忖度し「独走」、それを党指導部が、その組織の改編などを通じ修正していった経緯として説明されることになる。2012年頃からのスカボロー礁を巡る中比対立や日本との尖閣を巡る対立の先鋭化に、この組織が主体的に動いた様子等が詳細に説明されているが、2018年には、元々は国家組織であったこの「国家海洋局」は、習近平の下で、その主要業務を中央軍事委員会のもとに移管されると共に、その他業務も解体され、幾つかの別の組織に再編されることになったという。もちろん中国のこうした東・南シナ海での覇権的行動は現在も依然続いているが、現在はそれがより党中央によりコントロールされることになったということである。それは言葉を変えれば、今後の中国の対外行動は習近平の胸先三寸で決められていくということになる。その意味で、彼への権力集中が進むこととポスト習近平に向けてのリスクは間違いなく高まっている。冒頭で述べたような、コロナ感染拡大以降のロシアによるウクライナ侵攻や、台湾問題を含む米中関係の急速な悪化、更にはそれまでは経済関係を重視して中国にすり寄っていたドイツ等の欧州諸国の対中姿勢の変化を踏まえて、権力を集中させている習近平がどのようにこの中国の外交を取り仕切っていくかは未知の部分が多い。更に、そもそもこうした家父長主義的権威主義を強化している中国社会が変わることがないかどうかも、引続き注意して見ていく必要があろう。大きな枠組みとしては、ある意味単純な著者の議論の枠組みであるが、習近平自身と彼に対し国際社会が直面している個々の課題はそれほど単純ではないことを提示してくれた著作であった。

読了:2023年4月16日