プーチンと習近平 独裁者のサイバー戦争
著者:山田 敏弘
(本書は、米中露のみならず、グローバルなサイバー戦を描いたものであるが、特に中国に関わる動きが重要であることから、ここでは「中国」関連書として掲載する。)
1974年生まれで講談社やロイター通信等の記者を経てフリーになったジャーナリストによる、2022年4月出版の、中露のサイバー戦争を中心にしたルポである。「国ぐるみで「国民総スパイ化」的なサイバー戦争を行ってきた」両国の動きは一般的には良く知られているものであるが、米国MITでの研究・取材活動などを通じたこうした分野での人的コネクションからの情報に基づく詳細事例が面白い。
まず今回のロシアによるウクライナ侵攻が、「サイバー攻撃、スパイの暗躍、ネットを使ったプロパガンダといった現代戦争のあらゆる側面が盛り込まれた」「『情報戦争の教科書』として語り継がれる」だろう、という指摘が目を引く。昨年2月末の開戦直前にロシアによるウクライナへの大規模なサイバー攻撃が行われ、並行してゼレンスキー暗殺計画も試みられるという、人間による情報活動(ヒューミント)や、サイバー兵器を使った盗みや破壊工作(シギント)が駆使されたものであったという。しかし、同時に、バイデンによる、異例の「ロシアによる侵攻の公表」等、西側によるロシア内部での諜報活動も熾烈を極め、それによりウクライナ側も対策を強化したことが、2008年のジョージアや2014年のクリミア侵攻の成功体験の再現を目指すプーチンの思惑を覆し、ウクライナ側のロシアによる侵略阻止と、戦争の長期化をもたらすことになったことも良く知られている通りである。
この戦争で見られたサイバー攻撃は、日常的に行われ、金目当てでロシア情報機関と非公式な関係を持つマフィア(米国が懸賞金を出して情報を集めている「ダークサイド」なる集団等)によるハッカー組織の存在も良く知られている通りである。こうしたサイバー戦を指揮するロシアの情報組織トップ(ほとんどがプーチンのKGBなどでの後輩たちである)なども紹介されている。その中でスパイ養成機関であるSVR長官のS.ナルィシュキンという、私は初めて聞く人物が登場するが、彼が今回の侵攻の中で、プーチンに公開の場で罵倒されたことは、プーチンと関連機関とのある種の不協和音を示す逸話である。これが今後のロシアの戦略に及ぼす影響も興味深いところである。そして、このように現在ウクライナで繰り広げられている「世界レベルの情報共有やプロパガンダ作戦」を注視しているのが中国として、著者は続いて中国のスパイ・サイバー戦略に移ることになる。
最近の報道で、中国の「反スパイ法」の改正が話題になっている。スパイ活動の対象を、従来の「国家機密へのアクセス」から、「国家の安全を脅かす活動」に広げることで、対象となる行為が拡大且つ曖昧になり、一般の経済活動等も恣意的に犯罪とされる恐れがある、という懸念が新聞でもコメントされている。そして、最近のアステラス製薬駐在員の逮捕問題を含め、こうした容疑での外人拘束が、中国との外交面での緊張を高めるというのも、その通りであろう。こうした中国のスパイ・サイバー戦略が詳細に語られることになる。ここではその主要なもののみを簡単に触れておくことにする。
まずは、中国が行った大規模なサイバースパイ事件として関係者の語り草になっているという、2010年1月に発覚した「オーロラ作戦」が紹介されている。これはグーグルが主たる攻撃対象(それ以外にモルガン・スタンレー等約30社で被害が確認されたという)で、Gメールを通じた米国所在の反体制中国人の個人情報のみならず、「ソースコード」という検索サービスの「設計図」が盗まれた、という事件である。そしてそれが米国の中国観を決定的に変えることになる。この事件の日本での取扱いがどうであったかはともかく、当時まだシンガポールに滞在していた私は、現地でこれが話題となったことは全く記憶になかった。
これに始まり、半導体技術を含めた産業界も巻き込んだ中国のスパイ活動の広がり(日本企業への大規模なサイバー攻撃として2020年1月の三菱電機への攻撃と同社に関連する個人情報の流出等)と、それに対する欧米日、台湾などの防衛、そして中国による他国のスパイ活動取締りの強化や、スノーデンが暴露した米国の攻撃型の諜報活動等々が綴られていく。そして武器や生物兵器などについては、きちんと守られているかは別にしても一定の国際条約等があるが、サイバーの世界に関してはそうした議論は行われているものの、何らかの行動規範が合意される気配は全くない。まさに米中ロ等の間で主導権争いが繰り広げられる「無法地帯」になっていると言えそうである。
中国の「デジタル・シルクロード構想」が、「5G」、「監視カメラ」、「決済システム」の分野で、ファーウェイ、ハイクビジョン、アリババ等の中国企業が協力する形で着々と進められていることが一章を割かれて説明されているが、これは現在の西側諸国による、こうした企業の排除と「グローバル・サウス」諸国への対応の主因である。また次の章では、こうした中国やロシアのサイバー分野での攻勢を受けて、当初はロシアや中国の利権に加え、2016年の大統領選挙でのロシアからのヒラリー陣営へのサイバー攻撃を利用したり、中国通信大手ZTEを制裁対象から排除したりと、中露に融和的であったトランプが、2020年の新型コロナ感染拡大を受けて、決定的に対中強硬路線に転換したことが説明されている。こうした大胆な政策転換は、「トランプが政治の素人であったからできた」と著者は指摘しているが、議会を含めてトランプ以外は早い段階から反中姿勢を強めてきたことを考えると、むしろ「素人」トランプの対応は遅かったといえるのではないかと思える。そしてそれはバイデン政権にも引き継がれ、基本的に対中強硬路線は維持・強化され、ロシアに関してはウクライナ侵攻で決定的な対立状態となったことは言うまでもない。そんな中で、「民主主義国家版『一帯一路』」構想や、「スパイ天国」ブラッセルの状況などにも触れた後、最後に日本でのサイバー規制が、例えばファーウェイ機器が国内市場で排除されないなど中途半端なままであることの問題や、通信傍受などシギントを専門に扱う日本版NSAの組織設立等、今後の強化が必須であることが強調し、本書が終わることになる。
今や情報戦争の世界が、007型個人の暗躍からサイバー戦争に移っていることは言うまでもない。もちろんその中で、前述のゼレンスキー暗殺計画や、産業スパイ容疑による米中双方での多くの逮捕者など、人的活動(ヒューミント)の部分も相変わらず注意を払う必要がある。問題は、こうしたヒューミントとサイバー戦争であるシギントがより混然一体となって繰り広げられ、またそれに関与するのが特別の教育・訓練を受けた個人ではない多数の一般人が関わるような状況となっていることが、現代の情報戦の特徴であろう。それが今後どう展開し、誰が覇権を握るのか、そして日本がそれにどのように対応していくべきか、課題は山済みであることを示唆した著作であった。
読了:2023年4月22日