中南海 知られざる中国の中枢
著者:稲垣 清
中国政治の地理的中枢である北京市「中南海」地区に関し、そこにある歴史建造物の説明から始まり、夫々の場所に関わる人物と歴史、そしてそこにある中国の支配体制に関わる各種組織と最新の人事分析などを行っている。ただ2015年4月の出版ということで、人事分析などは最早余りピントこない。著者は1947年生まれで、三菱総合研究所や香港領事館等で中国研究を続けた後、この著作の出版時点では独立し、香港をベースに研究を続けているようである。
「中南海」は、清朝時代は「皇帝の住まいであり、現在は中国共産党と政府(国務院)の所在地であり、要人が住んでいる」として、2014年11月、習近平がこの地にオバマ大統領を迎え会談を行った様子が語られている。これは、習近平が国家主席に就任後、外国要人をこの「中南海」に招いた初めての例であり、通常は人民大会堂を使っていることから、当時の習近平の米国重視の表れであるとしているが、このコメントから既に7-8年が過ぎ、米中関係が決定的に異なっていることから、やや興ざめするところからこの読書が始まってしまった。そしてその「中南海」の地理とそこにある数々の歴史的建造物の説明が始まるが、これも実際に行く機会もなかった私からすると、ほとんど頭に残らない記述である。かつてはその一部が一般の人々にも開放されていたようであるが、現在は厳重な警備が敷かれ、その地域に入ることさえもままならないという。そうした地域は、日本であれば皇居位であるが、そこに党の要人の多くの住居があり、しかもその居住地は公開されていないというのは何をか言わん、という感じである。そして人民大会堂等、この「地域外」にある重要施設等も紹介され、著者はそうした場所には頻繁に訪れていたようで、そこでの歴史的な出来事なども説明されているが、それらも、北京市をかつて一度だけ仕事で訪れたが、短時間、限られた地域だけを動いただけで地理を知らない私の頭にはほとんど入らない。
多少なりとも、内容が頭に入るのは、第二章の「中南海の現代史」からである。ここでは、中国の要人中、生涯ここに在住したのは毛沢東―水泳好きの彼はプール棟に近いところに居を構えていたーと周恩来夫妻だけとして、彼らを巡る米中国交回復や、それに続いた田中角栄首相、あるいはその他の各国要人の中南海訪問時の裏話が紹介されている。また劉少奇と王光美夫妻は子沢山の大家族でここに住んでいたが、文革で恒衛兵に攻撃され失脚した後は、ここを去り家族は離散する運命となる。そして劉少奇は獄中死するが、王光美は12年の獄中生活を生き延び、1976年に釈放され、最後は孫に囲まれた幸福な生活を送り、2006年85歳で逝去した、というのも、「中南海」の悲しい歴史である。またこの文革を生き延び、「中南海」に住み続けたのは、要人では周恩来夫妻(彼らには子供がいなかった)くらいあったが、著者は、彼の縁戚の女性を訪問し、周夫妻の「中南海」生活について話を聞いている。またケ小平も、3度の失脚(1933年、67年、76年)があり、政権獲得後の2回は、その都度「中南海」の居所を追われたというが、最後の復活後は、「三男二女」の大家族であったこともあり、執務室は「中南海」にあったが、住んだのはその外にある地安門という地区で、そこで逝去したという。その居所は「第二の中南海」と呼ばれ、1989年の天安門事件時の趙紫陽総書記の解任、後任としての江沢民指名、そして北京市への戒厳令導入といった政治局の重要決定の数々が行われたという。また「中南海に住んだ要人の中で、最も開放的であった」胡耀邦は、そこにあった公邸に山崎豊子等の知人を招いたというが、1987年に解任され、そこを出ることになった。著者は、毛沢東を含むそうした党幹部の「中南海」での生活を想像しているが、現在に比して、そうした要人の給与水準は低く、彼らの日常生活は質素だったとされている。ただ、現代もそうであるが、公式給与と裏での金の動きは当然異なっていたであろうことから、単純に彼らの質実剛健を信じる気にはならない。
この著作の後半は、「中南海」で行われている現代中国の党組織や政策決定メカニズム、そしてそれを行う幹部や、次世代を担う候補者たちの予想を報告することになる。ただこれも出版時の2015年時点の姿ということで、現在から見るとピンと来ない記述が多い。例えば、ここで紹介されている政治局常務委員は2012年11月、習近平が国家主席となった第18期の7名であるが、李克強を含め、習近平以外は既に引退している。また組織的には、当時頻発した国内テロ取締り強化を目指した中央国家安全員会や、「一帯一路」政策遂行のための「一帯一路」建設工作指導小組の新設が紹介されているが、現在はむしろ国内テロよりもコロナ対策から足元の景気減速、そして何よりもウクライナ戦争を巡るロシアと国際社会、特に米国との距離感といった課題がより重視されている。そして「一帯一路」については、「債務の罠」問題やイタリアの脱退宣言といったように、イケイケドンドンではなく、むしろ現在は岐路を迎えている。また次世代の指導者候補として、ここでは特に当時広東省書記であった胡春華と当時重慶市書記であった孫政才が挙げられているが、後者は既に2017年に失脚し、前者も2022年10月の20期発足時に、平の政治局員に降格している。その他、ここで名前が挙げられている多くの者たちの中で、現在の常務委員となっているのは、当時上記の「一帯一路」建設工作指導小組副組長であった王滬寧くらいである。もちろん胡春華と孫政才は、両名とも胡錦涛の息のかかった共産主義青年団派(共青団派)で、習近平による共青団派排除の網にかかったということであるが、それ以上に中国共産党内部での権力闘争が激しく、短期間で要人の浮沈が動くという、この国の特徴が示されていると言える。その意味で、7−8年前のこうした予測は、現在は全く外れるということになり、それを読んでも、現在のこの国の指導者の動きは見えない。それは習近平の独裁が強化されているということであるが、そうであれば益々、習近平以降の今から5-10年後のこの国の指導者がどうなっているかは全く予想できないということになる。
ということで、中国政治の地理的中心で、簡単に立ち入ることのできない「中南海」という「聖域」があることと、そこで繰り広げられている権力闘争の一端は理解できたが、だからと言って現在の中国の動きが理解できる訳ではないことも知らしめてくれた著作であった。
読了:2023年9月9日